021 極光
「痛いでしょうッ!これが!これが、貴方の歪めてしまった愛の痛みですううう!」
フィイケルマンの長い手足から繰り出される瞬打になすべなく打たれ続けるイシュト。怒涛のラッシュを振り下ろすハンマーパンチで決めると、最後は瞬間的に移動してイシュトに体当たりをぶちかます。それをもらいクイーンの肉壁に激突するイシュト。バチンっと嫌な音を弾かせて当たる肉壁というのはこれだけの質量があれば普通に痛い、クッション性などなかった。完全に全身打撲になったイシュトは動けなくなりその場に崩れ落ちる。
が、フィイケルマンもまた行動不能に陥っていた。スタミナ切れである。
しかしなるほど、フィイケルマンは瞬間移動をしているわけではない。それだとイシュトを弾き飛ばすことができない。細身の体で筋肉量は並となれば、最初の一歩に瞬間的に魔力を籠めて視認できないスピードを生み出していることになる。
「ぐぅ…」
「ふー…思い知りましたか。わたくシィにも伝わってきましたよ、貴方の愛の強さが。おかげで腕が使い物になりません」
殴る方も拳が痛いというやつだ。フィイケルマンには止めを刺そうという意思はないようで、勝負はついたと言わんばかりに背を向ける。そのまま端まで歩いて行くと、飲みかけのワインを口に含んだ。
『完全にナメられておるな。イシュトよ、動けるか?』
(…めちゃ痛てぇって。ぅぅ…あのクソ悪魔が…)
『この程度の相手に後れを取るとは情けない』
(うるせー…、魔力さえあれば何とかできたんだ)
黒剣はイシュトの魔力を吸い上げて不浄の力を放出している。全てを呑み込む黒い光は使えば使った分だけ魔力を消費することになる。先ほどの村でのゴブリンを一掃した時にほぼ魔力は使い切っている。ここまで移動するのにエアホッパーを使ったのも残りの魔力が少ないからだ。
動けないなら黒い光を、そう思うのだが光を走らせるには魔力が足りない。手足のリーチが長く、近距離戦闘は現実的ではない。間合いを一気に詰められてはどうしようもないが、黒剣による遠距離攻撃に勝ちの目がある。
「運動の後の一杯というのも格別、えーと、あー、そうでした。愛好家の方、そういえば貴方のお名前を聞いておりませんでした。これは無礼に当たるというもの、どうぞ名乗って下さいませ」
そう言ってワインを搾る。両の手に収まるほどの肉塊を搾ると嫌な音とともにグラスに血が満ちていく。
「んふぅ、酔ってしまいそうです。人間の間ではワインは年代物が価値があり、美味であるとされているそうですね。ですがわたくシィは若い者が好きですね。芳醇な香りとほどよい甘さが喉に絡みついて最高じゃありませんか。一度老婆を試してみましたが、とても飲めるような代物ではありませんでした。やはり至高は赤子です。愛好家の方は混ざり物ですが、はてさてどちらがお好みなのです?…ああ、返事がありません。息をしているように見えますが、もしや呼吸しながら死にましたか?」
それともやはりゴブリン愛好家には耐えられない所業だったのか。未だ起きる気配もないのは元気のない証拠。致し方なくフィイケルマンは残しておいた頭を共に寝かせてあげることにした。赤子をあやすための人形のようなものだ。この搾りカスがゴブリンでないことを申し訳なく思いながら、優しく抱いてイシュトへと届ける。
「ららら~ら、うらら~ららは~。おや?」
ステップを踏みつつ、軽やかに着地した地面が漆黒であることに気が付いた。
地面全てが暗黒、例外なく黒い光の大地には黒剣の持ち主以外は立つことが許されていない。
