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愛さずにはいられない  作者: 松澤 康廣
忘れ時の
29/69

9(2)

 翌日からさっそく、裏山に登った。先ず池をつくる場所を決めなければならない。探せなければ、畠も田も諦めるしかない……。場所は集落に近ければ近いほうが良い。農作業のことを考えれば当然だ。窪地(くぼち)は特に(ねら)い目だ。掘る手間も省ける。

 蓼川の方まで、枯れかかってはいるが、背丈の高い雑草が繁茂していた。

 辺りを見廻し、雑草の高さで(へこ)んでいる箇所を探した。蓼川村に通じる道沿いにはそれらしい場所はなかった。そこで、みんなで探しても仕方がないので、二人ずつに分かれて探すことになった。それぞれの方角で草原が尽きるあたりまで探したら、見つからなくても戻ってくることにした。

 河井と忠良は一緒だった。草原の集落に近いところを幸田川に沿って探した。河井の家のあたりから、忠良の家のあたりまでの比較的距離の短い場所だった。

 草原に来ることはこれまでなかった。枯れ草は燃料になるが、裏山に行けばいくらでも採れた。幸田村の今の人数なら、それで十分でいくらとっても争いになることはなかった。

 遠くまで見渡すと、ある変化に気づいた。

 忠良の家の真上にあたる場所の草は葦に違いなかった。

 次第に踏む土が軟らかくなった。そのうちに水を足に感じるようになった。踏む力で水が()み出すようだ。

 河井と顔が合った。お互いに笑顔になった。しばらく前に雨が続いた。その時の雨がここに流れ込んだのか、もともと水が染み出ているのか……。その両方かもしれなかった。

 もとの場所に戻った。他の者たちの姿は見えなかった。いくらなんでも、遅すぎるだろうと忠良は思った。

 暫くして蓼川村方面に探しにいった広川弾正と近藤刑部之助の姿が見えた。忠良は大声で見つかったと叫んだ。よくみると、すぐ後ろに古市兵部と川瀬治部之兵衛がいた。どこかで合流したのだろう。声が届いたことはすぐ分かった。明らかに歩く速さが違った。

 池を掘る場所は忠良の家の真上だ。河井の家にも近い。最適だと忠良は思った。水が染み出るくらいだから、掘るのも楽だと河井は言った。

 広川は言った。出雲守はいいなあ。近藤も言った。いいなあ。

 全員に忠良はいいなあと言われた。

 皆、多弁になっていた。

 帰り道で一つの合意が生まれた。忠良の家の横から目的地に通じる道を作ることになった。


 ため池づくりはその年の秋から始まった。

 人数が増えた幸田村の者たちにとっては沼からとれる稲だけでは全く不十分だった。

 河井の家の横の丘陵地に田が出来るのは相当先の話だ。

 先ず、ため池を造らなければならない。池は丘陵地から離れているので、そこまで水をひかなくてはいけない。何とか可能であることが分かったら、傾斜地を削って、田にする。およそ無謀にみえた。だが、皆、出来ると信じて疑わなかった。

 道具には恵まれていた。全ての者が鉄の鍬で掘ることができた。全て河井が仏像を売って得た道具だった。

 小林を除く8人と8人の戦力となる子どもたちが7人。日が落ちるまで一日おきに働いた。

 昼には、戦力にならない幼少の子どもたちを連れて、女たちが食事を持って草原に上ってきた。

 寿々は参加しなかった。身ごもっていたからだ。それもいつ生まれてもおかしくないほどの大きな腹を抱えていた。坂も傾斜がきつすぎた。

 みんなで掘った大きな穴を見ながら食事をした。

 全ては順調だった。

 掘る範囲は広げずに、深く掘った。背丈を少し越えるほどの深さになると、水が湧き出してきた。そこから、更に膝まで深く掘ってから、範囲を広げていった。

 ぬかるんだ土地だ。1、2回鍬を入れると、すぐ葦は抜けた。

 掘る苦労よりも、掘った土の処理のほうが大変だった。

 穴の上に土をあげると、そのあとは子どもたちの仕事だった。子どもたちはそれを次々に崩していった。桶に入れて、草原に運んだ。草原に大きな山がいくつも出来た。

 雨が降ると、良いことと悪いことが起きた。

 良いことは掘った土が流れ出して、山が小さくなったことだ。一部が忠良の裏山にも流れた。

 悪いことは穴に水がたまり、掘る作業に支障が出たことだ。しかし、そのことは作業には痛手だが、嬉しいことでもあった。周囲からも水が流れ込むので、湧き出す水と流れ込む水で、ため池に必要な水は容易に確保できる見通しがたったからである。作業箇所に水が溜まって作業に支障が起きないよう、わずかに傾斜させて掘り進めた。そのため、ため池の忠良の家の側の端に水はたまった。

 作業は二手に分けた。ため池を広げる作業と、水がたまった手前を掘って、深くする作業と。

 もう一つ悪いことはあった。大雨だったり、長雨だったりすると、忠良の家の横に通じる坂道に水が流れ落ち、道を登るのに難渋した。しかし、それをも村人のやる気をそぐまでには至らなかった。

 この流れる水が田に注がれる。皆、それを想像した。

 ここに田を作れたら、どれだけ楽だろうと皆思った。

 予定の大きさの半分ほどが出来た、その年の晩秋、寿々は子どもを産んだ。男の子だった。忠時と名付けた。

 寿々の産後の肥立ちは悪かった。それでも、寿々は動こうとした。それを忠良は止めた。寿々をため池の作業に参加させたくなかった。赤子の世話に専念させたかった。

 赤子はよく泣き、よく笑った。それが寿々と忠良を喜ばせた。


 翌年の二月、村人は幸田川沿いの沼地を広げることを決めた。

 傾斜地が田になるまでには相当の時間が必要だった。ため池の作業が順調であることが、村人の夢をさらに増幅させた。河井は反対をしなかった。

 沼地を広げるのは、ため池をつくるより、はるかに簡単だった。わずか2ヶ月で、倍の大きさになった。そのうちの半分は、(あぜ)を作って、水を調整できるようにしたので、田植えが出来た。

 植えた稲が全て順調に育ったら、いつもの倍以上の収穫になることは確実だった。

 今年のため池作りに力が入らなくなるな、と忠良は思った。村人は皆そういう顔をしていた。


 田植えが終わって、日に日に気温が上がり始める。5月の末には、もう夏かと思うほどの日もあった。しかし、6月に入ると、ぐずつき始めた。そして、長雨となった。

 6月半ばまで雨は続き、幸田川の水嵩(みずかさ)が気になり始めた。しかし、その後晴れの日が何日か続き、安心した矢先に台風がやってきた。

 今までに経験したことがないような大粒の雨が降った。

 村人は大雨の中、何度も幸田川を見に行った。洪水の心配があるからだ。幸田川の水嵩は大雨が2日続いたあと、急速に増した。そして、3日目の朝、幸田川は決壊した。沼地に流れ込み、新しく広げた田を()み込み、全ての稲をなぎ倒した。

 忠良の家から一部始終が見えた。

 忠良は落胆しなかった。河井にいつも米に頼るなと言われてきたからだ。落胆している村人をどう励ますか、それだけを考えた。


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