表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛さずにはいられない  作者: 松澤 康廣
この素晴らしき世界
44/69

 三増合戦祭りから帰った翌日、私はY市図書館に向かった。


 何故、河井が青根にいたのだろう。

 単なる偶然とも思えなかった。

 河井もまた、青根の戦いを調べているのだろうか。

 あの時、それを聞くことも出来たが、私はそれをしなかった。河井も話しかけてはこなかった。二人同時に、頭を軽く下げただけで、河井は商店の主人らしき男に挨拶を始めた。

 河井になぜここにいるか聞いたとしても、答えはしないだろう。私に予断を与えることになるからだ。私も聞こうとは思わなかった。答えは自分で出さなくてはならない。


 図書館に来たのは青根の戦いに関わる資料を探すためだ。

 忠勝が参加した「永禄六年甲斐国兵乱出」は三増合戦なのか、青根の合戦なのか、はっきりさせたいと思った。それを知る資料が必ず図書館にある……。

 それは奇妙な確信だった。三増合戦まつりに出かけて、たくさんの収穫があった。動けば何かみつかる、と思った。

 図書館の一番奥に、地域資料室がある。そこには、県内の過去、現在の様々な資料があった。

 先ず、「新編相模国風土記稿」を手に取った。三増合戦の記事は目次ですぐに見つかった。だが、そこに青根の記述はなかった。

 次に「小田原北条記」を調べる。下巻六の「十」「信玄、小田原に進出する」に三増合戦の記述があった。しかし、青根の記述は全く無かった。

 あの時、老人に青根の戦いを何で知ったか、聞けばよかった、と思った。こんなに苦戦するとは思わなかった。三増合戦の記録には必ず青根の戦いも書かれていると思った。知られていないのは、規模の違いからだと思った。

 次に市史を調べた。最初に手に取った相模原市史に青根のことが書かれていた。しかし、老人から知りえた情報と比べ物にならない、わずかな記述だった。

 相模原周辺の市史を片端から読んだが、どれも同様だった。

 それでも諦めなかった。

 資料室の書架を端から探した。それらしい題名の本を棚からとり、目次から推測し、関係がありそうな箇所のページを調べた。そして、資料室の3分の2の書架を探し終わった時に、思いがけない冊子に出会った。

「県央史再考」という名の薄い冊子が十数冊並んでいた。そのうちの一番端の冊子をとった。

「県央史再考」という毛筆で書かれた字が、表紙に踊っている。おそらく筆に秀でた者が書いたのだろう。独特の書体だった。その表紙の一番下に明朝体で発行元が書かれていた。

「県央歴史研究会」

 あの、三増合戦まつりで、青根にもう一つの合戦があったことを教えてくれた老人の名刺に書かれていたものだ。

 私は財布から名刺を出して確認した。間違いなく、県央歴史研究会  岩井 茂 と書かれていた。

 機関誌まで出しているとはなかなかの団体だな、と思った。あの老人の話を思い出した。あの人が関係している機関誌なら、期待が持てるような気がした。

 端から順番に調べた。運よく三冊目に「青根伝説を語る」という座談会の記事を見つけた。

 立ちっぱなしで、疲れていた私は、その場に座り込んで、それを読んだ。

 座談会の話題の中心は戦国の世に、国を追われ、ついには追っ手から逃れられないと神の川に身を投じた折花姫の話で、なかなか次の話に移らなかった。

 終盤になって、ようやく青根合戦の話になった。その話題の最後に、出席者の一人、河井宗典という人物が語った次の部分が、強く印象に残った。

「これは伝説と言えるかどうか分かりませんが、青根は戦国時代に何度か甲斐からの兵というか盗賊に襲撃を受けたこと、その時に、女性や子どもが連れ去られたことはよく知られていますね。実は、その時のことで我が家にいい伝えが残っているんですよ。度々の連れ去りに困り果てた村人は、甲斐郡内の小山田様に直談判をしようということになって、我が家からその使者が選ばれた。村はたくさんの貢物を用意した。それで連れ去られた者を返してもらおうというわけです。交渉は成功して、皆帰ったそうですが、使者となった我が家の祖先は帰らなかった。なんと、そのまま小山田氏に仕え、立身出世したそうです。村にとっては、村の不幸を逆手にとって、出世に使われたわけですから、村人は怒った。そのまま帰ってくれば、英雄となって、このことは村の言い伝えとして残ったでしょうが。裏切りですからね。名は残らんばかりか、我が家にとっては恥ですよ。おかげで、我が家は何代にも渡って辛い日々が続きました。先祖は何度か甲斐に出かけて、翻意を促したそうです。しかし、あらざらむことのみ多かりき、と繰り返すばかりで青根に戻ることは無かったそうです」


