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愛さずにはいられない  作者: 松澤 康廣
忘れ時の
28/69

9(1)

 大永4年(1524年)、この年は、天気に恵まれ、米の収穫も順調だった。

 河井は秋も深まり、収穫も終え、人々が落ち着き始めた頃、一軒一軒各家々を訪問して、どの家でもゆっくりその家の主人と話をした後、河井の家で、宴を催すことを伝えた。

 小林を除く各家の主人、7人が、河井に指示されたとおり、奥方と一緒に狼煙(のろし)を合図に集まった。

 主人たちは、河井の家の一番広い板間に集まった。奥方は奥方で別の間に集まった。

 板間には、正面に2つ、向かい合うように3つずつ折敷膳が置かれていた。その上には焼き魚の載った小皿と大杯が置かれていた。焼き魚は今朝、河井と忠良が鶴間で購入した(あゆ)だった。正面には河井と忠良が座った。残り6人は河井の指示で、この村に住み始めた順に座った。河井の隣には広川、広川の隣には山本、その隣には川瀬が、忠良の隣には近藤が、その隣には古市、その隣には大野が座った。酒はそれぞれの家が持ち寄った。土間には大きな酒壷が8個置かれていた。

 誰もが最初から陽気だった。

 収穫後にこのような宴を開くことは毎年の恒例だった。

 寿々は他の奥方たちと別扱いで、ただ一人、主人たちに酒を()いで回った。これも河井の指示だった。普段は男だけで酒を注ぎあった。しかし、誰も不思議に感じていなかった。ただ、恐縮していた。

 酒が入ると一段とその場が五月蝿(うるさ)くなった。それぞれが勝手に話している。これもいつもどおりだった。

 宴が進み、ばらばらに(かたまり)が出来始めると、突然、河井が立ち上がった。

「ちょっと、皆に提案がある。これを見てくれ」

 河井はそう言うと、後ろを向いて、用意してあった巻物を手に取ると、折敷膳をのけて目の前に開いた。その(まわ)りに7人は集まった。立てひざで巻物を(のぞ)き込んだ。

 その巻物は、(すみ)で書かれていた。

 忠良は字を読めるが、他の6人は読めるのだろうかという疑問が浮かんだ。忠良は周りを見回した。山本と古市は読めるようだった。小声で読んでいた。

「今から、読むので、これでいいか、言ってくれ」と河井は言った。「言ってくれ」という声が裏返った。


 一 我等われら(たび)河井肥前守永正元年此所来リ、太田出雲守同四年紀州熊野ヨリきたリ、広川弾正同十六年相州藤沢ヨリ来リ、近藤民部・小林大悟同十七年甲州ヨリ来リ、山本刑部之助やまもとぎょうぶのすけ古市兵部ふるいちひょうぶ大永元年甲州ヨリ来リ、川瀬治部之兵衛かわせじぶのひょうえ大野主税おおのちから同二年甲州ヨリ来リ、以上九人之者 相談ヲ()テ東西南北之境定メル者也(ものなり)

 火事御座候共早速欠付かじござそうろうともさっそくかけつけ相可志事あいこころざすべきこと

 一 其村置手之事そのむらおきてのこと、河井肥前守・太田出雲守両人之儀者此所草切ニ候得そうらえいずく而茂ても被仰出候儀おうせいだされそうろうぎ相背申間敷事あいそむきまじきこと、肥前守、出雲守、弾正、此時福田村ニ名付なづく、誠ニ家々子孫迄(いえいえしそんまで)相守可申者也あいまもるべくもうすものなり仍而一札如件いっさつよってくだんのごとし


 大永四年十一月四日

                   広川弾正

                   近藤民部

                   山本刑部之助

                   古市兵部

                   川瀬治部之兵衛

                   大野主税

                   小林大悟

 河井肥前守殿

 太田出雲守殿


 内容はだれにとっても異論のないものだった。

 移住者が一通り(そろ)ってから、河井は「いつかみんなで村の決まりをつくろう」と言い、その内容についても話していたからだ。

 河井と忠良以外が口を開けて呆然としているのは、自分の名前が変わっているからだった。そのことに河井が気付かない筈はなかった。

「村の(おきて)だし、みんながこの村の創始者だから、それなりの名前でないと格好がつかないからな。もっといい名前にしたい者は言え。今から変えてもいいぞ」と河井は言った。

