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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

俺の家から世界征服を始めようとするのはやめろ

作者: quiet

『わたしたち、いつまでもこのままじゃいられないよ……』

「なんでそんなこと言うの……」


 深夜にひとりでギャルゲーをしながら自室でさめざめと泣いている十九歳。

 それが俺だ。どうしてこんなことになってしまったんだ。




 魔術学園で卓越学生として卒業すれば後はもう一生働かずに遊んで暮らしてもいい、というのが両親の言で、俺はそれにマジかよ最最の高じゃんと人生最初で最後の最高の頑張りを見せて魔術学園の八年間を早々に駆け抜けた。


 卓越学生に選ばれる条件は二つ。

 一つは履修した全科目のうち、三分の二をA評価で埋めること。

 もう一つは八年の在学期間のうち継続して六年以上の履修が必要となる主要科目のうち、どれか一つで主席の成績を残すこと。

 ざっくり言って学年千人の学生数を誇る魔術学園で、年十人も出ないエリート中のエリートのみが勝ち取れる枠だ。


 八年間だ。八十年の人生のうちの十分の一。一割で死ぬほどの頑張りを見せれば、残りの九割は遊び倒すことに集中できる。

 入学試験の時点でゴミみたいな成績を出していた理論系――研究職や国家技官に進むインテリ組が強い分野だ――は最初から捨てていた。必修科目のほとんどをギリギリE評価でさらった。一個だけついてるA評価は、もうすぐ退官のおじいちゃん先生が開講していた北方古代魔術民俗文化史ゼミで、受講者は三名のみ。出席率でそのまま成績をつけてもらったやつだ。十回くらい飯も奢ってもらった。お世話になりました。


 理論系の必修をドブに捨てた時点で取得単位のうち五分の一は消えたに等しい。

 全体の三分の二のA評価を勝ち取るには、残りの五分の四の枠でどのくらいの成績を修めればいいのかと言うと――、えーっと……。いっぱい頑張ったのだった。


 数打ちゃ当たる、と実習系の講義をアホみたいに取って取って取りまくった。しかし残念ながらこの評価システムだと数を打ってもその成績が悪いとどんどん目も当てられない大惨事になっていくので、取ったものは取っただけきっちり仕上げなければならなくなった。自分で自分の首を絞めていたわけだが、そこは人間万事塞翁が馬、分野横断的に各講義の内容を自分のものにしたことで実力はめきめきと伸び、三分の二のA評価をギリギリで達成した。


 そして肝心の主要科目――、近距離魔術戦闘実習と中距離魔術戦闘実習で主席を取得した。


 このようにして俺は華々しく卒業式の場で卓越生徒として表彰を受けるに至った。


『いつまでもこうして楽しくいられたらって、そう思うよ。でも無理だよ……。わたしたち、いつか大人になるの。ずっと一緒にはいられない』

「やめ……ヤメロォ!」


 そしてそれから半年以上が経った今ではギャルゲーをやりながら泣いている。

 どうしてこんなことになってしまったんだ(二回目)。


 あの頃仲の良かった同期はみんな立派な仕事についてしまった。実習系でよく机を並べた同期たちは皆、治安維持系の公職でキャリアに乗ったり、民間で技術系の仕事に就いたりと社会でバリバリ働いている。


 一方俺は無職でひたすらギャルゲーをしたり、空を流れる雲の数を数えたりしている。


 何もかもダメなのはやっぱり頑張り癖がついてしまったからだと思う。元々一生怠けるために頑張ったのに、魔術学園で頑張ったり、頑張ってるやつらと交流を繰り返しているうちに、頑張っていない状況というのに異様な不安を覚えるようになってしまった。かといって働きたいわけでもない。面倒くさいし。


 俺の人生このままでいいのか?


「学園に入る前の俺はこんなんじゃなかった……」

『そうしてわたしたちは、ずっと過去の面影を求めてるんだわ……』


 図らずも会話してるみたいな流れになってしまった。ちなみにこのギャルゲー、トゥルーエンドすらもバリバリの鬱エンドで、落ち込んでるときには絶対やるなとの評判である。つらくなってきたのでセーブして電源を切った。


 電源を切ると耳に痛いほどの静寂が広がる。すると不思議に肌寒さも増したような気がして、上着を羽織る。すっかり冬だ。がらんとした部屋は広く、俺一人の体温なんかすぐに冷気が溶かしてしまう。


 地方都市だ。学園から卓越賞状を引っ提げて帰ってきた俺に、親が用意していた持ち家の場所である。

 学園のあったような首都とは違う。割に静かな町で、立地が周縁部だからというのもあるのだろうが、特に繁華街があるわけでもないから夜になるとめっきり静かになる。


 そしてこの家、家というより屋敷という方がかなりしっくり来る。

 階数こそ二階建てと抑えめではあるものの、部屋数は十を超え、玄関を抜けた先には大広間だ。造りは立派だが建築はかなり昔のものと見え、文化的な香りを感じずにはいられない。

 元は何に使われていたのか尋ねたくもあるが、肝心のこの家の購入をした両親が音信不通になっているので確かめようもない。おっと、音信不通と言っても深刻なものじゃない。多忙な両親なのだ。詳細に何をしているのかは知らないが、国家系の役職についているらしい。だから半年やそこらこちらから連絡を取れないというのは、別に珍しい話ではない。


 つまり延々だだっ広い屋敷で一人黙々とギャルゲーをしているわけで、これがどういうことかと言えば、心身ともにどんどん腐り果てつつある。


 いっそ旅にでも出るか、と思う。

 部屋の隅に置いた得物を手に、考える。道中で大道芸でもやりながらふらふら放浪する方が、まだ楽しい気がした。


 書置きでも残して次の晴れの日にでも出かけてみよう。

 思い、カーテンを不意に引く。


「雪だ」


 驚いた。道理で静かだったはずだ。

 二階の窓から見える光は、いつもなら精々屋敷へ続く道の仄明い街灯くらいしかない。が、こうとなっては話が違う。

 白雪は蛍の光よりも輝いて、いっそ眩しいくらいに目に刺さる。思いつきに部屋の電気を消してみれば、ぼうっ、と人魂のように雪野が浮かび上がった。


「……ん?」


 何か動いた。ように見えた。

 目を凝らしてみる。何かが雪の中に動いた。すぐに見つかる。それは人だった。


 茶色いっぽい長髪にロングスカート。雪の日にしては薄い装い。それは道を辿ってこの屋敷へと歩みを進めているように見える。


「誰だ?」


 半年にわたり、この場所を訪れる者はいなかった。自分からは幾度か出かけて友人と会ったりはしたが、反対にわざわざ電車を乗り継いでこの町までやってくる暇人はいなかった。自分で言っていて悲しくなってきた。いやむしろ喜ぶべきだ。俺の友人は皆充実した毎日を送っている。暇を持て余しているのは俺だけ。悲しくなってきた。


