風船爆弾復活まで
風船爆弾の発想を現代に復活させて、手頃な値段で戦略的な電波情報を収集する計画
黄海の大連に貨物を輸送して、長崎に戻る途中の貨物船、第1不易丸の船上にて、ラジオゾンデの発進が行われた。
ラジオゾンデそのものが船から放たれるのは、別におかしくない。
ただ、黄海の海上で夜間に、行われているのが、少し珍しいのである。
また貨物船自体は普通の貨物船であるが、乗組員に防衛省職員や陸上自衛隊や海上自衛隊の隊員が乗っているのが珍しいのである。
風船自体も、レーダー電波に対して反応しにくいステルス性能を持った材料、和紙と蒟蒻のりなどを使ってある。
これは戦後72年の時を越えて復活した「風船爆弾」の復活であった。
「うまく上がりましたね」
「風船そのものは、実績のあるやつを改良したものだからな大丈夫だよ」
「田中准尉、風船からの受信、良好です」
「ありがとう。後はしっかりと電波情報を拾うよう,モニターを頼むよ」
「了解しました」
私服の防衛省の技官と、陸上自衛隊の簡易制服を着た准尉、さらに報告に来た海上自衛隊の作業服を着た3曹の組み合わせは、珍しいものである。
この三者(さらに収集される電波情報を分析に航空自衛隊からも派遣されている) がいてこそ、この「風船爆弾」計画が再興されたのである。
北朝鮮の電波情報をとるだけで、アメリカ海軍は今までも犠牲を払ってきたのである。
知られているだけでも、P4Mー1Qがミグの迎撃で損傷、命からがら日本の美保基地に着いたり、ECー121が撃墜されたり、情報収集艦プエブロを拿捕されたりしているのである。
とは言え、我が国も何らかの方策で北朝鮮の電波情報を収集しておかないと、いざと言うとき困るのは判りきっていた。
また、密かに計画進行中の「グレムリン計画」に関する北朝鮮の兵器、特に通信、対空兵器、などの電波情報も必要だったため、思い切った情報収集活動が認められたのである。
計画の概要はいたって簡単、海の上から風船を飛ばし、北朝鮮を横断させて、日本海で可能ならば回収、無理でも情報だけとる。それだけである。
収集する情報は、基本的な気象情報と、電波情報である。
電波情報については担任する周波数をそれぞれ別の風船に搭載して行う。
気象センサー自体は最新の技術を投入して、100gを切るくらいになってるが、電波情報を記録するためのアンテナ、レコーダー、情報を転送するテレメーター、北朝鮮による捕獲をさけるための自己破壊機能など含めたら10キロ程度にはなってしまう。
また安くあげるのもあるため、周波数帯も分けているのである。
これは沿岸しか行けない艦艇からの情報よりも、半島の奥の情報を収集でき、無人偵察機より安く偵察でき、衛星より長い時間かけて偵察できる等、他の方策の補完する手段として有力となったのである。
この現代に復活した「風船爆弾」についてさらにこのあと詳しく紹介しよう
うまくいくやろか




