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譜術の書士  作者: みるく
7/21

7.魔術の祖




 亜麻色というには少々くすんだ色の髪だった。背中にかかるほど長く、ひとくくりにされている。

 目じりが吊り上がった三白眼で、鋭くイサナを射抜くその色は、混沌とした灰色。

 誰がどう見ても、彼は魔術師だった。

 魔術師以外に、ありえなかった。

 イサナは本を抱きしめて後退りした。

「・・・邪魔をするつもりはなかった。悪かったな」

 まったく悪びれた様子なく、無表情に男が言う。

 書庫内の照明がそれほど明るくないせいで気づくのが遅れたが、男はイサナとそれほど違わない歳のようだった。せいぜい二十歳といったところか。

 腰に剣を帯びていて、服装も冒険者風でもあるが、体格はその職にしてはむしろ華奢で、何者なのか判断を迷わせる。

「この街の魔術師だろう?俺もここを見せてもらっても構わないか」

「・・・・・・か、かまわないけど」

 ようやく言葉を発することができた。同時に息すら止めていたことに気づいて、しばらく肩を上下させる。

「あなた、誰」

「見ての通り、魔術師だ。シグナが魔術師以外を名乗ったら、天変地異の前触れだとでも思ってくれ」

「それくらいわかる」

「それとも名前か?魔術師同士、上辺の名前なんぞ重要だとは思えんが。――スィーリスフィアだ」

 面白くなさそうに、男は名乗った。

「お前は?」

「・・・イサナ」

「そうか。いい名前だな」

「・・・・・・」

「俺のことは気にするな。邪魔しないよう、勝手に読んでいる」

 そう言いながら、男はすでに書架から抜きとった一冊を開いている。こちらを見もしない。

「いや、もう今日は帰るから」

「そうか」

 抱きしめていた本と持ち込んだ道具を持って、イサナは逃げるように地下書庫を出た。その後どうやって自宅に帰り着いたかも覚えていない。それほどに、動揺していた。

 他の魔術師になんて、久しぶりに会った。

 まだ実家にいた頃、街を訪れた魔術師がいた。少しでも知識を手に入れたかったイサナは勇気を出して話しかけて、何か教えてくれないかと頼んだ。結果は散々だった。嫌らしい目で見られ、馬鹿にされた。「魔力なしにも等しいくせに、なにか思い違いをしていないか?」と。

「ちょっとでも才能があるなら紹介状くらい書いてやるけど、君のそれは才能とは言わない。ただの誤差だ。ほくろみたいなもんさ」

 思い出しただけでも、頭が沸騰しそうなほどの怒りが込み上げる。

 さらに「それでも教えて欲しいっていうなら――」と続いたが、それ以上の言葉は覚えていない。

 冒険者らの中にも魔術を扱える者がいたが、多くは魔術師を名乗っていなかった。彼らとならば穏やかに話せたし、必要な知識を交換することもあった。

 けれど、本職の魔術師はダメだ。

 目にするだけで、嫌悪感まみれになる。

 劣等感と、あの馬鹿にされた嫌な思い出のせいだとわかっているのだが、感情のコントロールが効かない。

 結局、まともに眠れないまま夜が明けた。

 店を休もうかとも思ったが、今日受け取りを予定している客がいるし、どのみちしばらくは眠れそうにない精神状態だ。

 友人からもらった目覚めに良いと言うお茶を淹れて、いつものようにカウンターの内側で客待ちしながら譜を作る。

 いつもならやらないような描き損じを三度もやらかした。

(ああ・・・紙もインクも高いのに)