「うーん?」


 しかし、その姿にどうも見覚えがない。さすがに一年経たないうちに学園関係者を忘れることはないと思うのだが。しかしそれなら父母の関係者かというと、それも違うだろうと思う。実家は別にあるのだ。用があるならそっちを訪ねるだろう。


「気になるな」


 カーテンを閉めて、下に降りてみることにした。まさかこんなところで遭難というわけでもないのだろうが、この雪だ。困りごとでもあってこの家を訪ねに来ているのかもしれない。


 きい、と古びた木製の扉を開いて廊下に出る。床板の軋む音がいつもよりも切ないのはこの雪のせいだろう、と思う。使っているのは階段すぐ傍の部屋だ。両開きの戸をぐい、と押すと青白く視界が開ける。玄関広間だ。


「さっむ」


 うひー、と両腕をさする。そこで気付く。なぜか得物を持ちっぱなしだった。手に馴染みすぎていて時には持ってるんだか持っていないんだかわからなくなる。立てかけて忘れるのも面倒なので、そのまま持ち続けることにした。


 ダンスパーティーでも開くつもりかよ、と言いたくなるような広さの玄関ホールは、奥側に階段の鎮座する一階と二階の吹き抜け構造で、冬になると家の中なのにコートなしではいられない寒さだ。ましてやこんな雪の日となっては、硝子越しにも冷たい白光が突きさすように床に光のカーテンを作り、とてもじゃないが長居はできそうにもない。


 中の階段を使って下ってくりゃよかった。

 と言っても今更中に戻るのも二度手間だ。とんとんとん、と右側の階段から軽く一階へ降りていく。ぺたり、と裸足で一階の床を踏むと、タイミングよく玄関ベルが鳴った。


「はいはーい」


 聞こえるように声を上げながら、小走りで玄関扉へ向かう。


 玄関扉は二重構造になっていて、間の狭い空間で靴をスリッパに履き替えるようになっている。今はスリッパを履いていないから、そのまま突っかけに足を入れて、外に繋がる扉を開いた。



 そして、回避した。



 完全な反射運動だった。玄関を開いた瞬間、これまでの雪の灯とは違う、一際鋭い青白光が目に刺さった。あまりに瞬間的すぎて、その軌道すら読めなかった。だから咄嗟に身を屈め、頭と心臓の位置をずらしながら左の身体を一足分踏み込んで、手にした得物の柄で、光源の身体をぶっ叩く。


 ジュッ、と顔の横、通り過ぎる熱を感じた。回避は上手くいった。

 どっ、と手の内に軽い感触。突き飛ばしも上手くいった。


 追撃警戒。右足を引き付けて肩を入れる。いつでも鞘から滑り出せるように、腰と小指に力を込める。


 が、次の光はなかった。ぎっ、と視線を向けると、そこにいたのはやはりこの屋敷へ雪の道を辿っていた女だ。茶色い長髪、リブセーター、ロングスカート、ブーツ。

 今は尻餅をつき、雪に塗れ、こちらをぽかん、と見上げている。


「強盗か、あんた」


 一番ありえそうな可能性を提示した。

 相手は若い。俺とそう年齢は変わらないだろう。恰好は公職のものではない。魔術学園での面識もない。それが出合い頭の熱線魔術だ。それなら魔術を非合法使用して生活する人間――それくらいしか思い当たらない。


 しかし相手はそれに答えない。


「……すっごいね、君。もしかしてここの番人ってやつ?」

「は?」

「最近負けなしだったからちょっと目が覚めたかも。あ、いや。頭冷えたの方がそれっぽいかな?」


 あはは、と笑いながら雪を払いのけ、立ち上がる女。俺は力を抜きつつ、構えを変える。緊張状態はそう長く続くものではない。脱力と緊張の混合が鋭さだ。


 女の髪は雪に濡れている。それを気にする様はクラスに一人いたらラッキーという具合の可愛さで、行動と仕草のアンバランスが不安を煽る。


 にこっ、と女は笑い、言った。



「この家ください」



「……は?」


 意味不明な要求。唖然とする俺。続ける女。


「この家が欲しくてあたしはここまで来ました。ここまでオーケー?」

「……まあ、オーケー」


 全然オーケーじゃない。


「話し合いとか面倒なので、住んでる人を追っ払って強奪しようとしました。ここまでもオーケー?」

「まあ、オーケー」


 不動産の強盗。レアケースすぎる。国家権力に対してどう防衛線を張るつもりだったんだ。


「で、いざ襲ってみたら意外に強かったので話し合いで引いてもらおうと思いました。ここもオーケー?」

「オーケー」

「よしっ。それじゃあ今すぐ出てってください」

「誰が出ていくか!」


 至極当然の反応を返すと女は、えー?と首を傾げる。


「ダメ?」

「ダメに決まってるだろ。ここは俺の家だぞ」

「そっかー……、そっかそっかー」


 女はぐにー、と自分の片頬を人差し指で押し上げながら考え込むように宙を見て。



「そんじゃま、消えてもらおっか」



 二発目。

 今度は、回避できなかった。


 さっきの指先のような細さの光線魔術とは規模が違う。半身飲み込むような直径の、円柱型の光線だ。


 咄嗟に得物の長刀を前に掲げ、身体の表面に対抗魔力を流す。

 近距離魔術戦闘における基本の防御方法だ。防御魔術は数多あるが、近距離戦においては体外に壁を生成するよりも身体表面を魔力で包み衝撃を軽減する方が小回りが利きやすい。攻撃規模を予想できなかったこともあり、ジャストタイミングでの魔力励起はできなかったが、それでもダメージを殺すには十分。


 の、はずだった。


「ぐぁっ……!」


 宙を舞う。

 のも一瞬。背後の扉の隙間を抜けて、エントランスの広間に叩き転がされる。強いバウンド。空中で体勢を立て直して、何とか着地する。つっかけの裏側が床に擦れ、きゅう、と甲高い音を立てる。


