表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

001 幼馴染の再会

 高校の合格発表だったその日は、天気が芳しくなかった。それでも、合格掲示の前には人だかりができている。色とりどりの傘が花開いていた。

 歓喜の声も、悲哀の声も、まとめて雨音に掻き消されて薄らいでいる。合格掲示から遠ざかっていく少年――椎名巧の足音も消されていた。


 その後に行われた、合格者説明会は退屈なものだった。各中学校の制服を着こんだ男女が、浮足立った様子で教室の椅子に座り、一時間あまりの説明を受ける。合格の余韻を引き摺っているのか、真面目に教師の説明を聞いているとは到底思えなかった。


「……退屈だな」


 説明会が終わり、校舎から飛び出していく学生たちを見ながらつぶやく。合格者たちが教室から出てくるのを待っていたのか、保護者と思しき父兄たちに大半の学生が迎えられていた。


 迎えのない学生たちは、早くも友人を作って並んで帰っている。四月から始まる高校生活を見据えて、友人づくりに余念がない。ポツンと一人きりで過ごす学生を探す方が難しかった。


 雨脚は弱まるどころか、強まっているように見える。

 いつの間にか教室に残る、最後の学生となっていた。不意に、ポケットに入れていたスマートフォンが震える。


『合格おめでとう!』


 そんな祝福の言葉が、両親から届いていた。共働きで忙しいながらも、気にかけられていることは嬉しい。塞ぎ込みがちな、面倒な息子である自覚があるだけに、両親には感謝しかなかった。


 簡単に返信を行った後、入学資料を入れたリュックサックを背中に担ぐ。志望校合格にも関わらず、気持ちは少しも明るくはならなかった。それは、巧自身に高校合格へかける理由がないからかもしれない。


 暇だから勉強をしていただけで、入学を希望する特段の理由はない。両親に進められるままに、受験校を決めただけだった。やけに勧めてくるのが不思議だったが、期待に背く理由もなかった。

 なんとなく入学しただけだから、なんとなく高校生活を送り、なんとなく卒業して大学に進学する。それが、これからの高校三年間だと思っていた――。


「綾奈?」


 思わず口から飛び出した言葉に、巧自身が驚いていた。


 親同士の付き合いで物心がつく前から一緒にいた幼馴染。最後に会ったのは五年前で記憶も朧げになりつつある。それでも、直感的にわかってしまった。廊下の窓から見つめた先には、一人の女性が立っていた。


 玄関に向かって歩いていた足は止まり、窓から女性の姿を眺め続ける。

 女性は傘を開き、キョロキョロと視線を彷徨わせていた。数秒後、大きく頭を下げる。その視線の先を見ると、同じく傘を差した小柄な女性が駆け寄っている。手を振りながら近づいていた。


「瑠璃さん……」


 口から言葉が衝いて出る。これまた五年前までは、頻繁に顔を合わしていた相手だった。つまり、二人ともが幼馴染だった。

 懐かしさか、それとも過去の後悔だろうか。

 吸い寄せられるように、足が勝手に動いていた。廊下の窓に近づき、二人の様子を目に焼きつける。


「――ッ」


 瑠璃と視線が交わる。瞬間、和やかに笑っていた表情は、怒りを孕んだ顔つきに変わっていった。

 慌てた様子で瑠璃は表情を戻し、綾奈に話しかけている。

 数十秒後、綾奈が一人で校門に向かって歩き始めた。その様子を見送った後、瑠璃が校舎に向かって歩き出した。


「……怒っているよな」


 瑠璃が怒る理由に心当たりはある。この点に関しては、どんな叱責でも受ける覚悟があった。

 処刑台に赴く罪人のような、重い足どりで玄関へと向かう。巧がたどり着くよりも前に、怒りを隠しもしない瑠璃と出会った。


 五年前と背丈もほとんど変わっていないように見えた。目の前で立ち止まった瑠璃は小さく背伸びをする。そして、思いきり右ストレートを繰り出していた――。


「――綾奈は、巧くんのせいでおかしくなった。それなのに……どうして、巧くんは平気でいられるの! 綾奈に、妹に……謝ってよ!」


 開口一番、瑠璃は叫ぶ。巧を見上げる眼差しは、怒りで満ち溢れている。

 殴られた左頬がジンジンと痛んだ。


「すみません」

「謝る相手は、私じゃない! 謝るのなら、綾奈に直接謝ってよ!」


 一息に叫んだ瑠璃は、大きく息を吸い込んで呼吸を整える。固く握り締めたままの右こぶしを見つめ、巧は思わずつぶやいていた。


「一発でいいんですか?」


 巧の身長は百七十センチに届くかどうかで、決して強靭な体格をしているわけではない。ただ、瑠璃の身体が小さかった。百五十センチにも満たない小柄な体躯から繰り出された右こぶしは、巧を殴り倒すほどの強さはない。巧を軽く仰け反らせるのが精一杯だった。


