二日目 恵比寿(1)
トントントン、とドアをノックする音で目が覚めた。
あわてて枕元の時計を見ると、午前十時を過ぎていた。チェックアウトは十時である。ドアの外から、掃除をしたいという声が聞こえた。
掃除を待ってもらい、大慌てで着替え、十一時にチェックアウトした。昨夜眠気と戦いながらなんとかセットしたモーニングコールは、鳴らなかったのか、それとも無意識に止めてしまったのかは、記憶が定かではない。
このホテルには、今夜も泊まる予定にしていたので、必要なものだけをボディバッグに移してボストンバッグをフロントに預けた。
駅前のコーヒーショップで、もう一度、弟に電話をかける。
「――おかけになった電話番号は、現在、電波の―――」
だめだ。
弟は町田にアパートを借りて住んでいたが、先月電話した時には、今はそこには居ないと言っていた。それに、町田のアパートの詳しい住所を知らない。
僕は弟に会うのをあきらめた。
予定がなくなってしまった。今日はどこに行こうかと、少し迷った挙げ句、僕はスマホを取り出して電話をかけた。
「何?」
予想に反して電話はつながった。真琴はあきらかに迷惑そうだった。
真琴とは五年前、日本料理屋のバイトで出会った。
*
うだる様な暑さと蒸気の中、次々に下げられてくるお皿を、当時の僕は慎重に業務用食洗機に詰めていた。急いで作業してお皿を割ると、その分を給料から引かれるからだ。
夏の日の、日曜の昼間で、店はにぎわっていた。バイトの女の子は次々に食器の載ったお盆を置いていく。
「どうしよ・・」
と言う声が聞こえ、お盆返却の棚のほうを見ると、配膳係の女の子が困った様子で立ちすくんでいた。
洗い場にお盆を持ってきていたが、置き場が無くて困っているようだった。棚はお盆でいっぱいだった。お盆を下げないことには調理場に戻れない。
天井のスピーカーからは「*番テーブル、早く持っていって」と矢継ぎ早に指示がとんでいる。
「もらうよ」
僕は手をさし出して、その子から直接お盆を受け取った。
それが真琴だ。彼女はそのとき高校生だった。
それから僕らはよく話をするようになり、しはらくして付き合うようになった。
それから一年くらい付き合い、真琴のほうから別れを告げられた。
原因は自分にあったと思う。僕は本当にうだつの上がらない人間だった。お金も無いし、転職しようとして、資格試験を受けていたが、失敗していた。
その後、真琴が東京の大学に進学したということを知った。本人に聴いたわけではなく、勤め先の工場で、パートのおばさんが話をしているのを、偶然耳にしたのだ。狭い町だ。別れた後、僕らは連絡を取り合っていなかった。
*
東京に来る前に、何年かぶりに真琴に電話した。出てもらえないかと思ったが、電話はつながった。
「もしかしたら今度東京に行くかもしれない。その時会えないかな」
そう言うと「無理」と言われた。
「会う理由が無いから」と真琴は言った。
僕は返す言葉が無かった。