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010 幼馴染三人の帰り道

 文芸部室を後に、巧たち三人は帰路に就く。話題の中心は、明日からの創作活動だった。香澄は恋愛をテーマにするらしく、楽しそうに好きな恋物語を語り続けている。障害のある恋が萌える、と熱弁を振るいながら、香澄は意味ありげに巧を何度も見つめていた。

 変な期待をするな、と文句を言いたい気持ちを飲み込んだのは一回や二回では済まなかった。


 三人は同じ方角の電車に乗るが、香澄とは途中でお別れだった。


「椎名くん、ファイト」


 揶揄うような励ましの言葉を残し、香澄は駅のホームに降りる。そして、大きく手を振って、巧と綾奈の見送っていた。

 数十秒後、二人を乗せた電車が走り出す。

 隣り合って座るが、二人の間に会話はない。窓から差し込んだ夕陽で、二人の影が電車内に長く伸びている。沈黙は三駅先の停車駅まで続いていた。


「姫乃さん、降りるよ」


 巧は小さく声をかけた後、ホームに向かって歩き出す。その一歩後ろを綾奈はついて歩いていた。

 昔とは違い、綾奈は巧と横並びで歩いてはくれない。

 改札口を抜け、巧と綾奈は家路を目指す。二人の家は同じ方角にあり、巧が帰る道中に綾奈の家があった。


「中村さんは恋愛小説を書くみたいだけど、姫乃さんはどうする?」


 駅から出ると同時に、巧は顔だけ振り返って訊ねる。綾奈は考え込むように黙り込んでいた。


「姫乃さん?」


 もう一度名前を呼ぶと、綾奈は慌てて顔を上げる。巧の話を聞いていたようには見えなかった。


「ごめんなさい、あの、何て言いましたか?」

「……いや、たいした話ではないんだ。それより、言いたいことでもあるの?」

「いえ、言いたいことなんて……」

「中村さんと別れてから、急に黙り込むし、チラチラと俺を見ている。入学式の後、二人で一緒に帰ったときとも様子が違うから、何もないとは思えないんだよ」


 綾奈から会話を振ることは多くはない。それでも、巧が話かければ、言葉少なに返事はしていた。しかし、今日は違っていたのだ。

 二人の足は止まる。巧は身体ごと綾奈へ向け、スマートグラスの電源をONにしていた。


「話があるなら聞くからさ、俺に教えてくれない?」

「……本当に、何でもないから」


 小さく綾奈は答えた後、逃げるように顔を背ける。巧はグラスに映った文字を読んでいた。


『椎名くん、本当に瑠璃さんと付き合っているのかな?』


 姉の交際相手がクラスメートとなれば、気になるのも当然だろう。ただ答えるか否かは、考えものだった。なぜ心を読んだようなことを言うのか、と不気味に思われるかもしれない。

