02
「びっくりした…」
ソファに座ってお気に入りのクッションを抱え込むとイリスは呟いた。
綺麗な男の子だった。
サラサラした金色の髪に、エメラルドのような緑色の瞳。
———きっとあれが兄が言っていた「殿下」なのだろう。
これまで家族と使用人以外の人間と会った事はほとんどなかったが、それでもあの少年が放つ雰囲気から彼が高貴な身分であるという事が分かった。
それにしても、どうしてあの場所にいたのだろう。
イリスが暮らす離れは母屋から子供の足では十分近く歩く場所にある。
殿下は母屋の屋敷から出てはいけない事になっているから、イリスはいつも通り生活しても大丈夫だと言われていたから庭に出ていたのに。
人の気配に振り返ると少年が立っていたのだ。
「…失礼だったかしら」
思わず逃げ出してしまったけれど、相手は一国の王子だ。
きちんと挨拶すべきだったか…だがイリスの存在は王子には知らせていないはずだ。
———今頃はもう、知られてしまっただろうが。
今年から田舎の領地を離れ、王都の学園に通うようになった兄クリストファーが夏の帰省にあたり、王子を伴ってくると聞かされていた。
イリスの父親であるオービニエ伯爵は王宮で仕事を持っているとはいえ、王族と近付きになるような立場ではない。
この話を聞いた時、イリスには兄と五歳も下の王子との繋がりが全く分からなかったが…帰ってきたクリストファーが詳細を教えてくれた。
王宮では今、権力争いが起きているという。
正妃と組み権力を強固なものとしようとするバルビエ侯爵派と、権力の一極集中を厭う、宰相でもあるアルカン侯爵派。
バルビエ侯爵は十歳になる正妃の長男と自身の娘を婚約させ、王太子に立てようとしている。
対する宰相は同じ歳の側妃の息子を擁しようとしているのだが、どうにも宰相側の方が分が悪いらしい。
このままだと側妃の息子であるレナルド王子の身が危険だという事で、イリスの家で王子をしばらく匿う事になったのだ。
「でもどうして我が家なの?」
兄の話を聞いて、イリスは不思議そうに首を傾げた。
オービニエ家は古い家柄とはいえ、領地も田舎で小さい。
王族とは全くと言っていいほど縁もないはずだ。
「うちは権力争いとは無縁の、無害な〝魔法馬鹿の家〟だからね」
不機嫌そうな顔でクリストファーは答えた。
イリス達の父親は王宮の魔術局に勤めている。
勤務先は戦場にも出る魔術師団…のような華やかな部署ではなく。
魔術や魔道具を研究する開発部、つまり裏方だ。
オービニエ家の人間は代々強力な魔力を持つが、出世よりも魔術の研究を好む学者気質の者が多く、社交的ではない。
そのため〝魔法馬鹿の家〟などという名前が付けられてしまっているのだが———その気質のおかげで王子を匿うのに政治的な意図がないとみなされやすく、都合がいいらしい。
「それと殿下の母親、側妃様の兄にあたるオドラン伯爵も魔術局に勤めていて、父上とは仕事で付き合いがあるそうだ」
それでオドラン伯爵から王子の保護を頼まれた、というのが経緯のようだった。
「…それでお父様は?こちらに戻られないの?」
「大事な仕事があるから手が離せないそうだよ、まあ半分嘘だろうけど」
頼まれたはいいけれど、自分で対応する気はないのだろう。
初めから息子のクリストファーに王子の世話を押し付けて、自分は仕事場に残るつもりだったようだ。
「でもお兄様も夏季休暇が終われば王都に戻るのでしょう?殿下も一緒に戻られるのですか」
「その予定だが、それまでに落ち着くかどうか…まさかイリスと二人きりにさせる訳にもいかないし」
深くため息をつくとクリストファーはイリスを見据えた。
「殿下にはイリスの存在は教えていない。お前を王家と関わらせたくはないからね。いいかい、殿下と顔を合わせるなよ」
クリストファーはそう言って妹の頭を撫でた。