00:SIDE S
世界で一番美しいと謳われた神殿だった。
白く輝く大理石の柱は天高く聳え、その床は一片の曇りなく磨き上げられていた。
至る所に色どりどりの花が飾られ、女神を讃える音楽が清浄な空気の中に満ちていた。
けれどそれらは全て過去のものになってしまった。
かつて麗しき白亜の神殿と讃えられたその乳白色の大理石は色褪せ光を失い、折られた柱もヒビの入った壁もそのままに放置されている。
神殿を彩っていた花は枯れ果て、ただ朽ちるのを待つばかりのように静寂が広がっていた。
「女神よ」
神殿の再奥。
供物も燭台の一つもない、台とも呼べないほど崩れた、かつて祭壇であったその前に一人の女性が跪いていた。
「女神ジュノーよ。我らはこのまま見捨てられるのですか」
女性が纏う緻密な刺繍が施されたかつては真っ白だったローブは、今は埃でうす汚れていた。
「確かに君主も神官達も間違えた。彼の国の侵略を許したのは我らの不敬であり、大罪です」
顔を上げた女性は虚空を見つめた。
「けれど民には罪はない。未だ彼らは女神を信じ、加護を信じています」
彼女の顔は疲労に満ちていたが、その瞳は強い光を宿していた。
「———せめて彼らに救いを、女神のご慈悲を…!」
ふいに女性の視線の先、宙が光を帯びた。
そこにはかつて美しき女神像があり———その過去の姿をなぞるように、光は人の形を取った。
「…ああ……」
『そなたの声は届いた』
光の中から声が聞こえた。
それは美しいけれど冷たい声だった。
『此の期に及んで未だ我を望むか』
「ああ女神よ」
女性は平伏した。
「どうぞ罪なき民へ慈悲を。彼らに貴女の加護を…どうか…」
『ならば血を残せ』
しばらくの間ののち、声は答えた。
『血を残し、我への信仰を、忠誠を継げ。誠の信仰があれば我がこの地へ戻る事もあろう』
ゆっくりと、光が消えていく。
『我への〝橋〟を守れ。決して絶やすでないぞ』
最後の声にはどこか優しさが滲んでいた。