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006 強引な協力者

 始業開始の三十分前に登校すると、香澄は席について読書をしていた。どうやら大勢で騒ぐタイプではないらしく、早速クラス内でグループができていく中、一人で過ごしている。周囲の談笑を気にかけた様子もなかった。


「椎名くん、昨日はどうだった?」


 巧が席に座ると同時に、香澄が声をかけた。栞を本に挟んだ後、パタンと本は閉じられる。眼鏡の奥にある瞳は好奇心で輝き、椅子ごと身体を近づけてきた。


「昨日? ……何のことを言っている?」

「姫乃さんのことに決まっているよ。放課後、二人は一緒に帰ったんだよね?」

「まあ、一緒に帰ったけれど……」


 話しながら昨日を振り返るうちに、何を聞きたいのかすぐに察してしまった。

 思わず呆れた眼差しを香澄に向けてしまう。


「一緒に帰ったからって、恋人関係と考えるのはどうかと思うよ」

「……それなら、椎名くんの片思い?」


 少し残念そうにしながらも、香澄の眼差しには期待が滲んでいる。


「違うから。俺は別に、姫乃さんに片思いなんてしていないよ」


 綾奈に恋する資格もないから――言葉の裏に隠した本音は伝わらないだろう。

 巧の気持ちは"五年前"とは違っていた。


「そっか……その、いきなり変なことを聞いて、本当にごめんなさい」


 萎みゆく風船のように香澄から勢いが抜けていく。申し訳なさそうに、香澄は深く頭を下げる。

 突然の問いに驚きはしたが、怒りをぶつけるほどでもない。しかし、香澄の負い目は利用できると思ってしまった。恋愛好きな一面が垣間見えて不安にはなるが、素直に謝るあたり真面目な性格ではあるのだろう。


「幼馴染なんだ」


 頭を下げる香澄の耳元に口を寄せ、周囲へ聞こえないようにささやく。


「でも、綾奈は記憶喪失で、俺のことなんて覚えていないんだよ」


 瞬間、香澄は「本当に、ごめんなさい」と直角に上半身を折り曲げて謝る。

 慌てて香澄の両肩を掴んで身体を起こさせた。何人かクラスメートからの視線を感じたが、全て無視を決め込む。

 注目を浴びるような謝罪をしたことが失敗であると悟ったのか、青白い顔を香澄は俯かせていた。


「謝ることはないよ。こんな話、クラス内でも俺しか知らないんだから」

「でも、私……不躾だった……」

「悪いと思ってくれるならさ、俺に協力してくれないか?」

「協力? えっと、何をしたらいいの?」


 香澄は窺うように下から見上げてくる。

 協力前提の質問に、自然と巧は顔を綻ばせていた。


「俺と一緒に、姫乃さんの友人になって欲しいんだ」

「……えっ? そんなことでいいの?」


 拍子抜けした香澄の口調に、巧は思わず首をかしげてしまう。


「椎名くんにお願いされなくても、姫乃さんとは友達になるつもりだったよ」

「……そう、なのか?」

「うん、姫乃さんも読書が趣味だって、昨日の自己紹介で言っていたし、私と趣味も合いそうなんだよね」


 安堵する一方で、急に馬鹿らしい気持ちになる。昨晩、香澄を綾奈の友人とするために悩んだ時間は何だったのか。香澄の失態で得た"お願い券"を無駄にした気分だった。


「それよりも、椎名くん」


 話を切り替えるように、香澄は一音一音をハッキリと言う。そして、声を潜めて訊ねてくる。


「姫乃さんとは友人で合っている?」

「……いや、まだ違うかな。元友人で、元幼馴染、今は……単なる知人かな」

「知人なんだね」


 確認するようにつぶやき、香澄は悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「つまり、私に仲を取り持って欲しいわけだ」


 図星を指され、巧は思わず顔を顰める。対して、香澄の表情は満面の笑みだ。瞳の奥は再び輝き始めている。


「いいよ、いいよ。私が恋のキューピッド役になってあげる」

「いや、恋人じゃなくて、友人になりた――」

「――わかっているから、そんなに遠慮しなくても大丈夫。大船に乗ったつもりで、ドーンと私に任せてくれていいから」


 そう言って香澄は自分の胸を強く叩き、一人でゴホゴホと咳き込み始める。

 一抹の不安が脳裏をよぎる。人選を間違えたのではないか、そう考えるが他に当てもなく、巧は口をつぐむしかなかった。



     ◆



「姫乃さん、おはよう」


 巧と香澄が話し始めてから、十分が経過している。恐るおそるにドアを開く綾奈へ向かい、香澄が大きな声で挨拶する。

 小さく肩を跳ね上げた後、綾奈は「おはようございます」と弱々しく返事をしていた。


「椎名くんは、私に任せてくれていいから」


 香澄は綾奈に聞こえないように声をひそめ、巧へ小さく手を振って立ち上がる。そして、綾奈のもとへ駆け寄っていった。

 楽しげな香澄と困惑を露わにする綾奈、二人の表情は対照的だった。

 会話の内容までは巧に聞こえないが、一方的に香澄が話していることは遠目にも理解できてしまう。


 数十秒の逡巡後、巧はスマートグラスに手を掛け、電源スイッチをONにする。綾奈と香澄、女子二人の会話を盗み聞きするようで気乗りはしないが、今回は仕方がないと割り切る。香澄が放置した本を開いて読書する振りをしながら、レンズに映った文字を読んでいた。


