6.壊乱の“アスタロト”
何が起きたのか――
ほんの一瞬そんな疑問を覚える。
まばゆい光が自分の体を包んでいて、一瞬、浮遊感を覚えた――
が、それはすぐに消滅し、光で妨げられていた視界が晴れる。
「な、んだと――!?」
信じられないと言いたげな声と、何かがどさりと倒れる音。
目の前に、今まで剣を振り上げ嘲笑していたはずの男が倒れている。
その光景を脳が認識するまでに酷く時間を要したと思う。状況を理解すると同時、背後からクラウディスが自分の袖を引いた。
「――今、のは……」
「何が、起こったのか……」
気がつけばそこに立っていた自分と同じく、クラウディスもまた、状況を飲み込めていないようだった。
何が起こったのか、あの光は何だったのか――それを考える前に、目の前の男が起き上がる。
「この……クソガキがぁっ!」
落ちた剣を拾い、男は怒りを露わに襲いかかる。この距離では、よけきれない――
思わず身構えた瞬間、空気が大きく振動する。
終わりだ――と目を伏せた瞬間、耳元で聞きなれない声が響いた。
「そこまでにしましょうね、アルト」
凛とした、だが妖艶な雰囲気を持つ女性の声。
痛みを感じないことと、その声に不審を抱いて顔を上げる。目の前に、蒼い髪の女性の後ろ姿があった。
「流石にクライスト領でこんな大乱闘されちゃ困るわ」
まったく困っていないような物言いで、その男――アルトの、剣を掴んでいる。何かの魔術だろうか、剣を掴んでいる部分だけ淡い光に包まれており、彼女の手が傷付いた様子は微塵もなかった。
「アスタロト!貴様、邪魔をする気か!?」
「……物事の優先順位が解ってないようね?代行する相手が間違ってる上に、目撃者の数も尋常じゃないわ。
あちらでなら別に問題ないけれど、ここがどこか考えなさいな。」
厳しい口調でアルトを一喝すると、女性はちらりとキアを見る。
整った面立ちの、気品のありそうな女性――街で出会ったくらいなら、それで済んだだろう。やはり貴族然とした身なりの彼女は、ただならない気配を有していた。
「うるせぇっ!俺は今このクソガキを殺してぇんだ!」
「自称冷静なルシオン、が良く言うわね。もっと冷静におなりなさいな」
アスタロトと呼ばれた女性は、アルトの鋭い目に動じることなく微笑む。その微笑みのまま、不意にアルトの鳩尾に蹴りをくらわせた。
「ぐ……っ、き、さま……」
「……ごめんなさいね坊や、これ、今日の所はお詫びに連れて帰るわ」
あっさりと倒れてしまうアルトを呆然と見ながら、キアは目の前の女性を見上げる。
あれだけ強かったあの男が一瞬で――。
「でもねお穣ちゃん、今日のところは見逃しても――
逃げられるってことはあり得ないからくれぐれも注意することね」
軽々とアルトを抱えて、アスタロトはごく自然に微笑む。その笑顔は、何も知らない人間が見れば一発で魅了されてしまうんだろう。
だが、この場でのそれは恐怖を与えるに足る笑顔だった。
「それじゃあ、ごきげんよう。お騒がせしたわね」
やはり自然な笑顔のまま、アスタロトはアルトを抱えたまま平然と村の外へ消えていく。
漸く周りに集まって来た村人たちに質問をされても、答えられるような状況ではなかった。
「……怪我、してるわ。歩けます?」
「うん」
いつ付いたかわからない腕の傷に、指摘されてから気付く。
ひとまず家に戻って治療を――と勧めるクラウディスに何も答える事が出来ず、キアはゆっくりと歩き出した。