5.悲鳴の“アルト”
年のころは、キアより少し年上――大人と言っても差支えはない年齢だろうか。
白い髪の、血のように赤い目を持つ青年が立っていた。
「やっと見つけたぞ。――こんな辺境とはいえクライストまで逃げ込むとは、運がいい女だ」
くつくつと笑いながら髪をかきあげる仕草は、貴族然としている。衣服を見るからに育ちは悪くなさそうだが、どこか――どす黒く歪んだ気配を全身から滲みだしていた。
「――知り合い?」
間違いなく違うだろうな、とは思ったが、傍らのクラウディスに尋ねる。が、返事のかわりにクラウディスは怯えた目でこちらを見る。
「逃げ、て」
漸く呟かれたその声はひどくか細くて、目の前の男がどういう相手かを漠然と理解させる。
クラウディスの敵、には違いない。だが、そうなれば必然的に自分たちの敵にもなりえるという事だろう。確かに、この男から滲みだす殺気のようなものには容赦のないものを感じる。
「――彼女に何か?」
クラウディスに詰め寄ろうとした男の前に、思わず立ちはだかる。
赤く鋭い目が自分を嘲るように見降ろす。視線を向けられただけで、身のすくむ思いがした。
「だめ――逃げて!」
「――一般市民が口を出すなよ、死にたくなければな……!」
背中にかばったクラウディスが、上着を引っ張った。そして、目の前の男の嘲るような囁き。その二つが全部耳に入りきる前に、体に強い衝撃が走る。
――目の前の男に突き飛ばされたと気がついたのは、地面に倒れこんでからだった。
「……ってっ、何を……!」
「キアさん!」
起き上がって相手を睨みつければ、向こうはそれを意にも解さない様子でクラウディスに詰め寄った。腰に下げた重そうな剣に手をかけ、にやりと笑う姿に戦慄を覚える。
間違いなく、あの男はクラウディスに殺意を持っている――
どうして――?
その疑問が生まれた瞬間、また彼女と男の間に割って入っていた。
「――やめろっ!!」
「ち、邪魔するんじゃねぇぞ、屑が」
鋭い眼で睨みつけられる。足がすくむようなその気迫に、一瞬怖気づきそうになる。
が、ここで引いたら彼女がどうなるか――。そう思えば引く事は出来なかった。
「――なんで、彼女にそんなことするんだ」
「キアさん、お願いだから逃げて!その人は……っ!」
必死に足がすくまないように虚勢を張って怒鳴れば、目の前の男ではなくクラウディスが答えようとする。
それをみなまで言わないうち、村の住人たちが騒ぎを聞きつけて家屋から飛び出してきた。
「何だ、喧嘩か!?」
「ち、面倒な……いっそ村ごとやっちまおうか」
鋭い目が、村人を睨む。それを見た瞬間、こいつは本当にヤバいと本能が警鐘を鳴らす。
「やめて!この村の人たちは関係ないでしょう……!?」
「お前さえ大人しく『浄化』されてくれれば、手は出さん。
――この餓鬼は邪魔だがな」
一瞬――衝撃を受けた瞬間、それが相手の拳という事に気付く。鳩尾を確実に狙ったその一撃は、明らかに殺すことを前提に打ち込まれたのだろう。
叫ぼうにも、息がつまって声にならない。そのままあえなく地面に倒れこみ、キアは深くせき込んだ。
「――キアーっ!」
村の仲間たちの叫び声。自分がこうも簡単にやられるとは思っていなかったのだろう――逃げろ、と視線だけ投げる。
「やめて、その人を殺さないで……っ!」
気がつけば、目の前に鋭い剣が突きつけられている。せき込みながら見上げれば、鋭く赤い血の瞳がこちらを見据えている。
クラウディスの悲痛な叫びに、男は視線だけを動かして嘲笑する。
悔しいが――この男に勝つことは不可能なんだろう。実力が違いすぎるのだ、なにも、かも。
「――お前が素直になればこいつの命までは取らないさ。さあ、どうするよ」
くつくつと、独特の笑み。キアの首元に剣を突き付けたまま、男はクラウディスの方に向き直る。
「……わかりました。……そのかわり、彼と、村の人たちには、絶対に手を出さないでください。」
「……よーし、良い子だ」
諦めたような声をあざ笑うかのように、男はキアに向けた剣を引く。それを構え直し、俯いて目を伏せるクラウディスに突きつけた。
「痛いのは一瞬だ。そう恐れるな」
――このままじゃ、あの子が――
どくん、と心臓がうずく。
――殺させてはいけない、と『誰か』が警鐘を鳴らす。
さあ、目を瞑れ――と、冷たい声が少女に投げられる。
「やめろ――!!」
剣が降りあげられた瞬間、うずいていた心臓がはじけるような錯覚を覚えた。