『中村さん、恋愛小説が好きなんだ。今度、教えてくれた本を買おうかな』

『ミステリーも読むんだ、歴史小説は読まないのかな?』

『初めて家族以外に、名前で呼ばれたかも』

『香澄さん、と呼ばせて。呼び捨ては恥ずかしいから、ごめんなさい』


 予想外にも、香澄は距離を詰めるのがうまいらしい。覗き見た綾奈の思考は、好意的な内容で埋め尽くされていた。

 喜ばしいことだが、なんとも言えない気分になる。

 巧や瑠璃が詰められない距離を、一瞬で香澄はゼロにしてしまった。巧が見ていることに気づいたのか、香澄は得意げな顔でウインクを送った。


 小さくため息を吐き出し、巧はスマートグラスの電源スイッチをOFFに切り替える。少なくとも今は、香澄に任せても大丈夫なのだろう。


 始業開始までは、後十分ほど残っている。巧は何の気なしに香澄の本を一ページ目から読み始めた。


「……ベタベタな王道展開じゃないか」


 中世を舞台にした、平民と貴族の恋愛小説。香澄が何度も読んだのか、本には開き癖がついていた。

 退屈を紛らわせるように、巧は本を読み始める。始業ベルが鳴るまで読書タイムは続いていた。



     ◆



 終業ベルが鳴り、本日の授業が終了する。友人同士で会話を始める者、部活動の体験入部に走る者、クラスメートたちは各々の方法で放課後を楽しみ始めていた。


「椎名くん」


 帰り支度をする巧に、香澄が声をかける。顔を向けると、香澄の左隣に綾奈が立っていた。どこか不安そうな顔で、綾奈は巧を見つめている。


「部活、どこに入部するか決めている?」


 言われるまで考えもしなかった。中学時代は帰宅部だったからか、何部に入ると聞かれても即答はできない。沈黙が巧の答えだった。


「決まっていないなら、私たちと同じ部活に入らない?」


 香澄が意味深にウィンクを送る。YES以外の回答は望まれていない、そう一目で判断がついた。


「それは構わないけれど、何部に入るつもり?」


 瞬間、香澄の顔に笑みが広がっていく。そして、右手でピースサインを送る。


「文芸部だよ」


 綾奈と香澄、二人の趣味が読書ならば相応しい部活かもしれない。自信満々なわりには、無難な提案だと思った。

 しかし、全校集会で文芸部の紹介はあっただろうか。数日前の記憶を探るが、ピンとは来なかった。


「文芸部なんて、この高校にはなかったと思うけど?」

「うん、三月に先輩たちが卒業したから、四月からの文芸部に部員はゼロ。事実上の廃部状態だけれど、私たちが入部するなら、復活させてもいいみたい」

「……それ、確認したの?」

「椎名くん、見くびらないでよ。当然、確認は終えているから」


 想定通りの質問だったのか、香澄は満面の笑顔で答える。隣の綾奈もコクコクと頷き、同意を示していた。


「今年の新入生で入部希望がいたら、最初から復活させる予定だったみたい。文芸部の顧問も、去年と同じ先生がしてくれるって」

「部室もあったりする?」

「もちろんだよ! 文芸部用のパソコンとかも残っているから、すぐに部活動を始められる状態なんだ!」


 香澄の言葉に熱が入っていく。巧のお願いと関係なく、最初から香澄は文芸部に入りたかったのかもしれない。


「椎名くんは、その……文芸部は嫌?」


 それまで黙っていた綾奈が心配そうに訊ねる。瞬間、巧は微笑み返していた。

 入部が嫌なのかと不安になる、裏返して考えてみれば――綾奈は巧が入部しても問題ないと思っているのではないだろうか。

 綾奈に友人と見られていなくとも、決して嫌われてはいない。

 巧が安心するには十分過ぎる事実で、直接綾奈の口から聞けたことが嬉しくて堪らなかった。


「姫乃さんと中村さんと一緒なら、楽しい部活動になると思う。だから、俺も一緒に参加させてもらっていいかな?」

「……もちろんです。この三人なら楽しい部活動になると、私も思います」


 緊張が解れたように、綾奈は柔らかく微笑む。その落ち着いた、控えめな綾奈の表情に、巧はつい見惚れていた。

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