「わお、これも耐える?」


 女は悠々と、ロングスカートがほとんど隠したブーツのまま広間に入ってくる。


「なんッ、つー、馬鹿力だ!」


 腕に痺れが残っている。

 ガードの上から中身に衝撃を通された。あの速度の無詠唱魔術でこんなに削られたら堪ったもんじゃない。


「いやいや。あたしのビームに二発も耐えられる時点で君もなかなかだよ。他はこれまで四人くらいかな? すごいすごーい」


 女はにっこり笑って拍手する。そしてその発言がはったりじゃないことが、俺にはわかる。


 強い。

 一撃に込める魔力が多く、かつ速い。たったそれだけの特徴しか出ていないが、これだけで強い。あの距離であの速度、あの威力が出せるなら、大概の相手は反応すらできずに終わり、たとえ反応しても削りでノックアウトだろう。


「ただの強盗じゃないな?」

無料(ただ)でもらうつもりだけど」


 軽口は余裕の証明。


 舐められている。

 好都合だ。


 突っかけは邪魔だ。脱ぎ捨てる。

 裸足で床を踏むと、感覚が鮮明になる。床を伝って相手の重みまで感じるようだ。


 柄に手をかける。八年間を共にした長刀。長さの調節こそあれ、大まかなスタイルはずっと変わらなかった。今では背丈よりも長くなったそれは、最大で2.7m先まで刃先が届く。


 現在の間合いは学園定義で言えば中距離。武器による直接攻撃を持ち掛けるには遠いが、詠唱込みの大魔術戦にするには近すぎる。つまりは長刀間合いの外。この距離で強いのは対応する特殊装備持ち、無詠唱が強力な精霊術師。


 というのが一般で。

 俺も強い。


「ふッ――!」


 指に力を込め、右を一足前に。

 女が接近を警戒して、迎撃の光線魔術を準備し始めるのが目に見える。


 だから、そのまま振り抜いた。


「あっれー!?」


 ズバン、と音がして女の足がすくわれて宙に浮く。間抜けな声には気を取られない。そのまま二刀目。胴のあたりに振り抜いて、宙空に翻る身体を止める。

 狙いを付けて、第三刀。


「しッ!」


 首。

 今度は向こうがぶっ飛んだ。


 が、そこで妙なことが起こる。


 女自身に起こったわけじゃない。むしろ、屋敷の方だ。


 かなりの力でぶっ飛ばした。玄関側に飛ばしたのはいいにしても、体勢的にそのまま外にシュート、とはならない。扉上の壁にぶつかるコースで、実際女はそのように強く壁にぶち当たった。


 なのに、壁が抜けない。よっぽど風通しがよくなるかと思ったが、まるで傷一つついていないように見える。女はずるずると壁伝いに降下し、扉に辿り着いたが最後、ずごっ、がん、と頭から着地失敗する。


 壁のことはひとまず置いておくことにしよう。それより相手だ。


「やったか?」

「いっ……った~!」


 割に元気そうな声が聞こえてくる。


 仕留めそこなった。が、手ごたえがなかったわけじゃない。

 内蔵魔力で受け切られたな、とわかる。高位の魔術師になると、防御魔術なしでも対抗魔力がある程度励起する。そのため、実力者同士の戦闘は長引きやすい傾向がある。


 女は後頭部を押さえながら立ち上がる。そこはぶつけてなかっただろ。よっぽど余裕があるらしい。


「何今の!? ずるくない!?」

「ずるくない」


 女をぶっ飛ばした技は、中距離魔術戦闘実習を制した際の得意技だ。

 射程無視――、と言えば大仰だが、種は長刀の延長線上に切断魔術を乗せてぶった斬るだけの、シンプルな技だ。


 間合いは長ければ長いほどいい――、だから中距離を制するくらいに刀を伸ばすというのがコンセプトで、教官に「ほんまもんのアホ」と言われた代物。アホ呼ばわりの理由は、そんな長物を振り回して刀術なんかできるわけないだろアホ、という単純なものだった。俺はできたけど。


「むむむ、いかんな。あたしの威厳が台無しになってしまう。まじめにやろうっと」


 言って、女がセーターを脱ぎ始める。


 一瞬俺はものすごい勢いで動揺したが、その下から出てきたのが長袖の黒いシャツだったのでほっと胸を撫で下ろした。

 Vネックの部分から目を逸らしていると、赤い髪が視界に入る。自分のものだ。半年くらい切っていないものだからだいぶ伸びている。女が「いっち、にー、」と伸脚している間に、ポケットに入れていた髪ゴムで一つに括った。


「お、そっちも本気だね」


 女がぷらぷらと手首を振りながら楽し気に言う。俺は全然楽しくなかった。


「帰ってくれ。警察呼ぶぞ」

「そのときは警察を倒すよ」


 ぐっと握りこぶしを作る女。溜息をつく俺。実際それができるだろうと思う。町の警察組織に必ず魔術師が配備されているわけじゃないし、それが戦闘特化な確率はもっと低い。魔術師じゃない警察が魔術犯罪者を鎮圧するときは、多人数で一方的に、がセオリーだ。そこまでできる人員もいそうにない。


 この女のレベルなら、俺が自分で追い返すしかない。

 女が笑って言う。


「じゃ、行くよ」


 次の瞬間には、懐にいる。


「――――!」


 目が合った。釣りあがる口の端。瞳孔に青い光が宿っている。


「せやっ!」


 中段諸手掌底突き。身長差から完全に懐に入られた形になる。無茶を承知で両足で前に飛び、向こうの腕が伸び切る前に身体を押し付ける。


「ぐッ――!」


 向こうの攻撃は十全の形じゃない。対抗魔力の励起も上手くいった。

 だが、効く。衝撃を殺しきれず、また後退を強いられる。


「らららららあっ!」


 屈み込んだ女が下段、足払い。跳躍は間に合わない。長刀を床に突き立てるようにして受ける。それでも足先が脛に擦れる。

 休む間もなく床を舐めるような軌道で女はもう一足。跳ね上がった右は、翻るロングスカートに紛れて間合いを感じさせないまま顎先を狙っている。今度は長刀が間に合わない。腕を持ち上げて受ける。


 衝撃にガードが崩れる。女は蹴りの姿勢のまま、流れるように飛び上がっている。もう一度ロングスカートが翻える。叩き落とすような、鋭い回し蹴りが来る。


 このままじゃ避けられない。体勢が著しく崩れるのは承知の上で、前に転がる。素早く身体を持ち直すと、目の前に靴底が見える。


「がッ――!」


 柄が間に合う。距離が近すぎる。向こうの蹴りの勢いを利用して後ろに転がる。


「それそれそれそれっ!」


 ストンピングの速連撃。硝子の靴でも履いて走るみたいに、スカートの裾を持ち上げた女が次から次へと踏みつけを繰り出してくる。間一髪、それを眼球のほんの空気一枚隔てたところに見ながら躱していく。


