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愛さずにはいられない  作者: 松澤 康廣
この素晴らしき世界
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 なんとなく、藤堂とうどう由紀子なら志穂の母になれると思った。いつか、由紀子と河井は出会うかもしれないと思った。樫村は漠然とそれを願った。しかし、そのために樫村は何かすべきではないと思った。自然にそうなっていけばいい。

 大学生になって、K学園にボランティアで来るようになったある日、由紀子が河井のことを聞きに来た。あの男の人は誰に会いに来てるの、と言った。ここに来ている子の親はめったに面会に来ることはない。由紀子はそのことをよく知っていた。


 由紀子の母親は夫に従って由紀子がここに入るときにきただけで結局その後、一度も来なかった。父親は毎月来たが……。

 由紀子は父親の連れ子で、母親は継母(ままはは)だった。母親も再婚で父親と結婚したとき、由紀子より二つ下の女の子がいた。子連れ同士の結婚だった。

 父親の話では最初から、由紀子は母親に(なつ)かなかったという。そのとき、由紀子は小学校に上がったばかりだった。そのうち、うまくいくと父親は考えていたらしい。その後、両親に子供が生まれた。それも3人も。母親は生まれた子供にかかりきりになる。由紀子が孤立するのは目に見えていた……。

 頼りの父親はいわゆる企業人間で帰ってくるのも遅い。頼りにもならない。

 由紀子は小学校3年生で最初の家出をした。そのとき、母に殴られた。父親はそれを知らない。

 それから、何度も家出をした。友達の家で、由紀子はそのお母さんに「家に帰りたくない。お母さんにいじめられる」と訴えたりもした。

 そのうち、由紀子は万引きもするようになった。コンビニでパンを万引きした。店員に捕まった時、「家にだけは連絡しないで……。殺される」と言った。母は継母で、いじめられている。食べ物もくれない。だから、パンを万引きした、と由紀子は弁解した。

 これはK学園で生活をし始めてから6か月後に由紀子が話したことだ。

 中学生になって、親に不満をもつ同級生と4人組を作って、万引きを繰り返した。学校が困って、4人をバラバラにすることにした。二人は親が信頼できるという理由で学校が引き取った。一人は祖母が引き取ることになって転校した。そして、由紀子はK学園にきた。K学園にきたとき、母親はいつまで、ここにいられるかと聞いた。樫村は答えた。由紀子さんが更生して、そして、ご両親が引き取りたいと思ったら、彼女はここをでることになります、と。樫村は感情を入れず、事務的に答えた。

 他の子と同じように由紀子も親の元に帰ることはないなと思った。たとえ、由紀子が更生しても……。

 母親は言った。あの子が変わるなどとは考えられない。ここで変われたとしても、私との関係は変わらない。ここが彼女の居場所になることを私は期待しています、よろしくお願いします。

 母親はその後一度もここに来なかったが、父親は違った。毎月来て、ここで由紀子と面接した。

 そのことが由紀子にプラスになるとは思えなかった。由紀子は父親が継母と別れて自分と二人で暮らすことを望んでいた。しかし、父親には母親との間に3人も子がいる。由紀子の期待通りにはいかない。

 樫村は別れる気がないなら、由紀子に会いに来るべきではないと思います、と父親に言った。

 父親との生活を夢見ているうちは、由紀子は更正できません。それが不可能という姿を見せてやってください。その代わり、父親の役割は果たしてもらいます。由紀子は中学校卒業までここで暮らすことが出来ます。特例として、ここを出ても引取先がない子は高校生までここにいられます。できれば、その生活費を出してください。由紀子さんはさすがあなたのお子さんだ。頭のいい子だ。ただ学習に気持ちが向かっていないだけです。やれば出来る子です。気持ちが前向きになれば、大学も夢ではないと思います。そうなるためには、精神的にはあなたを切ること、物理的にはお金が必要です。その両方を父親として由紀子さんのために果たしてほしいと言った。

 その場では父親は同意しなかった。

 翌月、父親はK学園に来なかった。その代わり3万円が入った書留と約150万円が入金された由紀子名義の通帳と印鑑が入った小包が送られてきた。

 手紙もあった。

 そこにはもう会わないと決めました。約束は守ります。今まで由紀子名義で貯めた通帳、そしてこれから毎月3万円を送ります。それで何とか由紀子を幸せにしてください、と書かれていた。