 ペンを持つ手に力が入りすぎていたのか、最近落ち着いていた腱鞘炎まで悪化してきたので、イサナは席を立った。

 台所でお茶を淹れなおしてからもう一度描いてみたが、集中できないので読書に切り替える。

 地下書庫から持ち出した魔術書が興味深かったことと、時間の経過のおかげで、昼食を取り終えた頃には少し落ち着いていた。

 商品の引き渡しを約束していた客が来たときはいつものように計算しつくした笑顔で迎えたし、抜かりなく次の注文も取り付けた。

 だが、次に店を訪ねて来たのは、よりにもよってあの魔術師だった。

 来客を知らせるドアベルが鳴った瞬間、イサナは反射で微笑んだのだが、すぐに表情が凍り付いた。いらっしゃいませ、とも言えず、ただ立ちすくむ。

 魔術師の男は、宙を見て一瞬だけ顔を顰めたが、すぐにイサナに目を向けた。

「街で話を聞いてきた。まさかお前が――」

 その時、魔術師の後ろからさらに誰かが入って来て、魔術師の言葉を遮った。

「おいスィーリ、厄介事残してさっさと逃げるなよな」

 闇夜のような黒髪に、同じく闇色の瞳の男だった。巨漢と言う印象はないが、かなりな身長だ。腰に大きな剣を帯びた、この街でよく見かける流れの者らしい恰好だった。

「エレ、お前この中、平気か?」

「平気って?」

 魔術師が黒髪の男を見上げて問いかける。きょとんとした黒髪だったが、次の瞬間顔色を失ってぶっ倒れた。

「え?!ちょ・・・!」

 でかい図体だから、倒れた衝撃も大きかった。すぐ傍にいたくせに、魔術師が手を伸ばさなかったのが気になるが、それよりも倒れた男の安否だ。イサナはカウンターを飛び出して駆け寄る。

「大丈夫?!」

「悪いが、この辺に転がしといてもらっていいか」

「ころが・・・・・・」

 魔術師が何を言っているのか、イサナの理解が及ばない。

「・・・カウンターの奥、作業場なんだけど横になれる場所がある。そこでよければ、使って」

「これを運べるのか?」

「・・・・・・あなたは運ぶ気ないの?」

「無理だろう、普通に考えて。緊急時なら検討するが、今は検討する価値もない。心配するな、すぐに回復させる」

 魔術師はとことん無表情を貫いていた。

 倒れた黒髪をどうにか仰向けにして、額に手を当てて何やら呟く。詳細が聞き取れなかったが、呪文だった。

 片鱗しか感じ取れないが、洗練された式であることはわかった。そのうえに、声に出した言葉に、尋常でなく力が宿っている。

(これが、魔術師一族)

 シグナ族。――「魔術の祖」を呼ばれる、魔術に長けた種族の一つ。そして現代に唯一「種」として残る魔術の祖でもある。

 歴史書には、ありとあらゆる時代にシグナの名が刻まれる。現代でも、有名な魔術師と言ったらシグナか、シグナの混血だ。

 嫌な思い出の魔術師も、シグナの血を引いていると自慢げに語っていた。

「エレ。起きろ、ここだと邪魔だ」

 緊張感なく、黒髪の頬をぺちぺち叩いている。

 間もなく黒髪が頭を抱えながら起き上った。

「何これ。頭いってぇ・・・」

「魔術酔いだ。防御術を作っておいたから、すぐ慣れる」

「あー・・・、そういうことか。なーるほど・・・」

 二人は通じ合っているようだが、あいにくイサナにはわからない。

「ねえ、人の店の入り口で、いつまでも座り込んでるのはやめてほしいんだけど」

「悪かったな。すぐに退ける」

 魔術師が応えるが、しかし黒髪はまだ辛そうだ。

 イサナはため息をついた。

「奥を使って」

 さすがに体調の悪そうな人間を放り出すほど冷徹に出来ていない。

 黒髪は立ち上がって、ふらふらしながらもイサナが案内について来た。

 カウンターのすぐ奥は作業場にしている。大きな机は、譜を描くときだけでなく、インクの調合や紙を切るときにも使う。

 同じ室内に、体を休めるためのソファを置いていた。こだわって、イサナが充分横になれる大きさのものを購入した。

 体格のいい黒髪が横になるにはさすがに小さいが、窮屈と言うほどでもないはずだ。

 イサナは少し悩んで、店の前に休業の札を出した。それから台所に行ってお茶を淹れ、ぐったりと背もたれに体を預ける男と、特に心配する様子もなくソファに偉そうに腰かけている男の前にティーカップを置いた。

「悪いな」

 魔術師が言う。何度か彼の口から謝罪の言葉を聞いたが、未だかつて中身が伴ったことはないと気が付く。

「そちらの人、大丈夫なの?」

「もう処置した。あれは魔術酔いだ」

「初めて聞いた」

「稀な体質だからな。無駄に魔力のあるやつが、ろくに魔法魔術の教育を受けずに育つとこうなる。余りある才能を伸ばさなかった場合弊害が出ると言ういい例だな。才能がない人間からの妬みみたいなもんだ」

