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009 振りまわす協力者

 始業開始前に、香澄と話をするのが日課となった気がする。しかし、目の前にいる香澄は目を怒らせていた。不快感を露わに眼鏡をクイッと押し上げ、まるでウジ虫を見るような眼差しを向けている。


「椎名くんは、綾奈のことが好きだと思っていたのだけど……違うのかな?」


 巧と瑠璃が付き合っている――綾奈に誤解されたと、香澄に話した直後の出来事だった。


「私、椎名くんが二股するような、最低な男だとは思わなかったよ」

「いや、いろいろと誤解しているから」

「言い訳をするつもり? 綾奈のお姉さんと付き合っている、そう椎名くんが言ってから一分も経っていないのだけど?」

「正しくは、"付き合っていると誤解された"だよ。本当に、付き合ってるわけではないから、それだけは信じてくれよ。瑠璃さん……綾奈のお姉さんとは、昔からの知り合いなんだ」


 香澄の中では、巧の片思いは確定事項になっているようだ。友人思いは美徳だけれども、一方的に浮気男と決めつけるのは勘弁して欲しい。

 一秒……二秒……三秒……。

 香澄は何も言わず、巧の顔を見つめ続ける。巧も負けん気を発揮し、視線は逸らさなかった。


「ごめんなさい、早とちりだったみたい」


 大きなため息を吐き出した後、香澄の怒りはスッと治まっていく。代わりと言わんばかりに、揶揄うような笑みを浮かべた。


「椎名くんは、二股をかけられるような、器用な男ではなかったね」

「…………信じてくれて嬉しいよ」


 モテない男と軽んじられているようで、否定したい気持ちが大きくなる。しかし、否定するわけにもいかない。

 香澄の言いようは不本意だが、浮気ができる性格でないのは事実だった。

 それでも、不満は顔に出ていたらしい。両手を合わせて「ごめんね」と、悪びれた様子もない香澄に謝られた。


「それで、どうしてお姉さんは嘘をついたの?」


 話を切り替えるように訊ね、香澄は椅子を巧へ寄せる。巧が腕時計を見れば、時刻は午前八時十分を示していた。綾奈は決まって始業十分前に来るから、手短に話す時間はある。


「中村さんには、綾奈が記憶喪失だと教えただろ。だから、幼馴染と説明できなかったみたいなんだ――」


 昨日の瑠璃との会話を思い出しながら、巧は声をひそめて説明する。真剣な顔つきの香澄が、巧の話を促すように頷いていた。




「――つまり、椎名くんが綾奈を気にかける理由を作ったわけね」


 聞き役に徹していた、香澄が静かにつぶやく。閉じていたまぶたはゆっくりと持ち上げられていた。香澄は数分の会話だけで、十分に内容を理解したようだった。


「恋人の妹ならば、事情を知っていてもおかしくないし、"幼馴染"だと一芝居を打っても違和感は少ない。恋人に頼まれて仕方なく、と言い訳もできる」

「瑠璃さんも咄嗟に嘘をついたみたいで、昨日の夜、電話で何度も謝られたよ」


 昨晩、綾奈が訊ねたそうだ。二人は恋人なのか、と。

 唐突な質問に思わず瑠璃は頷いてしまい、綾奈は安心したように笑ったらしい。その表情の意味がわからないながらも、瑠璃は笑顔を崩したくないと思った。だから、嘘をついたのだと言う。


「でもさ、椎名くんはいいの?」

「ん、何のこと?」

「お姉さんの恋人だと誤解されていることだよ。椎名くんは、綾奈のことが好きだと思っていたんだけれど……その、綾奈の恋人にはなれなくなるよ」


 香澄の懸念はもっともだ。姉と交際中の相手からアプローチされても、受け入れられることはない。綾奈が巧に靡くことはなくなるだろう。

 ただ、香澄は大前提で間違っている。

 巧の"好き"は幼馴染に向けるもので、恋人に向けるものではない。事実、五年前に抱いた恋心はどこかに消え去っていた。


 心配そうに見つめる香澄に、巧は思わず笑ってしまう。


「俺は、綾奈の恋人になりたいわけではないから……だから、中村さんが心配することはないよ。それとも、恋人になるサポートはしても、友人になるサポートはしないつもり?」