「十発殴っても、百発殴っても、私の気持ちが少しも晴れないことくらい、簡単に想像できない? 私は、巧くんに怒っているんだから」

「綾奈のことは、本当にすみませんでした」

「だから、私に謝らないでよ。……でも、綾奈に悪いことをした自覚はあるみたいだね」


 会話をする中で正気に戻ったのか、瑠璃の声から勢いが失われていく。しかし、睨みつけたままだった。


「この後、私に付き合ってもらうから」


 断定口調で言った後、瑠璃が強引に手首を掴んで歩き始める。抵抗しようと思えばいくらでもできた。ただ、抵抗する気は全く起きなかった。



     ◆



 五年ぶりに訪れた、幼馴染の実家。自分の立場も忘れて、懐かしさに涙が出そうになった。空気感とでも言うのだろうか、どこか優しい雰囲気が好きだった。

 傘についた雨粒を払う瑠璃に倣い、巧も開いていた傘を片づけていく。校舎を出てから瑠璃の実家に到着するまで、二人の間に会話はなかった。


「入って」


 短く促されるままに、靴を脱いで玄関に上がる。

 すぐに瑠璃が先導するように前を歩き出す。家の様子も昔と同じだった。


「少し待っていて」


 リビングに着いた後、ソファーに座らされる。瑠璃は足早にリビングを出て行ってしまった。




 一分が経過する頃、瑠璃が再びリビングへ姿を現す。その手には、メガネケースが握られている。

 巧が何か言葉を話すよりも先に、瑠璃はソファーに座る。二人は横並びになっていた。


「巧くんは……綾奈のこと、どれだけ聞いている?」


 意を決したような口調だった。その視線は、手元のメガネケースに向いている。


「すみません……俺は……」

「いいよ、なんとなく予想はしていたから。でも、事故に遭った幼馴染のお見舞いもしないのは、どうかと思うんだよ」

「……すみません」


 謝ることしかできない。事故の遠因となった事実から逃げ出したくて、血濡れた綾奈の姿を思い出したくなくて、顔を合わせることができなかったのは否定しようのない事実だった。


「綾奈ね、記憶喪失になったんだ」


 感情を押し殺した平坦な声。聞こえた瞬間、巧は瑠璃を凝視していた。


「事故より前のことが、何も思い出せないみたいなの。私のことも、お父さんやお母さんのこともそうだし……巧くんが幼馴染だったことも同じだよ」


 記憶喪失――言葉の意味は理解できるが、現実味を感じない。

 瑠璃に嘘をつく理由はないのだから、きっと事実なのだろう。しかし、どうにも真実と認識することができなかった。


「信じられない?」

「いえ、そう言うわけでは――」

「――いいよ、気を遣わなくて。私だって、初めは信じられなかったから」


 そう言って瑠璃は小さく笑う。再会してから初めて見る笑顔は寂しげだった。


「これ、かけてもらえる」


 メガネケースから取り出されたメガネを、瑠璃は手渡してくる。


「俺、目は悪くないので……」

「それは、大丈夫だよ。これ普通のメガネと違って、レンズに度数は入っていないから。医療用のスマートグラスだから、視力のことは気にしなくてもいいの」

「それでしたら、貸してもらますか?」

「ちょっと待ってね、電源をONにするから」


 瑠璃がフレーム横にある電源スイッチをONに切り替える。

 手渡されたスマートグラスをかけてみる。見慣れないフレームが視界に入ることに違和感を覚えるが、それだけだった。


「伊達メガネと何も変わらない?」


 図星を指され、巧は曖昧に頷く。


「そのスマートグラスにはね、特別な機能がひとつあるの。でも、それ以外の機能は何もないから、基本的には伊達メガネと変わらないんだよ」

「何なんですか、その機能って?」

「それはね――」


 巧の問いに答える直前、唐突に瑠璃が立ち上がる。思わず巧もソファーから立っていた。


『瑠璃さんの友達?』


 急にレンズに文字が浮かび上がる。瑠璃の視線を追った先には、どこか強張った表情をした幼馴染の姿があった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