「調子に乗るな!」


 硝子の靴が九、十、十一。十二で魔法が解けて捕まえた。腕で足を取って、身体をさらに転がして地面から投げてやる。


「ぷげっ!」


 手ごたえ。長物の扱いならお手のもんだ。人の足だろうと身体だろうと。


 その隙に距離を取る。女が鼻を押さえながら涙目で上半身を上げる。2.7m以下。だが徒手の間合いじゃない。

 長刀の間合い。


「一本!」

「ほぎゃっ!」


 一刀、振り切る。かなりの力を込めた一閃だ。が、斬撃の手ごたえじゃない。対抗魔力が強すぎる。これじゃ打撃の感触だ。それなら――、


「畳みかける!」


 二刀、三刀。

 四五六七八九十――、

 十一。


「んがあーっ!」

「――ッ!」


 爆発。

 何があったのかすらわからなかった。


 突然全身に衝撃を受ける。浮遊感。打撃の感触。数瞬遅れて、自分が吹き飛んだことを、地に伏せたことを知る。


「くッ!」


 即座に体勢を立て直すが、すでに遅い。


「せりゃあー!」


 拳が顔面に刺さる。

 防御が全く間に合わなかった。素の対抗魔力で受けることを余儀なくされるが、ガードが間に合ってなお痺れるような馬鹿魔力相手に無事でいられるはずがない。めきり、と頬骨の軋む感覚。ダメージを確認する間もなく。


「どーんっ!」


 みぞおちから突き上げるようなアッパー。見もせずにクロスした腕で防げたのは、自分の体勢から来る当てずっぽうだったが、何とか間に合う。


 しかし、衝撃は殺せず、身体は浮き上がる。

 連撃は止まらない。


 身動きも取れないまま、蹴りが来る。これも柄でガードするが、衝撃がモロに走る。壁際まで吹き飛ばされ、背中から叩きつけられる。


 そして、もう目の前にいる。


「いっくよーっ!」


 一発もらった。二発もらった。

 そのあとは断続的に意識が途切れる。拳、蹴り。自分の身体が壁際に縫い留められ、上から下から、防ぎようもなく連撃をもらう。


「らすっとーっ!」

「がッ――!」


 頭部に衝撃。床に叩きつけられ、バウンドしたところに、すくい上げるように、だが生半の威力じゃない蹴り上げを食らう。


 一瞬、打撃が途切れた。そこで意識もはっきり戻った。


 青白光。

 俺は浮かび、女は下。胸の前に光るそれは、玄関先でもらった二撃目よりも狂おしく輝いている。


 発射の体勢に入っている。もらえば消し炭だ。


「おぉオオおッ!」


 宙に踊りながら、床に向けて長刀を抜き放つ。女は動揺しながらもそれを難なく避けたが、問題はそこじゃない。


「しぶっといね、君!」


 剣先に切断魔術ではなく、衝撃魔術を乗せた。反動でさらに身体が上昇する。


「でも、これで――」


 天井に足がついた。

 光は今にも放たれようとしている。


 だが遅い。


「ずえぇぇええええいッ!」


 来るとわかるなら、斬れる。

 足裏、ふくらはぎ、太もも。天井を突き放す力をそのまま推進力に変え、重力のもたらす加速をそのまま斬撃の重みに乗せる。


 切断魔術は魔術にすら通用する。その際の要点は中心部で、力を均等に分けるように切り込むこと。女の光線は円柱形。


 イージーだ。


 白光が二つに割れていく。

 力の奔流を突き抜ける。


「なっ――」


 女の顔が見えた。


「ぜェやッ!」


 すれ違いざまに、胴を斬りつける。相手ののけぞった首を捕まえて、背負い込むように投げ飛ばす。宙に浮いた身体に実刀間合いで一撃加える。


 渾身だ。


「いッ――!」


 ようやくダメージらしいダメージの喘ぎ。だが油断はしない。

 立て続けに二撃目。反撃を恐れず大上段から全力で振り落とす。


「ぅあっ――!」


 これも入った。バウンド。三刀目の構え。納刀し、腰を回しながら最速で振り抜く。

 乗せるのは切断魔術じゃない。衝撃魔術だ。


 どん、と激しい風圧が生まれ、俺の頬まで叩きつけるような音が走る。女は一息もつかぬ間に反対の壁際まで吹き飛ぶ。


 さっきの連撃は知覚不能の爆発に持っていかれた。

 二度はない。


「壁のシミにしてやるよ!」


 次もまた衝撃魔術だ。

 次も、その次も、そのまた次も。


「あっ! うっ! あっ!」


 壁際から壁際まで。この場所における最大の射程と間合いで、一方的に嬲る。向こうの対抗魔力が空になるまで、一方的に叩き続ける。


 十二時の鐘が、二度鳴った。


「――ア」

「――!?」


 悪寒が走った。


 たったそれだけのことで、連撃を中断した。振り抜いた長刀を納め身体の前に立てる。中距離戦闘ならまだ間に合う。

 全力の、体外防壁魔術。


 完成した瞬間、広間が爆発した。


「オオオオオッ――!」

「ふざ、け……!」


 平面の防壁じゃ波動を殺しきれない。中心部を突出するように変形させ、衝撃を受け流す方針に切り替える。秒にして五。防壁の保ったのは四。罅入るそれの向こう。爆発が広範囲すぎて切断魔術で割ることもできない。


「うォおおおおおおッ!」


 残りの一は、全力の素受けだ。対抗魔力を全身全霊で励起させる。


 嵐が終わる。


 ズタボロだった。


 元々一度目の連撃をもろに受けた時点で、ほとんど肉体的な耐久は限界を迎えていた。光線魔術による確殺を目の前にした極限状態だからあれほど動けただけで、はっきり言ってしまえば未だに内臓が正しく機能していることすら不思議なくらいだ。案外もう半分くらいはダメになってるかもしれない。


 そこにこれだ。


 見たところありゃ単なる魔力放出だ。具体的な魔術属性への転換を通さない、強いて例えるなら対抗魔力をそのままぶっ放すだけの、著しくエネルギー転換効率の悪い、魔術とも呼べない魔術。

 だが、それだけで相手を瀕死に追い込めるほどの馬鹿魔力があるなら、最速で、最強の攻撃だ。ありゃ初見じゃ避けらんねえよ、って自分を慰めたくなるくらい。


 肌がめくれて肉も抉れている。血に染まっていない部分を探す方が難しい有様だ。全身熱いんだか寒いんだかわからないような温感でガクガク震えているし、流れたはずの血液は瞬時に蒸発したらしく、どのくらいの血が外に流れて、残りはどれくらいなのか、それすらわからない。