 由紀子にも樫村は覚悟させた。父親はもう来ない。父親と母親は一体だ。父親だけを選ぼうとする限り、父親も由紀子も幸せにははなれない。よく考えてごらん。お母さんとお父さんには3人も子がいる。その子たちをお父さんは絶対捨てられない。お父さんは家庭をとった。父親はもう来ない。その方が由紀子のためだとお父さんは決めた。お父さんの気持ちがわかるね。

 由紀子は泣いた。拳を堅く握りしめて、そのテーブルを殴り続けた。血にまみれた拳を掴んで、この手に罪はない、と言って樫村は止めさせた。

 それから、由紀子は変わった。ここで生きる決意をした。

 樫村が予想したとおり由紀子は優秀だった。高校は横浜でも有数の進学校に進んだ。そして、市内の国立大学に現役で合格した。

 この学園の卒業生で、その優秀さは千佳子と双璧(そうへき)だ。千佳子の失敗を由紀子にさせたくない、と樫村は思った。ここでの生活は出来ないが、彼女が心理学科に進んだこともあって、ここにボランティアとして来させた。

 そして、毎月ここにやってくる河井を知った。自然に二人は近づいた。

 最初に由紀子が河井に興味を持った。この学園に毎月面会に来る保護者などいないから、河井は特殊だった。由紀子が興味を持つのはわかる。それに河井は若すぎる。誰かの親とはとても思えない。どこかの学校の先生と最初に思ったらしいが、それにしては熱心過ぎる。だいたい籍は学校にあるが、学校の先生がこの学園に来ることは1年に1回あればいい方で、卒業式さえ来ない学校も多いからだ。

 由紀子は、樫村にあの人はだれに面会に来るのかと聞いた。樫村はできる限り正直に答えた。

 彼は志穂を引き取りたいと言っている。しかし、彼は独身だ。だから、断っている。それでも、諦めず、志穂のためにと言って、毎月2万円をここに届けに来る。彼が結婚して、彼の奥さんも引き取りたいと言うのだったら、そのとき、考えるとは言っている。そんな時が来るとは思えないんだが……。

 由紀子がどう理解するかに賭けた。

 樫村は由紀子が河井と結婚することを望んだ。由紀子と志穂の幸せのために。

 樫村は由紀子に言った。そう思わないか。養子をとることを前提に結婚する女性がいると思うか、と。

 志穂と河井はどういう関係なのかと由紀子は聞いてきた。

 樫村は興味があるなら直接彼に聞いてくれ、と言った。そして、付け加えた。

 私が言ってもきっと由紀子に信じて貰えないと思うから。彼は実に誠実な男だ。由紀子の質問にきっと答えてくれるはずだから。

 そう言って樫村はけしかけた。

 由紀子の育ちを考えれば、結果がどうなるかはわかる。全てはもくろみ通り進むだろう。

 由紀子がK学園にいたとき、志穂の面倒を一番みていたのが由紀子だった。志穂も一番由紀子に懐いていた。姉のように……。

 家族で傷ついた、特に母のことで傷ついた由紀子が河井の妻となり母になる決意をするのは自然の流れだった。

 二人は結婚した。1年かけて、由紀子はK学園に勤務しながら志穂を説得した。志穂はK学園を去った。

 樫村は由紀子を河井に会わせる時、事前に河井に由紀子の事を話した。そして、一つ約束させた。結婚前にももう一度確認した。

 千佳子のことは封印するのが条件だ、と。

 由紀子も志穂も千佳子を知らず生きてきた。志穂の過去を消すのに、私の願いを聞き入れて、協力してくれた人もいる。協力してくれた人に迷惑はかけられない。君がどう思うと勝手だが、このことだけは守ると約束してくれ。それでなければ、由紀子に会わせられない、結婚は認めない、と言った。

 河井は分かったと言った。そう言うしかないからだ。

 あのときの河井のつらそうな顔を樫村は今も忘れない。千佳子の戸籍を捨てたことを伝えたときの河井の叫びも忘れない。

「それでは、千佳子を二度殺すことと同じではないですか……。惨すぎる」と言って、下を向いた。

 膝に乗せられた両の手に絶え間なく涙が滴り、小さくねた。


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