14.逃走
「――閉めてください!」
背後から、サンジェルマンの声。それに従ってドアを閉め、閂を引っ掛ける。
が、兵士は確認できただけでも相当数が居た。窓などを割って入られるのも、時間の問題だろう。
「……ご丁寧にも、あなたと間違われてしまったようです」
「はぁ、タイミングの悪い……。籠城しても無駄でしょうね。
この屋敷、無駄に広いので窓を割ってどこからでも侵入できます」
肩をすくめて振り向けば、サンジェルマンは特に困ったそぶりもなく呟く。何となく、すべてを諦めているような印象を受けるが、だからと言って死にたいというわけではないのだろう。
どちらかというと余裕すら感じる態度である。
「余裕、ですね」
「いえ、特に死に対して恐怖も感じません。長いこと生き過ぎてしまいましたからねぇ……。
しかし、貴方はこのままでは困りますね。国に家族もいる事でしょうし」
家族、か――
そんなものはとうの昔に居やしない。が、今そんな事を言うのも野暮というものだ。
「……ご心配なく、正面からでも逃げ切れないことはありません。
……ですが狙われていると解っている方を置いて逃げるというのも、私の美学に反しまして」
「要するに、一緒に逃げろと?」
やはりサンジェルマンは逃げる気がなかったらしい。おどけるような仕草で返され、クレアはいつもの笑みを浮かべた。
「ええ。代行者に狙われた方の保護も、私の業務に入っておりますので」
それは国外であるレディエンスにおいては通用するものでもないだろう――そんな事も言われそうだが、どうやらサンジェルマンはそれすらどうでもいいらしい。
解りましたよと適当に返され、背を向けられる。すぐ傍にある細剣を取って、「行きましょう」とだけ言われた。
案内された地下室にあった抜け道から、坑道のような場所に出る。やはり光の石が散らばっているそこは、明かりを用意せずとも歩くことができそうだった。
「随分凝った抜け道ですね。この坑道は――?」
「祖父の遺産です。とはいえ、この坑道に抜け道がつながったのは偶然の事ですが……。
国境付近まで続いています。ここを通らない限り、追いつかれる事はほぼないでしょう」
絶対とは言えませんが、と付け加え、サンジェルマンは歩き出す。
そのあとに続き、数時間――無言で歩き続けた。
別段話す事は特にない。が、そろそろ沈黙も飽きてきたと思ったころ、遠くに光がさしている場所を見つけた。
「――出口です」
「思ったより、早いですね。――街道を介してないからでしょうか」
国境付近にあるという出口に思いのほか早く辿り着き、クレアは少しまぶしい光に目を細める。
外に出てみれば、そこは古びた廃坑のようだった。入口の殆どは苔に覆われ、蔓がカーテンを作っている。振り返れば、そこの奥に何があるかは解らない。
「なるほど、見つからないわけですね」
「恐らく街道からはけっこう外れているでしょうからね。こんな場所がばれたらうちは泥棒に入られ放題ですけれど」
珍しく――というほどの知り合いではないが――冗談を飛ばすサンジェルマンに、クレアは苦笑して「先を急ぎましょう」と呟く。
追手が来ないとは限らない。恐らく、それなりの手配はされているのだろうし、ここは基本的にレディエンス領だ。少しの油断もしてはならない。
「ところで、聞き忘れていましたが……クライストで、陛下に会われるつもりはありませんか?」
「どうでもいいですよ。処遇はお任せします」
やはり彼はそれすらもどうでも良いようだった。苦笑した後頷くと、クレアはあたりを見渡す。
街道から随分離れているとはいえ、遠くが見渡せないわけでもない。だいたいの場所の見当をつけ、その場を離れて歩き出した。
―― 第三部 了 ――