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A4用紙50数枚。河井から受け取った日に読み終えた。
読み方が間違っているかもしれない、と思った。
河井の細君の言葉が読み方を変えていた。
どこかに「河井が泣かなければならない」理由が書かれているかもしれないと思った。
しかし、それを探るには情報が不足しすぎていた。
結婚当初にすでに河井は泣く理由があったのだ。
当時、河井がどのような生活をしていたのか、知る由もなかった。
私と河井の関係はそのころ、絶えていたのだ。泣く理由など分かろうはずもない……。
私はもう一度読み返した。
今度は「河井の期待」に応えるために読んだ。
小説に描かれた「我が祖先」についての感想を求められているのだろうと私は思った。
小説は私の期待に応えるものだった。
河井が私に求めているのは唯一つ、河井が下した結論に対する私の回答だろう。
河井は今も400年以上昔に犯した、「河井家の罪」を負い目に思っているのか。それを「許してくれ」と私に求めているのか。
そう思わなければならない根拠がどうしても私には理解できなかった。
誰もが忘れていることだ。
それを蒸し返すことで、誰が救われると言うのだ。
少なくとも私にはどうでもいいことだ。
救われたいのはどう考えても河井自身ということになる。
私はどう応えればいいのか。
「そんな昔のことは気にするな」そういえばいいのか。
一度目もそうだが二度目を読み終えても、私はどうしてもこの小説の主人公が太田家になっていることが気になって仕方なかった。
河井が本当に祖先の罪を悔いたいのであれば、祖先と向き合って、その心情の全てを描くべきではないのか。
そのうちに、「若しかしたら河井は私にそれを託しているのでは……」と思うようになった。
それは「太田家」が描くべきだと言っているように思えた。
私は言うべき感想を漸く見つけた。そのとき、私は完全に河井由紀子の言葉を忘れていた。
約束通り、事前に河井に連絡した。
「待っていましたよ。今日は都合が悪いので、あすの朝、10時にお願いします。こちらの準備もあるから、時間厳守でお願いするね。多少遅くなってもいいが、間違っても早く来ないでくれ。そのとき、妻は不在だと思うので、直接書斎にきてくれ」というのが、河井の返事だった。
自転車の前籠に、河井の小説が入った封筒を投げ入れると、私はサンダルに力を込めた。白い無地のTシャツに短パンというラフな格好で河井家に向かった。
蒼褪めた表情で書斎の前に由紀子は立っていた。手には封筒が握られていた。
「だめでした」と細君は言った。
「何が?」と私は訊いた。
「主人のことです。主人は死にました」と細君は私への憎しみの表情を隠そうともせず、乾いた言葉を言った。