「ダンジョウって、どういう意味なのかなあ」と広川弾正は真顔で言った。すると他の者も口々に俺も、俺もと言った。

 河井は「ダンジョウの役目は、全員のやることに間違いがないか調べることだ。考えようによっては、一番えらい」と説明した。広川弾正は満足そうに頷いた。更に河井は続けた。「この巻物は広川家で保管する。これからも、たくさんの約束事が必要になる。その約束事はこうして文書に残す。その保管も弾正の大事な仕事だ」

 広川は深く頷いて、その偉さを周囲に納得させたい思いをいっぱい込めて、胸を張り、周囲を見回した。

 河井は、続いて近藤、山本……と、一人ひとりの顔を見て、それぞれの役割を説明した。必ず最後に、これも大事な役目なんだぞと言った。

 最後に、みんなの顔を見回しながら河井は言った。

 それぞれの家はこのカンショクをずっと名乗る。分家したものは名乗らない。ここに(つど)う皆が村のソウシシャだ。

 これで正式に河井がこの村の代表になった。形式的には忠良も出雲守なので同じ家格となり、共同代表者となった。

 河井の長い説明の間、忠良は別のことを考えていた。

 何故、河井は小林大悟に冷たいのだろう。ここでも名前は最後に付け足しのように書かれている。そのうえ、大悟だけカンショクはない……。

 広川を除く全ての移住者は大悟が連れてきた。河井も大悟のおかげでこの村は出来た、これからも大悟はこの村のために尽くしてくれる、と忠良に言ったくらいなのに……。


 小林大悟はこの村の男がそれなりの年齢になると、甲斐から男の為に嫁を連れてきた。殆どの男がこうして大悟の世話になった。また、何人かの男が甲斐に移住することもあった。男の家が子沢山で子どもが余ったからである。その養子先も大悟が世話した。村全体が大悟に世話になった。

 河井は甲斐との結びつきを強めることが良いとは言えない、と繰り返し忠良に言った。今は良いが、いつ甲斐と相模の関係が(くず)れるか分からない。甲斐と敵対する事態になっても、この村が動揺しないよう、甲斐から来たものに甲斐を捨てさせることと、そして、甲斐出身者で無い我等と広川が村の中心であり続けることが必要だ、と繰り返した。大悟の冷遇はそのことと関係があると漠然と忠良

は考えていた。


 河井はさらに巻物を開いた。

 そこには、墨で絵が書かれていた。幸田村の絵だ。描かれていたといっても、一本線で山が書かれ、丸く囲んで畠とか田と書かれている簡単なものだった。田と書かれている場所は、幸田村から蓼川村に抜ける細い道沿いの周辺で、なだらかな傾斜地である。今はまばらに雑木が生えているだけの草地となっている。畠と書かれている場所は、その傾斜地の上で、そのそばに、丸が記され、水と書かれていた。そこは今、背丈の高い草原が広がっている。忠良は水とはどういう意味なのだろうと思った。8人は巻物に(にじ)り寄った。

 河井は言った。

 何年掛かるか分からないが、この村にたくさんの田と畠を作る。幸田川の周辺に作るのは簡単だが、洪水の危険がある。前に住んでいた者もそれでこの村を捨てた。同じ失敗は出来ない。そこで、ここに作る、そう言って、河井は巻物の田と書かれた場所を指差した。

 ここを田や畠にするためには水が必要だ。その水はここから取る。

 河井は丸で囲まれた水という字を指差した。

 幸田川は湧き水が集まって出来た川だ。その湧き水は裏山を通っているはずだ。今は草原だが、掘れば、きっと水が湧き出してくる。その水を使って、草原と雑木林を切り開いて、畠と田を作る。

 夢のような話だが、河井が言うと実現するのではと思えてくる。8人は真剣に河井の話を聞いた。

 忠良は一つ疑問があった。幸田川の上流に黒い大きな丸が書かれているのだ。墨が(こぼ)れ落ちたと思えなくもないが、それにしては綺麗な黒丸だ。だから、何か意味があるように思えた。

 この疑問を広川弾正が河井の方を見て、指摘した。

「神社だ。神社をここに作る。幸田村の守り神だ」と河井は胸を張って言った。


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