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悲惨な過去かもしれないが、三郎は特別不幸なわけではない。どの家にも同程度の不幸を地震は齎した。
そして、その後の、三郎は恵まれた。
彼は叔母夫婦に引き取られた。
叔母の家は、明応4年の地震で倒壊はしたが、死人もけが人もなく、津波の被害にもあわなかった。海からは距離のある、熊野川からも遠く離れた地に家はあった。山沿いの地ではあるが、それなりの農地を持った農家だ。
「どうせ、立て直すつもりだった、粗末な家だったから、ちょうどよかった」と叔母は7歳になった三郎を引き取る時に話してくれた。
「家も広くなったし、気にすることはない」
叔母の夫も賛成した。優しい夫婦だった。年老いた祖父も祖母も優しかった。三郎は何不自由なく暮らすことができた。
三郎は叔母にとっては自慢の「子」だった。
叔母には三郎より3つ上の喜助という長男とその上にあやとつねという二人の娘がいたが、その三人の前で三郎はよく褒められた。
「三郎は決して弱音をはかない。母さんも父さんも兄さんも、家族みんなを亡くしたのに、ちっとも辛そうにしていない。見習いなさい」
三人の「兄姉」はきっと面白くないこともあったと思う。喜助がこんなことを言ったことがあった。
「自分で選んだわけでもないのに、親がいないからって、サブは褒められて、同じことしても俺は褒められない。自分の力ではどうしようもないことを理由にして、差を付ける、こんな理不尽なことあるか」
喜助の気持ちがよく分かった。喜助の表情を見ると、それが本気であることがよく分かる。でも、喜助もその理屈が大人に通用しないことは承知しているだろう。
喜助は正しいことを思っているのに、どうして通用しないのだろうと三郎は不思議に感じた。
喜助がそう思ったとしても、三郎との関係に齟齬はなかった。三人の兄姉に三郎は大切にされた記憶しかなかった。
だれもが不幸を抱えている。希望が見いだされたら……。それだけを聞きたくて集まっている。
全ての者たちが弁士の話に心を動かされている、三郎はそう感じた。
夏の暑い日だった。人々の汗と熱気が重なり異様な空気があたりに充満していた。三郎の心も高揚した。
巨大地震で家族も家も失った三郎に、選択の余地はなかった。
いつまでも甘えてはいられないと三郎は思った。いや、それ以上に、何かをしたいと思った。三郎は16歳になっていた。焦りもあった。
三郎の心が定まるのにそう時間はかからなかった。相模の地は希望のみを与えた。
三郎は決意を叔母に話した。
もう十分お世話になったということ、死んだ父も母も兄たちもきっとそうしろと言うと思うということ。
叔母も叔父もひきとめはしたが、三郎の決意が翻らないことを悟ったのだろう。慰留を続けなかった。
三郎はそれを有難く感じた。「怖いことなど何もない」三郎は何度も心に言い聞かせた。




