06
「着いたようだな」
ヘンリクの言葉に、イリスは肩をびくりと震わせた。
国境を越えるのは明日だと言っていたのに。
…もう夜中といっていい時間だ。
まさか明日というのは日付が変わってすぐ…?!
「小休止を取る。術者達を休ませなければならないからな」
「術者…?」
イリスは首を傾げた。
「この海の魔法は私が掛けたが、それ以外は術者達の仕事だ」
馬車の扉が開くと、ヘンリクはイリスを抱きかかえたまま降りた。
目の前に一軒の家があった。
庶民の家よりは大きいけれど、貴族のものにしては小さい。
暗くてよく分からないが周囲には他に家がないようだった。
「我々は万が一の時用に作られた王の道を通っている」
「王の道?」
「例えば王がこの国に訪問中、反乱が起きた時やこの国で刺客に狙われた時に素早く国へ帰れるように。あるいは国内からこの国へ脱出できるように。そういった道はいくつか作られている」
ヘンリクは建物を見上げた。
「ここは我が国に協力してくれる者の住まいだ」
ずっと馬車に乗っていて分からなかったが、一行は十人ほどいるようだった。
騎士であろう甲冑姿の者と、黒いローブを纏った者が三人…彼らが術者だろうか。
建物に入ると、中は清潔に保たれているようだった。
大きなテーブルが置かれた食堂らしき部屋に入ると、イリスを座らせてヘンリクは手首を縛り付けていた紐を解いた。
「この建物全体に術を掛けてある。食事の時くらいしか解いてやれないが」
ようやく解放された安堵感と溜まった疲れに腕を振ると、袖の下で腕輪の存在を感じた。
(そうだ…この腕輪を外せば…)
兄に居場所を教える事が出来るし、イリスの力で術を解く事ができるかもしれない。
けれどヘンリクがぴたりと隣に座り、男女二人の騎士がこちらに目を光らせている状況で変な行動はできない。
(少しでも隙があればいいのに…)
とりあえずは体力を保つためにも、食事は取っておかなければ。
イリスは大人しく目の前に並べられた食事へと手を伸ばした。
パンに野菜のスープ、それに肉を焼いたものと質素な食事だったが、温かなものを腹に入れると気持ちも落ち着いてきた。
「殿下」
食事が終わり、お茶を飲んでいると男の騎士がヘンリクの傍へと立った。
何か小声で会話をするとヘンリクは頷いた。
「姫、少し外の様子を見てくる」
ヘンリクは立ち上がると、イリスの頭を撫で頭の上に口づけを落とした。
「———姫を見守っていろ」
扉の脇に立っていた女騎士に声を掛けると、ヘンリクと騎士は外に出て行った。
部屋の中にはイリスと女騎士の二人きりになった。
ふいにその騎士が素早い動きでイリスの側までくると、片膝をついた。
「巫女様」
何事かと身体を強張らせたイリスの耳に、小さいけれどはっきりと言葉が聞こえた。
「…え」
「———バーナードから聞いております」
騎士はイリスを見上げた。
二十代半ばくらいだろうか、綺麗な青い瞳の女性だ。
「あなた…もしかして」
「今はお助け出来ませんが、シエルの民の名にかけて巫女様をお守りいたします」
「…ありがとう。あなたの名前は?」
「ラナと申します」
「ラナ。よろしくね」
イリスは腕輪を外した。
「それは?」
「私の巫女の力を封じる腕輪よ。…これでお兄様が私の居場所を知る事ができるわ」
「左様でございますか」
「この腕輪を捨てるか隠してくれる?」
「承知いたしました」
ラナは腕輪を受け取るとすっと立ち上がった。
「巫女様。このまま進むと明日の昼頃には国境…いえ、シエルの地に着きます」
「え…シエルの?」
「はい、我らが祖国です」
目を細めてそういうと、ラナは表情を消して再び扉の脇へと立った。