「びゃああああああああ~~っ、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしててってててててててって!!」
イシュトが立ち上がる、黒剣を地面に突き立てて不浄で世界を穢していく。
「どうして貴方が!どうしてその魔力を持っているのですッ!!」
怨敵を睨むように血の涙を流しながらフィイケルマンが叫ぶ。底なし沼に沈んでいくように足元から呑まれていく。
イシュトから溢れているのは黒にも似た紫の魔力。かつて魔族の王が持っていた純粋な魔族の魔力だった。
「それは魔王のッ、ぎぃぃぃッ!!魔王様のぢがらあぁあああぁっ!!」
「教えてやる義理はねえよ」
イシュトが黒剣を振るう、沈んでいくフィイケルマンの脳天から真っ直ぐに振り下ろすと初めから2つだったかのように綺麗に左右に分かれて絶命した。黒い大地が一切の痕跡を残さず呑み込んでいく。
クイーンの死骸も繭のような巣も周りの草木も全て呑み込むと黒剣は光を放出するのをやめた。
汚染された大地の中心でイシュトただ一人。
(どういうことだベルクヘルゼム)
『何がだ。我のおかげで命拾いしたではないか、感謝せよ』
(今の魔力、軽くエルディアを超える魔力量だったぞ。弱り切ってて何もできないんじゃなかったのかよ)
『我は魔王だぞ、魂だけの存在になったとはいえこの程度当然であろう』
イシュトから放たれたのはベルクヘルゼムの魔力だった。魔王の魔力が黒剣から力を引き出した。実際、己の魔力は枯渇して為す術のない状態ではあったがそれで感謝するほど単純ではない。
問題は魔王を身体に宿していて安全なのかということだ。魔王は復活しない、何もできない。だからこそ新たな生活の仲間のような、ペットができたような感覚で自身の問題を保留しようなどと思えていた。
実は魔力も順調に回復していて、いつでも身体を乗っ取れるなんてことになったら、自害することも視野に入れておかなければならなくなる。
『都合のよい解釈はやめておくのだな。我が魔力を譲渡せねば今頃死んでいたのは貴様の方であったかもしれぬだろう。それに我が魔力を扱えば分かっただろうが、純粋な魔族ではない貴様には我の魔力は毒にしかなり得ないであろう。それでは我が肉体には到底相応しくはない、最初から無理な話である』
(確かに、俺の内側までボロボロだ。1しか流れない水路に無理やり10流したみたいな、どのみち痛てぇ。助かったのは事実だけどベルちゃんとの付き合い方をちゃんと考えないといけないかもな)
『ふん、もっと我を信頼して良いぞ。不敬だが特別に許そう。こうして憂いも一つ晴れたしな。貴様が死ねば我も死ぬのだ、危機が訪れれば分不相応な力も貸すというものだ』
(そうか…まあ、助かったぜ。ありがとうな)
『して、これからどうするのだ?ゴブリンを1匹ずつ殺していくか?』
(それだな…。とにかくカーム領のギルドへ向かうか)
結果的に成り行きでゴブリンの巣もクイーンも駆除できてしまった。これで案件は片付いてしまったことになる。しかし、どれだけの数のゴブリンが野に放たれたかは不明だ。
ベルちゃんの魔力がまだ体に残っている。身体強化の魔法をかければエアホッパーでさらに速く移動もできそうだ。
(道中に見かけたゴブリンは斬る、ゴブリンが目指している先が俺たちの行かなきゃならん所だ)
まずは街道まで戻る。ちらほら見かけるゴブリンは黒剣から放たれる黒い雷で消失していく。よほど魔王の魔力と相性が良いのだろう。今はイシュトの意思で斬らずとも黒い光を操れる。
『ふむ、時にイシュトよ。我が城から持ち出した品々を覚えておるか』
(ああ、それがどうかしたのか?)