 私はここに登場する河井宗典という人物に会いたいと思った。しかし、住所が分からない。「座談会」の記事に出席者の人物紹介がない。普通はどこかにあるものだが……。

 記事から分かるのは、恐らく青根の住人だということだけだ。

 青根は決して大きな町ではない。聞けば、すぐに分かるかもしれないと思ったが、その前に、岩井老人に聞くことが最善だと思った。当然、この人物を知っている筈だからだ。


 岩井翁(いわいおう)はすぐに私を認知した。

 私は即座にお願いをした。

「実はあの記事には裏があってね」老人は意外なことを言った。

 あれは座談会ではないのだという。あの記事で司会になっていた人物が、登場する人物に聞いた話を座談会形式で書いたのが真相で、原稿ができたあと、座談会に参加したことになっている人物に了解を求めた。おおむね了解をもらえたが、確か河井さんだけはだめで、あの部分だけ何とか許可をもらえた、という話だった。

「恐らく、あの記事が面会を求める理由だと無理だと思う」と老人は言った。

 私が諦めきれず、少ししつこくお願いをしかたらか、老人が不承不承に新たな提案をした。

「河井さんに迷惑がかかるようなことをしないという条件で、彼の話を君に話すということなら」

「それはどういうことですか」

「座談会の司会をした、あの人物は詳しく河井さんから聞いているんですよ。青根の伝説を集めるために、あの村を回って、河井さんを紹介された。最初は口がかたかったが、お酒がまわるにつれて、多弁になった。詳しくは私は知らないが、相当、長く話したらしい。小山田氏に仕えた祖先のことを……」

「河井さんはどうして、記事にすることを嫌がったんですか」

「単なる言い伝えで、根拠となるものが残っているわけではないのが一番らしい。また、話が恨みがましいものなのも気が進まない理由のようです。それを気にしたんだと思いますよ」

「司会をした人に会わせてもらえるんですか」

「それも勘弁してほしいな。私が詳しく聞いてくるから、それでお願いしますよ。このことで誰にも迷惑をかけたくないんでね」

 ここで、初めて私がしていることが、どれだけ失礼なものか気がついた。私が知りたいことは、彼らには何のメリットも無いのだ。私はなぜそれを知りたいか理由も言っていないことに気づき、赤面した。


 それから三日が経った。

 老人からの連絡はY図書館に向かう途中で入った。私は車を停め、携帯を取った。

 話は河井がどうして記事を載せることをいやがったかに終始した。岩井翁は淡々と次のように説明した。

「酔って、河井さんは愚痴を言っただけなんです。祖先は小山田氏に喜んで仕えたんじゃない。村人を帰す条件に小山田氏に仕えろと言われた。何度も出かけて、翻意を促した。でもだめだった。あらざらむことのみ多かりき、と言うばかりだったそうです。その後、彼は小山田氏の内紛に巻き込まれて、甲斐を追われたらしい。だから、余計名誉回復をしたかったらしい。でも、証拠は無いしね。一つの解釈に過ぎない。それに、それも憐れな結末だ。だから、載せてほしくない、ということです。無かったことにしてくれとも言っていたそうです。それでも、最終的に載せることに合意したのは、その時、一瞬だけ、名誉回復したい一心が勝ったからだと思います」


 ついに新たな事実を見つけた。それも、河井が必ず感謝する事実だ。甲斐で小山田氏に仕えた河井こそが河井壮夫の祖先に間違いない。「あらざらむことのみ多かりき」がその証拠だ。

 そう確信した瞬間、私の脳裏に青根での河井の姿が浮かんだ。私は愕然(がくぜん)とした。

 河井はとうの昔にこの情報を(つか)んでいたのだ。だから、青根で調べていたのだ。

 河井は度々青根に行ったに違いない。相手は拒否しているのだ。簡単に話は聞けない。あの商店の主人が河井の子孫とは限らないが、ああして何度も調べていれば、狭い青根だから、直ぐに当人に知れるに違いない。何度も河井はでかけて、本人にもう会えて、詳しく情報を掴んでいる……。

 私は河井に確かめたいと思った。

 太田家の謎はいまだ見えていないが、河井の祖先の情報を掴んだことで、例え、それを河井も掴んでいるとしても、会うことは可能だと思った。

 その夜、私は夢を見た。

 甲冑に身を固めた忠勝の夢だ。忠勝は浅利の軍にいた。浅利は北条の鉄砲に撃たれ、スローモーションのようにゆっくり馬上から落ちた。赤い甲冑で身を固め、長槍を持った忠勝は呆然とそれを見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