忘れ時の 1
年末から実家に戻り、久しぶりに長く滞在した。
母はいつものように、精一杯の御馳走で私を歓待した。
私は年が明けるのをただ待った。
気持ちは決まっていた。
私は迷いを捨て、教員になることを決断した。
三段の黒塗りの重箱に納められた、母手作りのおせちを前に、決意を母に伝えると、母は「何を言っているのよ。そのために留年したんだから、当たり前でしょ」と笑いながら言った。
寮に戻ると、狂ったように参考書を読み漁った。
夏、神奈川と東京の上級公務員試験を受け、その全てに合格した。
読み漁った成果だった。
教員試験に合格できない場合の選択肢だった。
教員試験は神奈川だけを受けた。合格に自信があったからだ。その年の10月に2次試験の合格通知を受け、あとは採用の連絡を待つだけになった。
晩秋、私は寮から出て、家に戻った。
大学は僅かに残っていた単位も取り終え、卒論を残すだけだった。
大学に通う必要はなくなっていた。
家に戻ったその日に、再び母は河井の話をした。
タケオちゃん、Y市役所に決まったんだよ。まさか、市役所とはねえ。一流企業に就職するものと思っていたけどねえ。
私も一流企業に就職するものと思っていた。
だから、母からこの話を聞いて、私も意外に思った。
私も希望先をY市にしていた。だから、瞬間嫌な気になった。
しかし、気持ちはすぐに持ち直した。
偶然、会うことは起こるかもしれない。しかし、それ以上の何かは起こらないし、起こさない……。
12月末、配属先が決まった。Y市だった。
翌年4月になって、Y市の北端の中学校に私は赴任した。
就職して後、すぐに河井と顔を合わせることになった。
新任の教員は何回もの研修を受けなければならなかった。そして、その研修は市役所で行われることが多かった。
私はその年、河井と市役所で三度顔を合わせた。
初めて顔を合わせたのは1階階段横のエレベーターの前だった。
研修は市役所の4階にある研修室で行われることが常だった。そこに行くため、エレベーターの前に立っていると、河井から声をかけられた。
河井は私がこの市の教員になったことを知っていた。
新人研修はここで行うことも知っていたから、いつか会えると思っていた、と河井は言った。だからだろう、私に会っても河井は驚きはしなかった。
「自分はこの敷地内にある分庁舎で働いている。暇なときに、覗いてみてよ」と河井は言った。
儀礼的な挨拶程度に見えた。
その後も二度市役所で河井に会った。
全て研修の際である。
二度とも、お互い、軽く会釈をした。
言葉を交わすことはなかった。
私は安堵した。




