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読み終わると、私は河井の顔を見た。河井は手に別の一枚の便箋を持っていた。
「これが返信です。ここには公開は止めた方が良いと書かれています。中身が不確かだということとたとえ真実だとしても『隠されてきた』歴史を尊重することも大切だということ。それが公開を否とする理由でした。そのほかに、父への心配が書かれている。村人が考えた末に封印した真実を暴くことにどんな意味があるのか。そこから出される結論は辛いものに決まっている。祖先の意志に反してまで、それを暴くことに価値があるとは思えない。遠い過去に縛られるのは間違いだ。過去の過ちに父が苦しんでいるのではないかとも書かれている」
「実際、そんな様子はお父さんにあった?」と私は聞いた。
「気付かなかっただけかもしれないが……。そうは思わなかった。こんな手紙を書いたことも知らなかった。父の死後、遺品を整理した際は発見できなかった。君に副読本をお願いする数ヶ月前にこれを発見して、びっくりしたぐらいだからね。ただ、この件に関して父が残したものはこれ以外は見つからなかった。学者の言うことに納得したのか、これ以上、進まなかったのかは分からないが」河井は僅かに口元を緩め、言った。
「それから、私は調べ始めた。今はこんなことを考えている。聞いてくれ」河井は再び真剣な顔になった。
「一体殺害の理由は何だったのか。ヒントはどこかにないものかと考え、もう一度市史を読み返した。そして、太田家系譜に謎がいくつもあることに気付いた」
「太田家系譜の謎」河井の言葉は強く私を動かした。
「太田家系譜は謎に満ちている。父もその一部を発見したが、他にもいくつもある。だが、それが何かは敢えて言わない。君自身でそれを解明してほしいからだ。ここで私の考えを言ったら、先入観を与えることになるからな。だから、言うべきではないと思う」
更に河井は続けた。
「私が祖先の軌跡を尊重するのにはもう一つ理由がある。我が家には、ずっと守り続けてきた家訓がある。父から教えられたことで一番大切なことだ。それは……。あらざらむことのみ多かりき、という家訓だ」
私は静かに聞いた。
「その意味は今一つ分からない。あらざらむ、とはあらざる、すなわち無いということ。それに推量のむがついているから、ないだろうという意味と考えられる。だから、あらざらむことのみ多かりき、とはないだろうと思うことばかりが多い、とうことだ。この世にはないだろうと思っていることばかりが起こる、ということかと思う。だから、ないことばかりがこの世では起こるから、気をつけろ、という意味の家訓かなと思っている。この家訓もいとのことで祖先が学んだ結論かもしれない。いとの殺害など起こるはずのないことだった。殺害も、殺害にいたる理由も思いもよらぬことだったのだろう。家訓は結論がどうあれ、悔いを残さぬよう、常にないだろうと思うことにも対処できるよう、心の準備を怠るなと教えているのかもしれない」
河井は私を見た。同意を求めているように感じた。
「家訓などに拘ってと思われるかもしれないが、拘っているつもりはないんだ。まわりにいる皆と同じように祖先の声も大切だと思っているだけだ。それに、祖先だから、他人よりは分かっていることが多い。それは学ぶことも多いということだ。我が祖先が特別だからではない。よく分かるから、その分、学ぶことも多いから、祖先と会話するのだ。君も祖先と会話して欲しい。この地に残る古文書、太田家系譜だけでなく、市史に載っている資料、姥山伝説、なにもかもが絡んでいる可能性がある。そこから、祖先の声を聞いて欲しい。一つだけでは分からなくても、組み合わせれば必ず声が聞けると思う。その声が聞こえたら、是非、連絡して欲しい。そのとき、私の考えを言おうと思う」
河井の言葉は、私の心に静かに入り、留まった。
不思議だ。加害者側の河井が必死に真相を究明しようとしている。被害者側の私はただ真実が分かるものなら知りたいと思うだけだ。真相は更に加害者側を苦しめるものになる。それを知ったら河井に何が起こるのだろう。被害者側の私はそれが分かったとしても、きっと何も感じないだろう。そもそも400年以上も前の出来事ではないか。
「私も太田家系譜のことで、疑問に思うことがあった。この手紙の内容と重なる部分もある。調べてみるよ。必ず」と私は言った。
「思い切って、君に電話して、本当に良かった。私は諦めないよ。市史だ。市史を丁寧に読み返してみる。私も全て解明できたわけではない。こちらこそ、分からないことがあったら、教えてもらうつもりだ。よろしく頼む」
そう言って、河井は立ち上がり、手を差し出した。私も立ち上がり、河井の手を握った。




