05
「降りそうだわ…」
さっきまで青空だったのに。
急激に空に広がった黒い雲を見上げてイリスは眉をひそめた。
空気は湿り気を帯び、その温度も下がってきた気がする。
…これはきっと降るだろう。
「帰る頃には止んでいるといいけれど…」
雨の中馬車に乗るのは道も視界も悪くなって苦痛なのだ。
イリスは王宮へ来ていた。
今日は父親の手伝いで魔術局に呼ばれたのだ。
兄のクリストファーが他部署への応援に出てしまったため、人手が足りないらしい。
先にレナルドの所へ顔を出し、魔術局のある建物へと向かう通路を歩いていく。
雨を呼ぶ、水気を含んだ重い風が吹いてきた。
その風の中に———前に嗅いだ事のあるような奇妙な香りが混ざっているのに気づいてイリスは思わず立ち止まった。
…何の香りだろう。
それはごく僅かだったけれど、妙に鼻を刺激する未知の香りだった。
「失礼」
考えても分からないか。
再び歩き出そうとすると背後から声を掛けられた。
振り返ると、一人の青年が立っていた。
イリスと同じくらいの年齢だろう。
初めて見る顔だったが、素材も仕立ても上等な服装とその醸し出す空気から高貴な身分だとすぐに分かる。
青みがかった黒い髪に濃紺の瞳。そして褐色の肌は彼が異国の人間だという事を示していた。
イリスと視線を合わせた青年は目を大きく見開いた。
「…見つけた」
青年は嬉しそうに目を細めると、イリスへと歩み寄ってきた。
「あの…」
「殿下!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「よかった、こちらでしたか」
「———すまない、珍しさでよそ見をしていて逸れた」
早足で歩み寄ってきたアルセーヌはイリスに目を止めた。
「イリス嬢。来ていたのか」
「はい、今日は父に呼ばれて」
「アルセーヌ殿、そちらの姫君とは知り合いか?」
青年が言った。
「ええ。イリス嬢、こちらはサルマント王国の王太子、ヘンリク殿下だ」
———この人が、レナルドが言っていた短期留学するという隣国の。
「イリス・オービニエと申します」
イリスはスカートを摘むと淑女の礼をとった。
「彼女は弟レナルドの婚約者です」
「レナルド殿の…」
一瞬その瞳に鋭い光を宿したヘンリクは、すぐにその眼差しを和らげイリスを見た。
「美しい姫君だ。まるで女神のようだ」
「…ありがとうございます…」
「まさかここで出会えるとは」
ヘンリクはイリスの手を取った。
そのまま自分へと引き寄せてその甲へ口付けを落とす。
「あ、あの…」
「姫」
熱を帯びた眼差しがイリスを見た。
「どうか、私の妃となって頂けないだろうか」




