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愛さずにはいられない  作者: 松澤 康廣
マイ ファニー 
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 河井家の門の前に河井の細君が、まるで門を塞ぐかのように立っていた。


「お聞きしたいことがあるのですが、お時間をいただけないでしょうか」と細君は言った。

「構いません、どういうことなんでしょうか」

 私は少し、戸惑った。

 言葉がうまく出なかった。

「河井には知られたくないので、どこか別の場所に移動したいのですが……。私の自動車くるまで移動していただけませんか」

 懇願するような目になった。

 私は話の内容が尋常ではないことを察知した。

 戸惑いは拡大した。

「自転車で来たので、一旦、自宅に戻りたいのですが、それではだめですか」と私は言った。

 細君は少し時間を置いてから新たな提案をした。

「分かりました。それではそうしましょう。私は先にお宅まで行って、待っています。お宅の駐輪場の横の道で待機します」


 15分ほどで、自宅に戻った。

 約束どおり、細君の自動車くるまは駐輪場の横に止まっていた。


 事前に決めていたに違いない。

 迷うことなく、自動車くるまは20分ほどして、藤沢市用田のBというカラオケ店の前で止まった。

 細君は受付の若い男に用件を伝えた。

 私は黙って、後ろに従った。


 個室に通された。

 テーブルに向かい合って、座った。


 暫くして、先ほどの男が烏龍茶を運んできた。

 細君はすぐにストローに口をつけて、飲み始めた。

 私は細君の言葉を待った。


「主人のことなんです。主人は今、何を調べているのでしょうか。いえ、主人は何か悩みを抱えて、苦しんでいるはずなんです。心当たりはないでしょうか」と細君は言った。

「苦しんでいるとは尋常ではないですが……。反対にお聞きしたいのですが、そうお思いになる何かがあったのでしょうか?」

 私は細君が考える苦しみのレベルが知りたかった。

 その深刻の度合い度で、私の返事を決めようと思った。


「最近、また、主人はよく泣くようになったのです。私にはその理由は主人が調べていることにあるとしか思えません」

 思ってもみないことを細君は口にした。

「泣く?河井が泣くんですか。あなたの前で泣くって……。理由は言わないんですか。いえ、あなたは聞かないんですか?」

 ただ思ったことを私は言った。

「私の前で泣くのではありません。夜、泣くんです。隣から、聞こえてくるんです。泣くって言っても声を出しているわけではありません。鼻をすす)る音が聞こえるんです。あと、僅かですが、嗚咽(おえつ)が……」

「どうして、聞かないんですか。本人から聞けば済む事ではないですか。泣くなんて尋常ではないですから、奥様が聞いたとしても不思議ではないでしょう。いえ、当たり前だと思うんですが……」

「聞いたとしても、主人は言わないでしょう。主人は本当のことは何一つ言わない人なんです」

 細君は言い終わると、力なく頭を垂れた。

 

 私は少し間を置くことにした。詰問調に言い放つ自分を恥じた。


「泣きたくなることは私でもありますが……。先ほど、またって言っていましたが、またってどういうことなんですか?できれば、詳しくお聞きしたいのですが」


 細君は顔をあげ、落ち着いた口調で話し始めた。


「結婚して、直ぐに、今と同じことが続いたことがあったんです。そのとき、私は聞きました。でも、主人はなんでもないといって、答えないんです。なんでもないはずはないんです。あの時は、(うな)されてもいましたから」

 そう言うと、細君はまた、頭を垂れた。

 私は苛立たしい気持ちになった。

「そのことをまた、思い出したということなんではないですか。今、河井が調べていることは昔の幸田村のこと、幸田村が誕生したころの河井家と太田家のことで、いくらなんでも、泣くほどのこととは考えられません。河井はそのころのことを小説にしているみたいですが、それを書くのに苦しんでいるのかもしれませんが、奥様が心配するほどのこととは思えません」

「あれ以来、ずっと無かったんです。私が主人に泣く理由を聞いてから、主人が泣くことはなくなりました。私に心配をかけたくなかったからだと思います。それから、ずっと無かったんです。今、急に思い出すなんて考えられないんです。いや、あなたが言うとおり、理由は同じかもしれません。でも、それなら、そうなるきっかけがあったはずなんです。思い出すきっかけが」

 細君は強く反発した。

「私には分かりません。奥様が聞くしかないと思います。今度は教えてくれるかもしれませんし。聞いてみてはいかがでしょうか?」

 私も強い言葉で返した。

 私に期待されても困ると思った。

「主人と私の関係はそういうものではないんです。私は何一つ主人のことが分かっていないのです。何一つ……」

 細君の目から、涙がこぼれた。

 私は動揺した。


 暫く、沈黙が続いた。

 私は言葉を失った。


「ご面倒をおかけしました。もうご迷惑をおかけすることはないと思います」

 細君は鼻に手をあてながら、私の方を見ることなく、ぽつりと言った。

 

「お役にたてなくてすみません」と私は返した。


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