13.錬金術師
所は変わり、霧深い国レディエンス――
その人気の少ない街並みをゆっくりと歩きながら、クレアは手にした地図を眺める。
国境から比較的遠くにあるクライストとは違い、レディエンスは国境沿いの町から馬車で約一時間の場所にある。
それよりも北に行ってしまうと、レディエンス自身が滅ぼしてきた国々の廃墟が累々と並び、人里があったとしても旅人が気軽に立ち入れるほど生易しい環境ではない。
大国と言っても、国の性質のためか広い領土に存在する国々はごく少ないものだった。
「このあたりか――それにしても、噂通り物々しい国だね」
溜息を吐いて、ほとんど歩く者のいない道を歩く。大きな屋敷の立ち並ぶ通りはほぼ煉瓦や切り出された石で舗装されており、クライストとは正反対の無機質な感じを覚える。
街路樹はまだ春の終わりだというのにその葉を枯らしていて、まだレディエンスが「冬」であることを示していた。
とはいえレディエンスとクライストでこんなにも季節の差が大きいのは、ここ数十年の事らしい。
原因は良く解っていないが、何かが起こっている――そんな不安を、レディエンスの住人だけでなく近隣も感じ取っているようだった。
「――闊歩するは代行者と旅人ばかり、か」
何度かすれ違った兵士――代行者らしき者や、商人ギルドのローブを着た旅人達。それ以外を街で見かける事はほとんどないようで、先程漸く犬と戯れる少年を見かけた程度である。
ほとんど鎖国状態だな――等と思いながら、クレアはある屋敷の前で立ち止まる。
「この家かな。――サンジェルマン・ロジェ伯爵、か」
表札に書かれている家主の名前を確認すると、目的の人物であると確信する。そのまま、扉を叩いた。
「――どなたですか?」
開かないままの扉の奥から、落ち着いた声が帰ってくる。
恐らく、家主なのだろう――手にしている情報では、使用人の類などは殆ど居ないと聞いている。
「クライストの者です。以前、部下がそちらに見えたと存じますが」
声を潜めて囁けば、しばしの沈黙の後ドアが開く。
出てきたのは、亜麻色の髪の――少年とも、青年ともつかない人物。
やや背は高いものの、自分に負けず劣らずの細身の彼は、前髪でその両目をほぼ隠していた。
「――サンジェルマン・ロジェ伯爵?」
「……ええ、貴方は?」
出来るだけ声を潜めて尋ねれば、青年――サンジェルマンは小さく頷く。次いで投げかけられた質問に、クレアは懐から鳩の紋章が描かれた手帳を出して見せた。
「クライスト騎士団所属師団長、クレア・クライス・ライアと申します。
……お尋ねしたいことがあるのですが」
やはり声を潜めたままに尋ねれば、サンジェルマンはほんの少し考え込むように俯いてドアを大きく開く。
そのまま背を向けて屋敷の奥に歩き出す彼をじっと見つめる。
再度振り返ると、サンジェルマンは無表情のままこちらに手を差し出した。
「……どうぞ、お入りください。大した話は出来ないと思いますが」
出された紅茶には手をつけず、クレアは小さく溜息を吐く。
現在のレディエンスの幹部構成に、代行者たちの現状――恐らく伯爵という立場のためか、サンジェルマンは嫌でもそう言った情報を耳にするのだろう。
大したことではないと言いつつも、会話の後に残ったメモはなかなかの量になった。
国内でそれだけの事を話すのだ、恐らく彼もそろそろこの国から出ていく腹積もりなのだろう。
知っている事はすべて話した――そう言って、紅茶を啜る。髪の奥に隠された瞳が見える事はなく、彼が何を考えているかはよく分からない。
「ありがとうございました。……それと、個人的な質問をしてもよろしいでしょうか」
礼を言った後、クレアはふと尋ねてみる。彼は錬金術師だと聞いている。だったら、もしかすれば自分の呪いを解くような錬金術も、知っているかもしれない――
未だに自分を束縛している、災いと不死の呪い。それを解除するのは、クレアにとって一番の目的でもあった。
が、錬金術という単語を出した瞬間、サンジェルマンは首を横に振る。
「……すみませんが、その話は、やめていただけないだろうか。
もう、本を見る気にもなれないのです」
――明らかな、拒絶。恐らく何か忌まわしい思い出でもあるのだろうそれを、無理に抉り出すような趣味はクレアにはない。
早々にあきらめて「失礼しました」と頭を下げれば、サンジェルマンはそれ以上気を悪くした様子はないらしい。いいのですよ、とほんの少し寂しげな声が帰って来た。
「それよりも、早く帰ったほうがいいでしょう。
この国ではちょっとした因縁や疑いがかかるだけで化物扱いされますからね。特に、私の屋敷から出てきたとなれば――」
「……ご忠告、恐れ入ります」
その後、彼はどうするつもりなんだろうか――思いながら、クレアは屋敷の外に向かう。
が、思った以上にサンジェルマンの予想は早く当たることとなったようだ。
「――貴様がサンジェルマン・ロジェだな?」
ドアを開けた瞬間、孔雀の紋章を掲げた兵士の剣が向けられた。