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愛さずにはいられない  作者: 松澤 康廣
忘れ時の
36/69

12(1)

 永禄(えいろく)3年(1560年)、桶狭間(おけはざま)の戦いで今川義元が織田信長に敗れた。

 相模の地に激震が走った。

 周辺の勢力図が大きく変わり始めた。

 長尾景虎(ながおかげとら)は、今川と強固な同盟を結んでいた北条の討伐をついに決意した。そのとき、北条は3代氏康から4代氏政が継いだばかりで、実質的には氏康が相模を動かしていると景虎は踏んでいた。

 永禄3年8月末、景虎は北条氏康討伐のため出陣。

 氏康もその対策として武田や今川に援軍を頼んだ。

 が、そのことで景虎が計画を止める事は無かった。

 景虎は北関東の北条の諸城を次々に落とした。すると北条を見限り、上杉に寝返る武将が相次いだ。氏康は武州松山城を退却し、小田原に戻るほかなかった。そして、翌年、いよいよ景虎の小田原攻めが始まった。


 太田忠勝は小林大悟から「景虎が近々鎌倉道を通るかもしれない」と聞かされた。いよいよ上杉と戦う時が来た。


 忠勝は永正4年(1507年)、幸田村に入った太田忠良の長女ふみと永正16年幸田村にやってきた広川小助の次男英助との間に生まれた3番目の男子だ。広川家の次男だった英助はふみのたっての願いもあって、婿養子として、忠良と同居した。忠良はそれを望みはしなかったが、太田家を残したいふみは、父を一人にしたくないという理由もあって、英助に頼んだのだ。英助にも、ふみのその気持ちはよく分かった。次男坊だから、いずれ家を出なくてはならない。英助に異論はなかった。


 妻と長男を嵐で失った忠良の再婚話は何度もあがった。河井もこのまま太田家を終わらせる気か、と言って、再三再婚を勧めたが、忠良は全て断った。寿々の(かわ)りなど忠良には考えられなかった。ふみの存在もその気持ちに大きな影響を与えた。ふみは献身的に働いて忠良を助けた。精神的にも忠良を支えた。忠良は、ふみのむこうにいつも寿々を感じた。ふみは働き者の寿々そのものだった。


 ふみは十五を過ぎると結婚相手を考えるようになった。忠良が、河井にその相手を頼んだことは人づてに伝わってきた。しかし、ふみは自分で探した。忠良抜きでの生活は考えられなかった。河井が探す相手も養子を前提にしてのことだろうと思ったが、知らない男は信用できないと思った。自分で探すほうが信頼できると思った。

 ふみの探した相手は広川の家の次男英助だった。広川の家は男が余っていた。5人もの男子の中で、英助が一番ふみに年が近かった。2つ年上だった。広川は、かつて、太田家の納屋に住んでいたこともあり、忠良に恩義を感じていた。その子らは、太田家が幸田村の草分けであることで、ふみを一段上の存在としてみていた。それに、英助がふみを気に入っていることをふみは感じていた。英助だけではない。広川の家の男は皆、ふみを気に入っていた。だから、養子の話は受け入れてくれるに違いないと思った。広川家も、太田家の主人として迎えられるわけであるから反対することもないと踏んだ。


 結婚して、英助は名前を忠親と変えた。

 忠良が命名してくれた。ふみも英助もそれが嬉しかった。

 そして、二人の間に、7人も子どもが生まれた。そのうち4人が育った。その4番目の子が忠勝だった。


 忠勝が大悟を知ったのは姉のきよが甲斐に嫁入りする際に、大悟が何回か太田家に出入りするようになったからである。

 幸田村の女が大悟の世話で甲斐に在るどこかの村に嫁入りするのはよくあることだった。河井家と太田家と広川家を除けば、この村の移住者はみな、大悟が甲斐から連れてきたのである。大悟はこの村にとって重要な役割を果たしていた。

 忠勝は広川家の次男であった父がそうであったように三男坊の自分はいつかはどこかに養子に行くようになるのだろうと自覚していた。

 できれば、大悟の養子になりたいと思った。どの家も次男や三男は男手のいない、他の村の家に養子になることが多かった。忠勝は村を出たくは無かった。大悟の養子になれば、この村を出なくて済む……。最初は、打算で大悟に近づいた。


 大悟に近づくには、大悟に喜ばれる何かを忠勝はしなければならない。それは剣術を習うことだった。

「剣を教えてほしい」と忠勝は言った。「この村を守るために剣を習いたい」と言った。

 大悟は最初は不審そうにみていたが、忠勝があまりに懇願するので、その熱心さに折れ、了解した。特に反対する理由もなかった。

 最初は大悟に近づくためだけだったが、剣を通して次第に忠勝は大悟を尊敬するようになった。大悟はただ剣の使い方を教えただけではなかった。

「剣は最後の手段だ。使うときは死ぬときだと知りなさい。使うということは、相手を倒そうということだから、自分が倒されることも覚悟することが礼儀だ。自分は助かると思うことなど決してあってはならない」

 そのうちに大悟の家に行くのは手段ではなく、目的になった。


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