8.クライストへ
蒼い瞳が、大きく見開かれる。
絶対だめと頭を振る目の前の少女に、キアは手を差し伸べる。
「――今度あのアルトって奴が出てきたら、追い返してやるんだ。それに、さっきのあの光のことも、クライストまで行けば何かわかるかもしれないだろ。だったら一緒に行った方がいい」
にこりと微笑み、ほら、と手をもう一度差し出す。
その手を取る事はなく、クラウディスは深く俯いて背を向ける。
「――わたしが、逢いたい人――その人に、言えば……
権威のある魔術師や研究者に会わせてくれるかもしれません。
あの光は、多分……魔術的なものだと思います。とても強い魔力を感じましたから」
静かに、そしてはっきりと少女は呟いた。それは、つまり同行してもいいという事なのだろう。
軽く肩を叩けば、クラウディスは苦笑して顔を上げる。
「ダメって言っても、今の貴方を止めるのは無理なんでしょうね」
困ったような表情で、しかし嫌ではないのだろう。よろしくお願いします、そう言って少女は頭を下げた。
「じゃあ、行ってくる」
玄関で並ぶ両親に微笑みかけ、キアは何かの本で読んだ敬礼を真似る。向きが違うぞ、等と父親に直される――こんな些細な事も、今日でしばらくお預けだ。
元々最初から、彼女をネクロミリアまでは送ろうとしていたのだ。予定が狂ってしまったが、これはこれで良いだろう。
「二人とも、いつでも戻ってきなさいね。美味しいご飯ならいっぱい作ってあげるわ」
「……はい。おばさまの料理、また食べられるのを楽しみにしてます」
すっかりと打ち解けた母親とクラウディスを見ながら、父親は嬉しそうに目を細める。
「いっそうちの娘になってもかまわんよ」なんて言い出すから困りものだが、そんな冗談も暫くは聞く事がない。
「出来るだけ早く戻るよ。……まあ、片道一週間の遠い道のりだけどさ」
「急がば回れだぞ、そう焦らなくてもいいだろう」
そうだね、なんて相槌を打ちながら、いつものように笑って、行ってきますを言う。
その後しばらく戻る事はない。しかしこの両親なら、戻って来た時には「お帰り、早かったねぇ」なんて言いそうだ。
笑顔で手を振る両親に背を向け、キアは目の前の少女に手を差し出す。
「行こう。ネクロミリアまでは、半日と少し歩けば着くはずだから」
「ええ。――ほんとに、大丈夫ですか?」
大丈夫――笑顔で頷いて、手を握る。漸く嬉しそうに微笑んで、少女は隣に並んで歩き始める。
と――
「――おや、もしかしてネクロミリアへ向かわれるのですか?」
不意に、村の門にちょうど現れた幼い少年が話しかけてくる。
やたらに丁寧な物言いと、目深にかぶられた外套とフード――手に持っている楽器から、恐らく吟遊詩人の類と推察できる。
年のころは恐らく、十五、六ほどだろうか。フードの下からようやく見える口元は、にこりと微笑みの形状を保っている。
「そうだけど――どうかしたのか?」
「いえ……今、普通の道を通ろうにも……多分数日、ひょっとすると一週間はかかってしまうので」
どういう事だろう――と聞けば、少年はこの先の川がレディエンス側の天候悪化の影響で氾濫し、橋が流されてしまったという。
結局修繕に一週間はかかるという話で、少年は少々危険な近道を通って来たのだとか。
「近道――って、反対側にあるあの古い洞窟の事か?」
「ええ。ネクロミリアの古い廃坑につながっているのです。お勧めはできませんが、急いでいるならあちらに向かうべきかとも思いますよ」
笑顔を保ったままの少年にありがとう、と告げ、キアは不安そうな表情のクラウディスにどうする?と尋ねた。
「――キアさんが負担になるかもしれないけれど、一週間も待つのは……」
年ごとの、かよわい少女である。間違いなく魔物の巣窟であろう場所に足を踏み入れるのは、流石に怖いのだろう。
「俺は大丈夫。……クラウディスは回復、しっかりやってくれよ」
「……はい」
どの道、そこを通るしかないわけである。となれば悩んでいる必要はない。
「もしよかったら、これをどうぞ。通り抜けるときに使用した残りです」
まだその場にいた少年が、懐から棒のようなもの――簡易用の炎を使用しない松明を差し出す。
恐らくこれからレディエンスへ向かうのだろう少年には不要なのだろう。ありがたくそれを貰い、再度礼を言った。