9.刺客
「暗いな」
ぼそりと呟いて、手に松明を掲げる。それでもぼんやりとしか視界を確保できないその洞窟は、先程話を聞いた限りではネクロミリアの方向につながっているというのだが。
「それにしても、タイミングが悪いわ。……橋がないなんて」
はぐれないようにとキアの服の裾を掴み、クラウディスがあたりを見回す。
数十分歩いたものの、何処がどうなっているのかすらわからない。一本道なのが救いだ。
話ではこの先に廃校へ繋がる穴があるらしいが、この分では暗すぎてどこからが廃坑なのか解らないなんて事もありえそうだ。
――が、そんな事はなかったらしい。
「あ――。明るいわ」
真っ暗な洞窟の奥、クラウディスが示す方向にほのかな光が差し込む場所が見えた。
もしかすると、そこが廃坑だろうか――
それにしたって、明るいのはなぜなのか。その疑問はすぐに解決した。
光の差し込む、洞窟に開いた穴の中に踏み込めば、淡く光る石がそこらじゅうに散らばっている。拾ってみれば、小石大の大きさから、壁に埋まっているものまで、どれも橙色の輝きを放っていた。
「――きれい」
その感想を否定する人間は恐らくいない。まるで炎を灯したように照らされる廃坑内は、松明がいらないほどに明るかった。
先程の少年が、松明の残りをくれたのはそういう事だろう。この廃坑を通る時にはそんなものを使う必要はない。
「――でも、ここって廃坑だよな?こんなきれいに光る石があるのに、何でもう放っておかれてるんだ?」
感動した後は、疑問がわき出てくる。これだけ明るく照らす事が出来るなら、使い道もあるはずだろうに――
「その石はひとたびこの坑道から出してしまえば、光を失ってしまうんですよ」
不意に、誰かの声が響く。クラウディスではない――やや中性的で、穏やかな声。
あたりを見回せば、廃坑の向こう側――恐らく、ネクロミリア側から、自分とそう歳の離れていない少年が歩いてくる。
腰まであるエメラルドの髪と、翡翠の瞳。一見少女とも見える端正な面立ちに、細身の眼鏡。
やや知性的に見えるのは、眼鏡だけでなく学者のようないでたちのせいだろうか。その少年はにこりと微笑むと、足元の光る小石を一つ手に取った。
「これは光の石といって、ほんの少し魔力を内包している石です。
互いの光で共鳴して強く輝くのですが、ひとたび日の光を浴びるとその魔力が抜け落ちてしまうんです。
魔術が発達しておらず夜が暗かった時代は、よく貴族の嗜好品として珍重されておりました。今では輸送が面倒なので商業的な価値はないものなんです」
説明を終えると、少年は石を丁寧に元あった場所へ置き直す。捨て置いても良さそうなものだが、そういう事をするタイプではないのだろう。
「詳しいんだな、あんた」
「ええ、一応学者の端くれですからね。ところで、あなた方はネクロミリアへ?」
笑顔を湛えたままの少年に、キアもクラウディスもゆっくり頷いた。恐らく反対側へ歩みを進めている少年の向かう先は、レディエンスなのだろう。
「なるほど。では、まっすぐ進んで、角は曲がらないで行くと良いですよ。一本道でたどり着けます」
「わかった。ありがとう」
旅人同士の情報交換、のようなものだろう。村の場所でも教えてやろうかと思っていると、背後から新たに気配がやってくる。
「――ほんとに廃坑がありやがるぜ」
「なんだ、この石?」
洞窟につながる穴から入って来たのは、お世辞にも上品とはいえないタイプの男たち。身なりを見るに、盗賊か賞金稼ぎか、そこいらのごろつきか――そんないでたちである。
揃って同じような衣服を身につけているところから、どこかに所属しているようにも見えるが――
「あ――」
男たちの軽鎧につけられた紋章を見て、クラウディスが後退する。孔雀を模した紋章は、初めて会った時に彼女が身につけていた神官服にも刺繍されていた。
その男たちがこちらに気付くのはそう遅くなかった。同時に、そのうちの一人があっと声を上げる。
「あの女、手配書の娘だ!」
手配書――良い響きではないが、クラウディスが追われる理由なんて一つに決まっている。
「代行者か!」
剣を抜こうとして構えると、既に男たちはそれぞれ獲物を抜いている。逃げるような隙は流石になさそうだ――
「手を貸しましょう」
穏やかな声が、背後から響く。どこから出したのか細身の剣を片手に、眼鏡の少年が横に並んだ。
「――巻き込むわけには……」
「いえいえ、大丈夫ですよ。どうせ関係ないとは言い切れませんからね」
至極冷静な彼が、それほど剣を使えるとは正直思えない。しかし、この余裕は何だろう。
「しかしその前に一つよろしいですか。代行者のみなさん、こちらはクライストですよ?代行する場所、間違ってません――?」
「るせぇな、陛下の勅令なんだよ!その女を逃がすわけには……もがっ」
「馬鹿!のせられんな!」
……なんという単純さだろうか。普通に一般人が聞いてもヤバい事を平気でしゃべってしまう代行者に、少年の方も少し苦笑いしている。
「では、引くつもりはないと――?」
気を取り直したようで、少年は笑顔のままで尋ねる。当たり前だと怒声交じりに叫ぶ男たちに、少年は「わかりました」と微笑んだ。