 開いていた右目が見えなくなっている。溶けちまったか。瞼に閉じ込めていた左目を使って相手を見る。


「なにもんだよ、おまえ」

「コっちのセリフだよ」


 女の方も舌まわりが怪しい。それなりにダメージは積めたらしい。


 だが、思う。

 こりゃ完敗だ、と。


 賞状もらってそれなりにゃやれる気になっていたが、世界は広かった。まさか近中距離でここまで叩きのめされるとは思わなかった。魔力も大部分を使い切って、これを回復にまわしても命は拾えないだろう、と思う。


「えーゴーかんの守り手ってイっても、こンな……。人げんが、いるとはおもわなかった」


 どうやら向こうも、俺と似たような気持ちらしい。お互い井の中の蛙で、強敵の存在なんざ頭になかったのだ。向こうが勝者で、俺が敗者という決定的な違いはあるが。


 が。


「――――」


 体力はもうない。気力だってない。だけど、まだ魔力は残ってる。


 操作魔術。ハードトレーニングの追い込みに使ったりする、自分の身体を無理やり動かす技術だ。定型的な運動はともかく実戦で使うと筋を断裂する恐れがある。もう関係ないがな。


「まだやるの? ……そうだよね」


 女が言った。

 その言葉に、自分自身不思議に思った。


 割に合わないよな、と。

 自分で買ったわけでもない家だ。しかも近いうちに放浪の旅に出るつもりだった。こんなにズタボロになるくらいなら、命を落とすくらいならくれてやった方がよっぽどいい。

 それなのに未だ、刀に手をかけるのは。


「あたシも、そう」


 女がにやりと、楽し気に笑う。俺は全然楽しくなかったけれど。


「…………これで、終わりだ」


 すげえドキドキしてた。

 そんな、気もする。


 こんなとき、全部頼れる必殺技でもありゃあよかったな。

 そんなことを考えていると、女が動き出す。


 インファイトだ。拳を握り込んだ女が懐に潜り込もうと姿勢を低く、突撃してくる。

 あの魔力放出をもう一発やられるだけで詰みだった。それをしないのはもう魔力が残ってないからか。

 距離を取ってからの光線魔術で仕留めに来ないのは、衝撃魔術で中距離に縫い留められるのを警戒してか。


 どっちでもよかった。何にしろ一番勝ち筋のある展開だ。万に一くらい。


 一発目。脇腹に抉り込むような拳の軌道。内肘を押さえるように前に踏み込んで、出合い頭を突き飛ばす。


 女は一瞬怯むが、俺が追撃しないのを即座に判断すると、その間合いからハイキックを直に当てにくる。上体を後ろに倒して躱す。女は回る勢いで後ろ蹴り。これは身体の軸をずらして躱す。女の目が驚愕に見開かれるのがわかる。


 見切りは何も死に際で頭が冴えてるからだけじゃない。単純に、向こうの動きが鈍い。魔力の消耗が激しいのか、それとも体力か。身体強化系の弱りが目に見える。さっきまではたとえ目に見えても反応が限界だったが、今は思考をする時間まである。操作魔術による運動都合上、思考がハマれば綺麗に身体も動く。受ける側が有利だ。


 が、追撃はできない。決め手がないのだ。残り少ない魔力で仕留める手段が思い浮かばない。


 足払い。ステップで躱す。

 跳ね上がっての飛び蹴り。身体を回しこんで下をくぐる。

 空中からの光線魔術。視線と動線を読んで二歩で躱す。


「――!?」


 が、そこで驚くべきことが起こる。着弾点となった床から、衝撃が伝わってきた。


「どうだっ!」


 女が反動で浮かんでいる。

 やられた。俺の戦法のコピーだ。衝撃魔術を混ぜて宙空での滞空時間を伸ばしてきた。


 想像しない角度からのもう一撃。振り抜くしかない。柄から長刀を抜き放ち、叩き斬る。


 それが、最期の隙になった。


「一発で足りないなら――!」


 青白色の光。

 それが、宙に十二。


 単純な攻略法だった。

 強力な光線魔術を切断する剣士相手に有効な戦法――、質がダメなら、量で攻めればいい。


 斬り捨て切れないほど高速で、大量に撃ち込めばいい。


 耐え切れない。それは間違いなかった。


 なら、突っ込むしかない。残りの魔力は操作魔術分を差っ引いて、跳躍のための身体強化一回分。それからもう一振りに乗せる魔術分でお終いだった。

 一発は当てられる。それで正真正銘の終わり。仕留めきれなければ、追撃をもらって、それで終わり。


 必殺技は、ない。


 跳躍する。肉薄する。それを予想していた女は身を固める。よく見りゃ身体表面に青白い光が見える。魔力の灯だ。対抗魔力の励起が目に見えるなんざどんな馬鹿魔力だ、と呆れる。ここぞとばかりに気合を入れたか、それともこれまでもずっと光っていたのを、白雪の光に溶けて見過ごしていただけか――


 溶ける?


「――――あ」


 女の瞳が迫る。青い光。


 そうか。これも単純なことだった。

 たぶんこれまで、誰もやらなかっただけだ。必要もなかったから、やらなかっただけだ。


 通常魔術で削り切れないほどの対抗魔力の持ち主、なんて、そんな規格外を目にしたことがなかったから、削り切る以外の方法に目が向かなかっただけだ。


 対抗魔力。

 それは未だ変換されない、内蔵された魔力。


 それが体外に表出していたとするなら。

 それが魔力であるとするなら。


 まさか、それは。


「え――――」


 自分の魔力と、溶かし込んでしまえるのではないか。

 相手の魔力を溶かして、魔術に変えられるのではないか。


 そして相手の肌に触れ、対抗魔力を溶かしこんだとき、切断の魔術に換えたとき、もはや相手に抵抗の余地はなく――。



「――――必殺」



 それは、防御不能の、不可避の一撃に。


 女の首が飛ぶ。俺は着地の余裕すらなく、無様に床に倒れ落ちる。



 最初で最後の、思いつきの必殺技だった。



*



 目を覚ましたら、視界が黒かった。

 ので、地獄に堕ちたのだと思ったら、微妙に光も感じることに気が付いた。


「う、ん……」

「あ、起きた」

「うォわあっ!」


 ビビッて飛び起きた。地獄で最初に聞いたのが自分の声で、次に聞いたのが生前首を跳ね飛ばした女の声だった。


 飛び起きると、視界の黒に当たった。妙に柔らかい感触がした。混乱しつつ、硬いやら柔らかいやらに手をつきつつ立ち上がる。


 そしてようやく状況を理解した。


 周囲には溶岩も鬼も窯鍋もなく、死闘を繰り広げた玄関ホールが広がっていた。


 目の前には、茶色い髪の女が座っていた。正座で。

 そしてついさっきまで、俺は何かしら柔らかいものの上に横たわっていた。


 状況を理解した。


「わ、顔真っ赤。かわいー」

「ちょ、ちょっとタイム」


 状況は理解した。

 経緯は理解できなかった。


 二人そろって死んだはずじゃなかったのか。それならどうして未だにこの広間にいる?