『その中に下級悪魔を使役できる笛があるはずだ。ゴブリンを統括することも容易いだろう』
(マジか、何でもっと早く教えないんだよ)
街道を走るゴブリンたちを消すのを止め、魔法の鞄から笛を取り出す。念じれば見た目が分からなくても
取り出すことが可能なのだ。取り出したのは横笛だった。金属で出来ているようで、音階を変えるのは穴ではなく押し込み式になっているようだ。
イシュトが試しに吹いてみるとフスゥーと空気が抜ける音がする。
(吹けない…)
『構わん、芸術は求めておらんからな。笛の音に魔力を乗せるのだ。魔笛が魔力を増幅させて特殊な音波を生み出す、やってみよ』
「ぷぴー、ぷすすす、ぽぴーひぃーー…」
「ギャギャギャ?!」
明らかにゴブリンたちの様子がおかしい。魔笛の音色に当てられて、従順な姿勢を見せている。
(感動した!)
『うむ、上手くいっているようだな。このままギルドを目指すのだ。我の魔力で吹いておるのだ、音色はかなり遠くまで届く。ゴブリンたちがギリギリ追いつけない程度の速度ならずっと管理下においておけるだろう』
(よし、町の手前まで集めに集めて、そこで黒剣で一掃する!)
この方法ならほぼ全ての爆発ゴブリンを駆逐できるだろう。ぎこちなく魔笛を奏でながらイシュトはギルドを目指した。
******
「町の奥へ避難しろぉー!」
「戦える者は外門の前に集合ー!!」
カーム領のギルドのある町、グリエッタでは怒号が響いていた。警鐘を鳴らす音もけたたましく鳴り響いている。魔物の襲来に町は恐怖に包まれていた。
爆発するゴブリンが出た。そんな噂のようなものが出始めたのはゴブリンの巣が見つかった頃だったろうか。
誰もがそんなものいるものかと馬鹿にしたが、それは実際に何人もの命を奪うこととなった。
新種のゴブリンとして認知されたそれは今は亡きフィイケルマンの置き土産である。
「クソっ、王都からの救援は間に合わなかったか」
「いや、もしかすると途中でゴブリンに襲われたかもしれねえ。俺たちだってゴブリンが爆発するなんて最近知ったんだ。この情報はまだ王都には届いちゃいねえ…」
「ちくしょう」
門の前には町の自警団と冒険者、そして一般人で腕に自信のある者が集合していた。
まだ距離はあるがゴブリンの大群が町を目指して押し寄せてきているとの情報があった。
「見ろッ!」
誰かが叫んだ。前方にうねるように黒い何かが見える。黒い何か、いやあれは、あれはゴブリンだ。あまりの数の多さによく分からない何かに見えているだけでゴブリンの大群が押し寄せてきているのだ。
「何て数だ……」
「神よ…」
その数は推定7000匹、もはや神に祈る以外に何ができようか。
絶望
どこか安心していた、所詮はゴブリンだと。大群などと言っても所詮はゴブリンだと。
町を捨ててでも逃げれば良かったんじゃないか。ここに立っていること自体間違いだったと。
「馬鹿野郎!数に圧倒されんな!俺たちがやらなきゃ誰が町を守るんだ!」
「でも、この数は…」
「い、今からでも遅くねえ!逃げるんだよっ、町は諦めればいい!命さえあればまたやり直せるっ」
「ふざけたこと言ってんじゃねえ!」
「でも」
「しかし」
「死にたくない」
動揺が人々の中に渦巻く、これでは戦いにならない。数の暴力の前に踏みつぶされる小さな虫けらたち、それが人間なのだ。
「見ろ!ゴブリンだけじゃねえ!フォレストウルフ、グレートボア、メタルアント、ありとあらゆる魔物が一緒になってやって来てる!」
「どうなってんだ?!」
「あれは!」
魔物の大群の先頭、まるで全ての魔物をを率いるかのように人の形をした何かが飛び跳ねている。
黒い髪、死んだような灰色の瞳、何か音色を奏でながら男が先頭を進んでいる。
「まさか、魔笛の悪魔。実在したのか……」
「知っているのか、爺さん!」
「絶望じゃ、絶望がやって来おったッ!!」