「……意地悪なことを言うんだね、椎名くん」

「先に話を聞かなかったのは、俺ではなくて中村さんの方だよ。恋愛ではなくさ、友愛のキューピッド役をやって欲しいんだよ」

「それ、うまく言っているつもり?」


 香澄は呆れ顔だった。どうやら表現がお気に召さなかったらしい。巧は小さく肩を竦めてみせる。


「それで、中村さんは協力してくれる?」


 大きくため息は吐き出した後、香澄は「わかったよ」と小さくつぶやく。どこか残念そうなのは、香澄の期待通りの関係ではなかったからだろう。


 眼鏡を外して香澄がレンズを拭いている間に、綾奈が教室に入ってきた。巧と香澄に向けて「おはようございます」と挨拶をする。

 それが合図となったのか、巧と香澄の問答は終わりを告げ、綾奈を含めた三人での雑談が始まる。始業ベルが鳴り響くまで、三人の会話は途切れることなく続いていた。



     ◆



 放課後、巧たち三人は文芸部室を訪れていた。部室中央に置かれた長机を囲み、三人は自分専用のノートパソコンを起動している。巧と綾奈が向かい合わせに座り、その横に香澄が座っていた。文芸部復活の発起人たる香澄が当然のように部長へ就任し、上座に鎮座していた。


「……椎名くん、綾奈」


 各々がディスプレイに映る文字を読み始めてから、一時間が経過しただろうか。香澄が静かに呼びかける。巧と綾奈の二人は顔を上げ、なんとも言えない苦い表情の香澄を見つめた。


「これ、どう思った?」


 短い質問。ただ、何を聞きたいのかを二人は理解していた。巧がチラリと綾奈を覗き見ると、困ったような顔でオロオロしている。

 素直な感想を話しづらいことは、巧でも容易に察せられる。

 小さく息を吐き出した後、過去の先輩たちが残したホワイトボードのメッセージを眺めていた。


「黒歴史、かな?」

「……"下手糞な小説、詩、短歌"、先輩たちが残したメッセージ通りだね」

「えっと、でも、私は面白いと思ったよ」


 三人の視線はホワイトボードに釘づけとなる。先輩から後輩に向けたメッセージに偽りはなかったのだ。


 放課後、三人は過去の文芸部誌を読んでいた。しかし、部誌と呼ぶにはページ数が少ない。十ページにも満たない年度まであった。文章にも誤字脱字が多く、意味不明な改行や記号文字も含まれている。思いつくままに書き殴ったとしか考えられない出来映えだった。


 沈黙は数十秒だろうか。沈黙を見かねて巧が口を開いた。


「でも、こんな内容でも大丈夫なら、俺たちも難しく考える必要はないかもしれないね。一年間にひとつ、何か適当な作品を作ればいいんだから」

「……椎名くん、何つまらないことを言っているの?」

「えっ、中村さん?」

「折角、三人で部活動をするんだよ。やるなら、全力で頑張らないと面白くない。綾奈もそう思わない?」


 不満を隠しもせずに、香澄は反論する。話を急に振られた綾奈は、目をパチパチとしばたかせていた。

 巧と香澄の視線を受けて綾奈は顔を俯かせていくが、すぐに顔を上げて意見を述べる。


「私は、香澄さんの意見に賛成。みんなで頑張れたら、きっと楽しいと思う」


 どこか恥ずかしそうに綾奈が告げる。瞬間、パン、と甲高い音が響いた。


「決まりだね」


 両手を胸の前で叩いた姿勢のまま、香澄がニヤリと笑った。


「私たち文芸部は、この三年間を使って全力で黒歴史を残す……それを活動目標にしよう。椎名くんも綾奈も、手抜きは厳禁だからね」


 パチパチと綾奈が拍手を送る。それに合わせて巧も拍手をするが、脳内では香澄にツッコミを入れていた。傑作ではなく黒歴史を残すのか、と。

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