 自分の身体を見下ろした。傷ひとつない。

 女を見た。同じく傷ひとつない。にやりと笑われ、胸元を隠された。そんなところは見ていない。反射で目を逸らしてしまった。


 まさか夢でも見ていたわけじゃないだろう。なら、この状況はなんだ?


「いや、その……、悪い」

「どっちのことに謝ったの?」

「……全体的に?」


 何に謝ればいいのかすらよくわからなかった。というか押し入り強盗が相手だし、謝るのすら正解ではなかった気がする。


「その……、どうなったんだ?」


 率直に、そう聞いてみることにした。

 たぶんこの女の方もわかっていないのではないか、と思いながら。


「え˝」


 しかし、その予想に反して、女はきょとんを通り越してすっとん、という感じの驚き顔を見せる。


 それから床を指さし、なぜか片言で。


「ココ、エーゴーカン」

「A号館?」


 なんか学園の建物名っぽいな、と思う。個人の屋敷にしては大きすぎると思っていたし、やっぱり昔は学校関係の施設だったのだろうか。


「いや、えー……。そっから?」

「どっからだよ」

「永劫館。永遠の方の永劫。ほんとに知らない?」


 知ってて当然、勘違いしてるんじゃない?と言わんばかりの口調だったが、知らないものは知らない。首を横に振ると、女は言った。


「かわいそー……」


 割と本気の同情の声だった。


「おい待ってくれ。どういうことだよ。なんかいわくつきの建物なのかここ」

「いわくつきも何も……。遺産のひとつだよ、ここ」

「いさ、……は?」


 思わぬ言葉に、とりあえず現実逃避してみる。


「…………文化遺産?」

「魔王遺産」

「聞いてねえ……、聞いてねえ!」


 魔王遺産。

 いくら理論系が苦手だったといっても、学園で単位取得ができるならこのことを知らない者はいない。


 魔王と呼ばれた魔術師がいた。

 理論と実践という大区分すらなかった遥か昔の時代において、今なお最高の魔術師として語り継がれる、男とも女とも知れない謎の人物。


 残した魔術理論は、現代の水準に照らしても完成の一言でまとめられてしまうほどの出来で、未だに解読中のものもあるらしい。現代魔術理論家を「魔王研究者」「史実の再発見者」と呼ぶ者すらいるほどだ。


 そして実践分野における逸話は伝説そのもの。神代の口伝の混和を指摘する者もいるほどで、初めて聞いたときそれを真実と思うものはほとんどいない。


 魔王の遺産を目にするまでは。


 魔王遺産とは、その最高の魔術師が残した魔道具のことを指す。それらすべてがオーパーツ級。現代における最高の才能を千人規模で招集してようやくそのうちの一つが再現できるか再現できないか――。


 手に入れるだけで人生十回分の価値がある、とすら言われる代物だ。たとえば、学園の卒業生に一番馴染み深い、『無の指輪』と呼ばれる魔道具がある。


 これはただ着用するだけであらゆる魔術の効果を無効にすることができる。あまりにもインチキすぎる能力だ。新入生は毎年、これを着用した学園長に好き放題に攻撃する権利を得る。代償として己の無力を知る。


 長くなったが、つまりここは。


「なんで俺が住んでるんだよ! 国の至宝じゃねえか!」

「あたしに聞かれてもなあ……」


 魔王遺産のほとんどは、それを巡る争いを避けるために隠匿されている。その隠匿された遺産のひとつ、ということだろう。


 頭を抱える俺を前に、女は言う。


「あたしもこの館に住んでるくらいだからきっと国から公認された守護者か何かだと思ったんだけど。すっごい強いし。なんで知らないのにここにいるの?」

「無職でふらふら生活しようと思って……!」

「は?」


 わけがわからない、という声の女。わけがわからないのは俺の方もだ。両親は知っていたのか? 知っていて俺を住ませたのか? そして俺に何をさせたかったんだ? ぶっちゃけこれ親が怪しい役職についてて俺を騙くらかして強くして、そうと知らせずここの警護させてるんだろ? 違うの? 偶然なの? 俺は何を信じたらいいの?


「……わかった。いやわかんねえけど。とりあえずそれは置いとこう。ここが魔王遺産だと万歩譲って仮定して、それで? お前の首と胴はなにをどうしてくっついたんだよ。どこの接着剤使ってんの?」

「そんなの永劫館の能力に決まってるじゃん」

「……ひっじょーーーに聞きたくないんだが、この何の変哲もない俺の家の能力ってのは?」

「不壊と不変。それから建物内部の生命を含む物質に関する原状回復機能」

「げんじょう……」

「覆水盆に返ります機能」


 頭抱えて目を瞑ったら次に開けたときに全部夢になってないかな、と思った。実際に試してみたけれど残念ながら現実は今も流々としてそこにあった。だったらこの現実を否定するしかない。


「いや待て。そうだ、それにしちゃおかしいことがある。不変ってんだったらこの家の様式がおかしいだろ。魔王のいた時代は遥か昔だぞ。こんな近代建築になるわけがねえ」

「それはあたしに聞かれても」

「そりゃお前に聞いてもしょうがねえかもしれねえけど、」


 と、ここで閃く。


「ていうかお前がなんで永劫館だとかなんだとかそんなこと知ってんだよ。秘匿されてる魔王遺産の情報は国家機密相当だぞ。貴族どころか王族だって継承順位の低いやつらはまるで聞かされてねえって話じゃねえか。研究職の第一線張ってるわけでもねえ一般人がそんなもん知れるわけねえし、お前デタラメを――」

「だってあたしも持ってるもん、魔王遺産」


 女はこともなげに言った。

 俺は絶句していた。


「……は?」

「これ」


 ひょい、と取り出したのは、どこに入れていたやら茶色い革の手帳。ていうか今虚空から物を取り出さなかったか? そんな魔術あったか?