 間違いなくイサナの妬みも入っている。

 急に、黒髪を心配する気持ちが失せた。

「この店、術をかけているだろう」

「防犯対策に、いろいろとね。女一人で店やってると、いろいろ大変なの。そういうことだから、謝らないからね」

「構わん」

 魔術師が言い切った。

 一応黒髪を窺うと、ぐったりとしたまま、ひらひらと手を振る。彼も構わないらしい。

「仕事中だったんだろう。これには構うな。俺も邪魔する気はない」

「もういいよ。休業の札出してきた。どうせ約束もないし、客がひっきりなしにくるタイプの商売じゃないし」

「そうか。なら、俺の話に付き合えるな」

「・・・・・・いいよ」

 魔術師があまりにも偉そうに、さも当然と言わんばかりの態度だから、反論する気も湧かない。

「改めて名乗ろう。スィーリスフィアだ。無駄に長いからスィーリでいい。見ての通り、シグナ族」

「ちなみに、そちらは?」

「これはエレ」

 えらく適当な扱いに見えるが、黒髪――エレは気にした様子がない。もっとも、気分が優れないせいとも考えられるが。

 魔術師スィーリは懐から一枚の譜を取り出して、机の上に置いた。

「これはお前が描いた譜だな?」

「・・・そうだけど、なに?」

 シンプルな構成の、熱魔術の譜だ。

 ここまで来ると、イサナも相手の正体に気づいていた。

「・・・何、と聞かれると困るな。色々だ。あえて最初に挙げるとすれば、称賛だ。素人が使えるのに、そこまで簡潔で安定した譜を初めて見た。アストラ一門の光源譜でもあれだけ複雑に式を重ねているのに、たったこれだけ。目を疑うレベルだ」

 目つきが悪いし表情が変わらないせいで、スィーリが褒めたと言うことにしばらく気付けなかった。

 本職の魔術師が、イサナを褒めた。

「・・・何言ってるの」

「本当のことを。あの書庫にいたことも、納得だ。あれに気づける時点でただの魔術師とは思わなかったが、この譜を作れるだけの知識があれば容易いだろうよ」

 無意識のうちに、呼吸が浅くなっていた。

 称賛されているのに、動揺している。

 イサナはどうにか意識を保ったまま席を立ち、カウンターに置いていた魔術譜を手に取って戻った。

 イサナの作ではない、複雑な魔術譜。インクには術者の血が少量使われていて、その術者はシグナ族であると、魔術式が示していた。

「これ、作ったの、あなたなんだ」

「ああ。意味は分かったか」

「正直、良く分からない。――綺麗な式を重ねて、なのに一点以外は決して式同士が干渉しないようにできている。重なるのは血と強欲の式。さしずめ、血入りのインクは名刺代わり、他の式は、魔術としての意味はない。手の込んだ暗号文。内容は、忠告ってところかな」

「なんだ全部わかってるんじゃないか」

 スィーリが満足げにうなずくが、イサナはいまだにあれの意味がまったくわからない。

「――譜を売るなってことでしょ。血と強欲を呼び寄せるから」

「ちゃんとした後ろ盾があるなら別に構わん。これだけのものが描けるなら、後見人となれる師なり権力者なりが傍に付いているとは思っていた。だがお前の譜を売っていた商人が、場末の酒場で、若い娘から仕入れていると言ったから、念のために送っただけだ。警戒させたなら謝る」

 まったく謝られた気がしない。

 しかしそれよりも、彼とイサナの間に横たわる深い谷――認識の食い違いのほうが気になる。

「師は誰だ。正直、記述魔術にここまで精通した魔術師を思いつかん。どっかの隠者か?」

「師はいない」

「は?」

「強いて言うなら、故郷にいた魔術師崩れの占い師がそれ。教えてくれたのは、占いの基本だったけど。あとは本だけ」

「あの書庫の本だけだと?」

「家を出るまでは、二冊しか持ってなかった。片方が、記述魔術についてかなり詳細に書かれてたから、そこから自力で研究した。あとは、家にあった光源譜も参考になったよ」

 光源譜は、ランプの譜と呼ぶのが一般的だ。雑貨屋で気軽に手に入り、ほぼすべての家庭の夜を照らしている。一般的に魔術譜と言えばこれを指し、これ以外は本職の魔術師が自分たちのために描くものを言う。

