1.風を湛える村
風の村、ヴィント――
クライスト領の北東、レディエンス領との国境の手前に位置する山間の村である。
村には常に風が満ちているため、ヴィントの村は「風を湛える村」とも呼ばれていた。
「じゃあ、今日も見周りに行ってくるよ」
早朝、まだ日が昇り始めた時間に、赤い髪の少年――アムドゥスキアスは両親に手を振る。
彼が身につけている簡素な軽鎧は、胸の部分に風を象徴するヴィントの自警団の紋章が描かれている。
今日の朝の見周りが彼の仕事なのだ。
「最近は魔物が増えているからね、気をつけるんだぞ」
随分と年老いた父親に肩を叩かれ、アムドゥスキアスは小さく頷く。
「――大丈夫。それじゃあ、行ってくるよ」
足元に置いた剣を抱え、腰のベルトに固定する。準備は万端だ。
入り口の門を、自警団のメンバーが開く。軋む門をくぐり抜けながら、門番と軽く手を叩いた。
「気をつけろよ、キア」
愛称で呼ばれ、アムドゥスキアス――キアは、微笑んで村の外へと歩き出した。
十数分、村の周りを歩いたろうか。
ヴィントの村は、周囲をぐるりと街道に囲まれている。村を通らずに、裏門――レディエンス側に向かう事も可能で、馬車などが良くこの道を通るためしっかりと舗装されているのが特徴だった。
が、近年不可思議な自然現象を起こすレディエンス領から魔物が侵入してくるなど、ここ最近の周辺の治安はあまりよろしいものではない。
自警団自体は元からあったものの、ここ数年のヴィントの自警団は稼働率が高く、若い労働者が少ないために必然的にキアをはじめとする少年たちも駆り出されていた。
「今日は異常なし、かな。――珍しくあっち《レディエンス》の天気も良さそうだしな」
レディエンス――それは、ヴィントの村だけに限らず、国境付近にある集落ならば誰もが警戒する国だった。
神国レディエンス――その名前だけなら聞こえはとても良いが、実際のところは知らぬ者はいない「混乱の国」である。
人ならざるもの――つまり人間とみなせない種族を悪しきものとし、神に代わり殺害するという『神の代行』が、およそ数千年にもわたり受け継がれている宗教国家。
その「代行」は徹底的で、人間以外の種族が国内で見つかろうものならば即刻抹消され、さらには近年、クライスト領でもその行為に及んでいる。
その行いのせいだろうか、ここ数十年以上レディエンスは天候状況が芳しくなく、大きな天災に見舞われることが多い。
「ま、たまにはあっちも天気が良くないと困るよな」
特に深い考えもなしに、キアは苦笑する。
ひとまずは裏門に設置されている自警団用の掲示板に、今日の警備状況を記入する。
これで今朝の仕事は終了だ。このまま帰って薪割りでもするか――
そう思った矢先。
「――きゃあああ!」
ありきたり、と言えばありきたりなものの、とてもそうは言っていられない悲鳴が遠くからこだまする。
弾かれるように振り向き、声の方向を確認する。レディエンスの国境に向かって伸びる街道――その先から、悲鳴は聞こえた。
元々正義感が強いのもあり、キアは悲鳴の聞こえた街道を走る。どのくらい走ったろうか、時間にしては十数秒――
唐突に、眼前に一人の少女が飛び出してくる。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
ぶつかりそうになって踏みとどまれば、少女はその拍子に地面に転んでしまう。助け起こそうと手を差し出そうとするも、それは激しい咆哮によって妨げられた。
「あ――」
振り返ればそこに、人間ほどの大きさの熊の形状をした魔物がいた。