「なにそれ」

「魔王の日記帳。魔術の鍛え方とか遺産の情報とか全部書いてあるんだよ」

「ここよりよっぽどやべー遺産じゃねーか!」


 遺産の情報。これだけでやばい。この手帳の存在を知っているだけで国からアサシンを送り込まれても文句は言えないくらいだ。騎士団に覚えのない罪で豚箱にぶち込まれて裁判なしで死刑判決を食らっても納得こそできないだろうが諦めくらいは発生する。


 そのうえ、最高の魔術師と呼ばれた人物の遺した、魔術の鍛え方。こんなもん学園にカゴつけて放ってみろ。血で血を洗う大バトルの末に、最後に残った蠱毒な勝者が見事罠にかかり、罠にかかったままそれを読みふけって己の人生に満足して死ぬ。


 俺がさらに頭を抱える一方で、女はふふん、と胸を張っていた。


「すごいでしょ」


 どう考えてもその程度で終わる話じゃなかった。もしこれが本物だったとして、そしてこの家も本当に魔王遺産のひとつだったしたら、今すぐにこれを強奪しに得体の知れない輩がここを訪れることも――、


 からん、からん、と。


「…………」

「出ないの?」

「静かにしてろ」


 ドアベルが鳴った。

 扉の向こう、誰かがいる。雪の日に。真夜中に。


 気配を殺し、忍び足で進む。女もついてくる。しっしっ、と手で合図して奥に追い払う。こいつがいるとかえって話がややこしくなりそうな気がする。女は思いのほか素直にそれに従った。


 ドアスコープから向こう側を覗き込む。


 安心した。

 扉を開く。


「よ、久しぶりだな」

「なんだよ、どうしたんだ急に」


 そこに立っていたのは、片目を隠す長い前髪に三白眼。オーバーサイズ気味の薄着に身を包んだ、男だった。

 パーカーのポケットに手を入れながら吐く息は白い。笑う睫毛には霜の降りる勢いだった。


 こいつは学生時代の同期。

 中距離戦闘実習を見越して「なんかカッコイイ」という理由で鎖鎌を武器に選択し、四苦八苦の末それを使いこなした頃になって「鎌でかい方がかっこよくね? 死神みたいでモテそう」と言い放ちまるでサイズ感の違うほとんど別武器と化した鎖鎌に切り替え、教官に「ほんまもんのアホ ver.2」の称号を得た男だ。

 ちなみに実力は中距離に限ればトップクラス。最終試験の前日に度胸試しと称して生ガキを一キロ食らい、案の定腹痛で単位を落としたほんまもんのアホ(真)だ。結果として留年を果たし、同期で入学したが卒業は俺の方がひとつ先輩になった。


 が、それだけに安心できる。アホで、そのうえ未だに学生だ。秘匿された、あるいは未発見の魔王遺産のことなど知るはずもない。いきなり俺のところを訪ねにきたのが怪しいといえば怪しいが、どうせ急に築地にマグロを食べに行きたくなって道連れに暇そうな俺を確保しようとしたとか、そんなところだろう。なんかへらへらしてるし。


「お前さ、愛とか恋とかってどう思う?」

「は?」


 いきなり何の話だよ、と思うが通常運転だ。


「さっきまでギャルゲーやってたけど、やっぱ愛は最高だよな。死にたくなるぜ」


 ゆえに俺も適当に返したのだが。


「だよな……」


 なぜか同期はその言葉にしみじみと頷いて。


「やっぱりそうだよな。愛は最高。恋は至高。だったらやっぱさ、それと引き換えに友情を破壊するのも仕方ないって、お前ならわかってくれると思ってたんだよ」

「……は?」

「つまりさ、」


 悪寒。


 瞬間のバックステップ。さっきまでの戦いで神経が研ぎ澄まされていたのが幸いした。前髪の一束がはらり、と目の前を落ちていく光景。


 目の前には、大鎌を構えたパーカーの男。


 その後ろには、これまでどこに隠れていたのやら、非常に布面積が小さい淫猥な装束を身に貼り付けた紫色の髪の少女。

 そして、黒い、蝙蝠のような羽根が背中から生えている。


「初恋なんだ……。ハニーの望むもの、全部手に入れてやりたい。――たとえそれが、友の自宅や命であっても!」

「ダーリンかっこいー♡」

「頼むからよそでやってくれ!」


 横薙ぎ一閃。しゃがみこんで躱す。伏せるような低姿勢から、地面を舐めるように切り上げてやろうと長刀を抜き放つ。


 いや、抜き放とうとした。


「なッ――!」

「悪いな、お前が引きこもってた一年間、俺は学園で鍛錬を積んでいた――下級生に混ざって!」


 鎖ですでにがんじがらめに長刀が抑え込まれている。判断の遅れは否めない。得物を手放す覚悟をする、ほんの一瞬の逡巡。


 そのときにはもう、俺は腕ごと奴の間合いに引き込まれている。

 身体を崩された。立て直す前には、すでに。


 目の前に、死神の鎌が迫り。


 青い閃光が走る。


「ちょっとー、しっかりしてよ。あたしと引き分けた人がそんな簡単に負けたら、あたしが弱いみたいじゃん」


 声とともに、もう一つ光が飛んでくる。今度は鎌ではなく、鎖に。長刀は縛めから解かれ、俺は距離を取り、再び構えを取る。


 たった今、命の恩人と化してしまった女の横に、並び立つ。


「………………………助かった」

「何その苦渋感」


 位置関係は、奇しくも先刻の、女と対峙したときに似ていた。

 俺が屋敷のホールに陣取り、外敵はゆっくりと、玄関をくぐってやってくる。かつてよりも巨大になったようにすら見える大鎌を担ぎ上げた同期は、並び立つ俺と女を興味深げに見て、言う。