「驚いた。なら、パトロンは?」

「いない」

「いない?どうやってこの店を?」

「せっせと働いて金貯めた結果」

「・・・これは、驚いた」

 スィーリがほう、と息を吐いた。

 出資してやろうと言う人間が、いなかったわけではない。利に敏い商人たちは、高く買うからうちだけに卸してくれないかと持ち掛けた。けれどその誰もが信頼できる相手ではなかった。自身に彼らを出し抜くほどの才能がないとも知っている。せいぜい愛嬌をふりまいて、敵を作らない程度の処世術しかない。

「こんな面白いものに会えるとは思わなかった。片田舎にも来てみるものだな」

 彼は肩を揺らして笑うが、目つきが悪いせいで悪巧みが成功したようにしか見えない。

「・・・なんなの、あなた」

「シグナの魔術師だ」

「そう言う意味じゃない」

「ここに来たのは偶然だ。消えた隊商を探せ、って仕事を受けてな。お前がこの街にいるとも思わなかったが、あの譜を知った時からいつか会いたいとは思っていた。そうだな、――譜術は俺の好むところだ。お前とは同好の士となれるんじゃないかと思っている」

 スィーリが言ったことを咀嚼する。

 彼との交流は、きっとイサナに新たな知識をもたらす。まともな師を持たなかったイサナにとって、魅力的であることは間違いない。

 だが劣等感が疼きだす。

 彼はシグナと言う、生まれながらに世界で最も有能な魔術師の一人となれる才能を与えられた。一族全員が魔術師で、学校になんて行くまでもなく、魔術を学べる環境にあったはずだ。

 イサナは、本でしか魔術を知らない。

 彼はイサナの魔術譜を称賛したけれど、次の瞬間、イサナの無知を知って落胆するかもしれないし、馬鹿にするかもしれない。――それが怖いのだ。

「あのさー」

 イサナが一方的に作った緊張感を破ったのは、ぐったりとしていた黒髪の男――エレだった。

「水くんない?このお茶、匂い苦手」

「・・・・・・珍しいな、なんでも飲み食いするくせに」

「いや好みはあるぞ?今は気分わりぃから、匂いが気になって・・・」

 これ幸いに、イサナは席を立って水を用意した。

「どーも。――ごめんな、色々。ぶっ倒れたこともだけど、スィーリがコレで」

「・・・連れに問題があるとわかっているなら、もう少し早めにフォローが欲しかったんだけど」

「いや、ごめん。気分悪かったし。だいぶ落ち着いたけど」

「浄化魔術の譜、使う?多少の体調不良は良くなるよ」

「んー?」

 エレがスィーリを窺うと、スィーリは首を横に振った。

「こいつにそういうモノは毒だ。どうしてもと言う時は、俺が全部調整している」

「浄化魔術でも、魔術酔いになるって?」

「たぶんな」

 浄化魔術はいわゆる治癒術の一つ。それで気分が悪くなるなど、器用すぎる体質である。

「よく使うたぐいの魔術ならば対策もしているが、浄化魔術なんて健康体のこいつには不要だったからな」

「まあ、もう大丈夫だからどのみちいらねーって。一つ借りってことで」

「休むなら、休んでていいよ。私は仕事に戻るけど」

「いや、体調も戻ったし、仕事もあるし、行くよ」

 派手に倒れていたのに、けろりとしている。

「仕事?そういえば、消えた隊商の調査って・・・」

「俺たち、里経由で依頼を受けてんだ。風評被害が酷くなる前にどうにかしてほしいって話だから、さっさとやんないとな」

 先ほどは聞き流していたが、改めてイサナは二人の男を見つめた。

 里に属する人間は、だれもが圧倒的な実力者だという。里経由で依頼を受けたと言うから、正式には里所属ではないのかもしれないが、実力者であることは確かだろう。

 この偉そうな、――改め、自信に満ちた態度は、実力に裏打ちされているのか。

 しかし成人してそれほど年齢を重ねていない若造である。片方が魔術師とはいえ、街の施政者たちは安心できていないのではなかろうか。

「邪魔して悪かったな」

「仕事で協力をお願いすることもあるかも。そんときは、よろしくな」

 そう言って、二人はイサナの店を出ていった。

 魔術師に会って、それが今回サルエナ市の依頼を受けた里の人間。

 なんだか頭がくらくらしてきた。

(・・・寝不足だ。寝よう)

 夜は酒場での営業が待っている。





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