 どう話すべきか、巧は思考を巡らせる。しかし、数秒経っても明確な答えは出せなかった。


「綾奈! 巧くん!」


 唐突な声に、巧の思考は途切れる。誰の声かは顔を見なくともわかる。毎晩の連絡会で聞き慣れた、瑠璃の元気な声が響いていた。


「二人は一緒に帰っているの?」

「……ごめんなさい」

「どうして綾奈が謝るの? 巧くんとはクラスメートなんだし、二人が仲良しなら、それはとっても良いことだと思うんだ」


 足早に近づき、瑠璃が綾奈の横に並ぶ。小柄な瑠璃よりも十センチほど綾奈の方が背丈は高かった。


『どうしよう……椎名くんと一緒に帰ったら、やっぱり嫌だよね……』


 レンズの文字を読んだ瞬間、巧は動いていた。


「瑠璃さん、ちょっと……姫乃さん、少しだけ待っていて」


 二人に声をかけた後、瑠璃の腕を引いて綾奈から遠ざかる。瑠璃も「待ってて」と綾奈へ明るい声で告げていた。

 近くのベンチに座った綾奈は学生カバンから文庫本を取り出す。そんな綾奈が視界に収まる距離で、巧は瑠璃と向かい合った。


「どうしたの、巧くん?」

「どうしたもこうしたも……綾奈に誤解されています。どうするんですか?」

「誤解? ああ、私と巧くんが交際していること?」

「……瑠璃さん、揶揄っています?」


 口元をニマニマと緩める瑠璃に、つい言葉尻が強くなる。


「ごめん、ごめんね。でも、巧くんが彼氏とか、ちょっと不思議な気がして」


 そう言って瑠璃は「昔は私よりも小さかったのに」としみじみつぶやく。優しい眼差しに、巧は毒気を抜かれていた。


「綾奈は瑠璃さんに遠慮して、俺と二人になることを嫌がりそうですよ」

「それは、困るね。私からも話はするけれど……」

「瑠璃さん?」

「……巧くんは、綾奈の恋人になりたいのかな?」


 表情を引き締め、瑠璃がズイッと一歩近づく。思わず瑠璃の腕を掴んでいた手を離していた。


「ねえ、巧くん。私は巧くんなら――」

「――瑠璃さん!」


 瑠璃の身体が大きく跳ねた。


「恋人になるつもりはありませんから……だから、誤解しないでください」

「私が最初に怒ったことなら、もう気にしなくてもいいんだよ。巧くんに八つ当たりをして、私も逃げたんだから……本当は、私に巧くんを責める資格はないこともわかっているし……巧くんは綾奈に恋をしてもいいんだよ?」

「これは、俺が決めた"けじめ"だから、瑠璃さんのことは関係ありません」


 巧は強く言い切った。瞬間、瑠璃は痛ましげに顔を歪める。そして、トンと巧の胸元を力なく叩いた。


「綾奈の前で、私と恋人ごっこをするけれど……巧くんは、本当にいいんだね?」

「……構わないです。瑠璃さんの恋人役なら喜んでしますよ」


 何度も訊ねるのは、瑠璃の優しさなのだろう。考え直して欲しい、そう願っているのは表情から察せられる。だが、巧に考えを変える気はなかった。

 綾奈に巧は相応しくない、それが巧の考えだった。

 事故の遠因を作ったのは変えようもない事実だ。綾奈と喧嘩さえしていなければ、事故に遭わなかったかもしれない。巧は自分自身を許せなかった。


 胸を叩いた瑠璃の手をそっと両手で包み込み、ゆっくりと下ろす。滑り込ませるように、巧は瑠璃と手を繋いだ。


「瑠璃さんは共犯者ですから……最後まで付き合ってくださいよ?」


 繋がった手をまじまじと見つめる瑠璃に、揶揄うような口調で告げる。瑠璃が力一杯に握り締めるが、正直に言って全く痛くはない。巧は繋いだ手を優しく握り返した。


「巧くん……私の方がお姉さんなんだけど?」


 握る力を弱め、瑠璃が困った顔で訊ねる。


「知っています。でも、俺も男なんですよ。瑠璃さんは余計な心配をせずに、俺を利用してくれればいいんです。俺を巻き込んだなんて、そんなつまらない考えは捨ててください」


 不思議と口から言葉がスルスルと飛び出していく。瑠璃に向けた言葉は、巧自身の心にも届いていた。

 綾奈も心配だが、瑠璃も心配――たった、それだけのことだった。

 綾奈と瑠璃、二人ともが巧の幼馴染で、二人とものことが心配なのだ。だから、瑠璃が"巧と恋人関係"だと綾奈に嘘をついたことも、怒る気になれなかった。綾奈のために吐いた嘘を、瑠璃自身が悔やんでいるのだから。


「バカだね、巧くんは」

「知っています」

「本当に、バカなんだから……」


 泣いているとも、怒っているとも、呆れているとも聞こえる声。巧を見上げる瑠璃の顔は笑っていた。


「綾奈のところに行こっか」


 瑠璃は手を繋いだまま、前へ前へと歩き出す。その一歩後ろを巧が続く。巧が瑠璃の身長を追い越した今も、お姉さんぶった瑠璃の背中にはどこか安心感がある。

 しかし、いつまでも甘えてはいられない。

 巧は大きく一歩を踏み出し、瑠璃の前を歩く。もう瑠璃の背中を見つめるだけは嫌だった。

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