「……なんだ。お前も始めたのか。今世紀最大のロマンスを」

「始めてねえよ、この色ボケ!」

「始めてないの?」

「始めてねえだろ!」


 なぜか女の方も同期の言葉に乗ってきたので、二回叫ぶ羽目になった。その様子を見て、同期の後ろ、黒い羽根の少女はクスクスと笑っている。


 邪悪な顔で。


「な~んだ、魔王遺産の守り手だとか言うから警戒してたのに、ゲッキ弱じゃ~ん! アタシとダーリンの敵じゃない!って感じ~?」


 激弱。

 だいぶ心に刺さる言葉だった。

 さっきの醜態を考えれば強く反論できないのも痛ましいところだった。仕方ない。これまでの戦闘での屈辱は、これからの戦闘で晴らすしかない。


「……そっちのお前はそもそも誰だ。誰からこの屋敷のことを聞いた?」

「はあ? 教えるわけないでしょ、バッカじゃない?」


 馬鹿。

 だいぶ心に沁みる言葉だった。

 これまでの人生を考えれば強く反論できないところもなんだかなあだった。仕方ない。これまでの人生での屈辱は、これからの人生で――、今はそんな気の長い話はいい。


 この同期はほんまもんのアホではあるが、さすがに色恋にのぼせ上がって友人の命を狙ってくるようなイカレた男ではない。と信じたい。


 となると、この襲撃の主犯は同期ではなく、向こうの黒羽根のわけで――。


「あ」


 女が、隣で声を上げた。


「そっか。どっかで見たことあるなーと思ったら、君、夢魔か」

「はあ? 夢魔ってお伽噺の」

「――――ふうん」


 反射的に長刀を抜き放つところだった。

 向こうが何をしたわけでもないにも関わらず。


 黒い羽根から、膨大な魔力が漏れ出している。下手をすると、茶髪の女よりも上――。


「人間の割にはよくものを知ってるじゃん……。いや、そっか。その身体から漏れ出してる青い光――」


 黒羽根は、女を値踏みするように、鋭い目つきで睥睨し、言う。


「魔王遺産の継手――、いや。さしずめ二代目魔王、ってとこ?」


 ぎょっとする。二代目魔王。その言葉の意味するところ。これまでの長い歴史の中で自称にしろ他称にしろ、その異名を持つ者がいなかった、という事実。


 しかし、女は自信満々に頷く。


「そのとーり! あたしこそ魔王遺産がひとつ、魔王日誌の所有者にして、魔王と同じ青の光を放つ者! 人呼んで二代目魔王!」


 たった今衝撃の事実が発覚した。

 人呼ばれているのか。人から二代目魔王と呼ばれるような人間なのか、この女。


 その言葉を聞き、黒羽根は舌なめずりで唇を濡らす。


「なるほど、なるほどねえ……。警備も手薄で、能力効果も拠点にするにはうってつけ。この永劫館を取っ掛かりに世界征服を始めようと思って来たけれど――、最初にラスボスを手駒に加えるっていうのも悪くない」

「悪いけど、世界を征服するのはあたしだよ」


 たった今衝撃の事実が発覚した(二回目)。

 こいつら世界を征服しようとしてたのか。いやでもそりゃそうだよな。こんなインチキ館手に入れようとするブレインハッピーな連中なんてどう考えてもマッドな目的持ってるよな。


 帰ってほしい。

 切実に。


 バチバチ視線をぶつけて牽制し合う二人の女。それを遠い目で見ていると、風切り音が聞こえてきた。


「うおっと!」

「避けたか、流石だな!」


 大鎌の不意打ちだ。こいつに友情とか正々堂々とかいった言葉を学園で習わなかったのだろうか。俺は前者の方は習ったんだけど。


 得物を構え、対峙する俺と同期。

 その隣で、睨み合う二代目魔王と夢魔。


「二対二だね!」

「二対二になってしまった……」

「なんで不満げ?」


 逆になんで乗り気なんだよ。さっきまで最終的にノーカンになったとはいえ生死のやりとりをしてたんだぞ。頭がおかしいのかこの女。おかしいんだったな。


 俺は同期に呼びかける。


「おい! 考え直せ! 本当にやる気か?」

「やるさ。ハニーのためならね!」

「ダーリン♡」

「ハニー♡」


 胃痛がしてきた。

 顔をしかめていると、女が耳に唇を寄せてきた。そのまま息がかかる。


「はふんっ」

「何変な声出してんの。それよりさ、あれ多分洗脳されてるんだよ」

「洗脳、って。そんな魔術聞いたこともないぞ」

「夢魔の生得魔術なの。日誌に書いてあったから解法も知ってる。利害は一致してるでしょ? ここは協力して切り抜けようよ」

「…………いきなり襲われた恨みもあるが、助けてもらった恩もある。今回だけだ」

「癖になったら千回くらいしようね」

「ならねーよ!」


 叫び返して長刀を構える。どうせこの永劫館の中での戦闘なら、最期にはダメージは残らない。思いっきりやってやる。


 永劫館――。


 これまで名前すらも知らなかったこの屋敷に、珍客が三人。


 一人は、青い光を放ち、世界征服をもくろむ、二代目魔王を名乗る茶色い髪の女。


 一人は、お伽噺の中に出てくるような幻の、黒い羽根を持ち、これまた世界征服を企む、夢魔の少女。


 一人は、旧友にして死神めいた装いの、夢魔に魂を縛られた、世界征服に協力する男。


 永遠に壊れず、永遠に変わることのない、住人と客人の時すら巻き戻す館で、世界の命運握るため、矛と魔術を交える三人に。


 俺も加わって。


 溜息の一つでも、つきたいような。

 それとも、めっちゃ楽しいぜ、って。本音をこぼしてしまってもいいような。


 不思議な気分になりながら。

 窓の外の雪は白く清らかに降り積もる。


「…………ん?」


 と、そこで。


 気分良く戦闘を始めようとしたところで、引っかかってしまった。


 永劫館。傷ついた人間を巻き戻す館。魔王の生きていた時代にしては新しすぎる造り。

 魔王と同じく、青く光る女。


 隣の女を見た。

 能天気な顔。首を傾げて。


「ん?」

「俺は何も知らんからな」

「……何が?」

「何も知らんからな!」


 どうもあまり気付いてはいけないことに気付いてしまったような気がするが。


「行くぞ、我が友! そして未だ俺に存在すら知らされていなかった秘密の恋人よ!」

「きゃー♡ ダーリンやっちゃってー♡ 矮小な人間の命と♡ 世界奪って♡」

「なんか釈然としないけど……、まあいっか! ここから始まるあたしの覇道ストーリー第一章、『雪の夜――、夢魔と死神と館の守り手』!」


 気がするが。

 今のところはとりあえず。



「俺の家から世界征服を始めようとするのはやめろ!」



 自宅の警備とか、そのくらいの気持ちでやっていこうかと思う。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しく読ませていただきました。 主人公の心理描写やギャグもそうですし、何よりもバトルの描写が素晴らしい。連載出来そうなら期待してます!
[一言] なるほど、世界の命運をかけた自宅警備員ですね。
[良い点] 自宅警備員レベル999 あ
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