8.噂
酒場の客の入りは明らかに悪くなっていった。
この周辺の街道を通る商人が随分と減っているらしい。すると、護衛に雇われている傭兵も、これから雇い先を見つけようと言う傭兵もここを避けてしまう。
地元の客もちらほらと見られたが、平穏な職の人間はイサナの譜を必要としない。熱魔術と浄化魔術はあれば便利だが、竈に薪をくべ、薬師に頼めば済む話である。
地元客の話題は、主に今の状況への不満なので、店全体の空気もよくない。
仕方ないので、イサナはニニを手伝って料理や酒を運ぶ。出来るだけ笑顔を振りまくが、「何をへらへら笑ってるんだ」といちゃもんつける客間が出てくる始末だ。
ニニはそういう客も上手くあしらっている。幼いころから商売を手伝っていたイサナも接客に自信はあったのだが、ニニと地元客との距離感だけは真似できない。
気に入ってこの街を選んで住み着いたが、イサナはしょせんよそ者だった。
「三番目の被害が出たっていうだろ。しばらくはこの騒ぎ、治まらんぞ。まったくいい迷惑だ」
「調査頼んだんだろ?まだ結果が出ないのか?」
「怪しいもんだ。若造が来たって話じゃないか」
ぐだぐだと酒を飲みつつ愚痴を言うのは、地元の商売人たちだ。
仕入れが思い通りにいかず、いくつかは店を開けないでいるらしかった。とくに生鮮食品を扱うところは死活問題である。
客に見えないところでため息をつくと、ニニが傍に寄って来た。
「やんなっちゃうよね、楽しい酒が飲めないならさっさと帰れっての」
この看板娘、客の前では最高の笑みを見せるが裏では容赦ない。
「まあ・・・気持ちはわかるんだけどね」
イサナの商売にも陰りが見えているから、彼らの気持ちはわかる。しかし同調して見せては、彼らから反感を買う。なぜならイサナは、彼らにとってよそ者で、やっていることも堅気の商売ではないから。
その連帯感と疎外感の間にいるのがなかなかつらい。
「イサナ、早めに上がっていいよ。八つ当たりされるばっかだろうし」
「うーん・・・でも賄い食べたい」
閑古鳥が鳴くおかげで少し前より時間はあるが、あると思うとつい読書にかまけてしまい、家事にまで手が回らないのだ。洗濯は人に頼んでいるし、店内の掃除はきっちりこなしているが、もともと家事が好きではないイサナにはこれが限界だった。
ニニはけらけらと笑い出した。
「もう、色気ないなぁ!」
「ここのごはんがおいしいのが悪いんですーっ」
「おい、お前ら!うまいもんなら出してやるから、酌でもしてろ!」
小娘二人の背後から、店主が怒鳴りつけた。
「わっ・・・ごめんなさいっ!」
「じゃあ肉!肉をつけてよね!」
ちゃっかりニニが要求している。
イサナが店主をうかがうと、怒鳴ったくせに笑顔だった。
予想通り、いつもより早めに客が引けた。
ここでの食事だけが、まともな食事になりつつあるイサナにとって、早く賄にありつけるのはありがたいことだが素直に喜べない。
「ここで売り上げゼロだったの初めてかも」
ニニの希望通りに賄いには肉が付いた。
骨から肉を外し、野菜と一緒に小麦を薄く焼いた生地に巻いて食べる。
「ほんとだ。イサナがいて金貨拝めない日って初めてかも」
「金貨はさすがに毎度ないよ・・・小金貨がない日はなかったけど」
「小金貨かぁ、羽振りがいいのがいればばらまくけど、なかなか見るもんじゃないよね」
あまり金の話はしたくないので曖昧に笑ってごまかす。
「イサナ目当ての客って、結構いたんだね」
「自分でも思ってた。ところが今日のコレだもん。世の中厳しいなぁ・・・」
ティーラも同じテーブルに来て、賄を食べ始めた。
「ティーラ。お疲れ様」
「・・・ああ」
相変わらず愛想がない。
慣れたことであり別段気にもしないが。――と思っていたら、珍しく彼の方から喋りだした。
「イサナ。ザイルの持ってる隊商の生死を占ったんだって?」
「は?」
ザイル――というのは、友人の一人、セリーの家のことである。彼女の実家は、いくつかの商会に出資している。そしてその商会の抱える隊商の帰還が遅れている、と数日前にセリーに相談された。
イサナははっとしてニニを見たが、首を横に振った。
「何それ!セリーが喋った?!」
「セリーかどうかは知らない。けど、噂になってる」
「信じらんない!イサナの名前も占いのことも言わないって約束だったのに!」
「頭お花畑だろ、あの子。なんで信用したんだ」
ティーラの言い分はもっともだと思えたが、不愛想を絵に描いたような彼には理解できないであろう複雑な事情なので、言われると腹が立つ。
「噂って?」
「・・・イサナ、最初の被害のことも占っただろ」
「商会から依頼が来たから・・・」
「イサナが自分の評判上げるために、仕組んだんじゃないかって」
「自作自演だって言いたいの?!はあ?!ありえない!酷い!」
イサナが怒るよりも先にニニがテーブルをたたいて叫んだ。
ニニが先に爆発してくれたことで、幾分かイサナは冷静になれた。冷静になりすぎて、体の末端が冷たくなっている。眉間にしわが寄ったまま、戻らない。
これは、厄介なことになった。
「みんな不安だから、原因らしいものを挙げときたいんだろ」
「だからってなんでイサナなの!」
「俺に言うな」
ティーラの言い分は尤もだった。
人間は、わからないものが一番怖いのだ。
こじつけでもいいから原因を求める。たまたまそこに、よそ者のイサナの名が挙がってしまった。
「イサナは二番目の被害を占ってないよ!」
「だから、俺に言うな。俺はわかってる」
「わかってるならいいけど!」
ニニが乱暴に残っていた肉を齧る。イサナはすでに食欲をなくしていたが、残したくなかったので口に押し込んだ。
今日、地元客たちがイサナにやたら絡んで来たのはその話を聞いていたせいではないだろうか。
「流言が、広まらなければいいんだけど・・・」
重くなってきた眉間を抑え、ため息をつく。
イサナは、打つ手を持たない。下手に「いい子」を装ってもいらぬ憶測を呼ぶ。せいぜい目立たぬよう騒ぎが過ぎるのを待つくらいだ。
食事を終えたティーラが立ち上がった。
「ニニも俺も、わかってる」
去り際に、肩に手を置かれた。
「噂、ちゃんと訂正して回るから」
力強くニニが宣言した。
ありがとう、と言う声が微かに震えている。