6.出会い
サルエナ市近くで隊商が消える事件は、最初の一件だけで終わらなかった。
最初の被害が確認されてから一週間ほどで、二つ目の被害が出て、街は街道周辺の調査を決めた。
傭兵や、腕利きの冒険者たちが雇われ、国から派遣されている警備兵と、街が独自に持つ自警団から成る混成部隊が結成された。
かなり大規模な調査にもかかわらず、原因ははっきりしなかった。近くに大型の肉食魔獣が住み着いた気配もないし、野盗も数を増やしていない。
そんな中、ティーラの知り合いはちゃんと帰って来た。街に入る直前に転んで、器用にも腕を骨折したという笑い話付きで。
「無傷じゃないが、帰って来た。イサナの占いはまあまあ当たるんだな」
普段無愛想なティーラが、その知り合いを酒場に連れて来て、笑いながら教えてくれた。
嫌な話が続いて張りつめていたところに転がり込んで来た報告であったせいか、イサナはニニと一緒に腹を抱えて笑った。
イサナはお見舞いとして浄化魔術の譜を贈り、自分の商売をしっかりと宣伝しておいた。
砂時計の砂が落ち切ったのを見て、イサナはポットからカップにお茶を注ぐ。
店を始めるのに合わせてそろえたティーカップは、かなりこだわった。このあたりでは一番大きな街まで自ら出向いて、王都でも店を出しているという陶磁器の店を訪ねた。白磁に淡い青と銀で、ナスキア王国風の文様が描かれている。
カップの数は三つ。
お茶菓子と一緒にお盆に乗せて、台所から続く店へと出る。
「あ!来た来た!」
「わー、お菓子もある!」
カウンター脇に置いたテーブルにいた二人の少女がきゃっきゃと声を上げる。
「まだうち営業中なんですけどぉー」
一応イサナは文句を言う。――が、そんなに迷惑とも思っていないので笑顔である。
お茶をそれぞれの前に置いて、イサナも座る。
「おお、これって高級なお茶だ。イサナ、すっかり金持ちだねー」
「見栄張ってるだけだよ。入ってくるのも多いけど、出ていくのも多いもん」
見栄は大切だ。店内も小奇麗にし、明るくすることで、魔術の胡散臭さを消し、厄介な輩を遠ざける。
女ばかりが集まってしまっては商売にならないが、女こどもが入れるほど安全な店だという印象は必要なので、友人たちを拒否しない。
「それで、何の用?占い?そういや、ニニに前言われたことまだ占ってなかったね」
「あー・・・うん。それは、まあ・・・」
ニニは歯切れ悪く言い、目を逸らした。
確か、結婚式の日取りを占えと言っていた。結婚となれば複雑なことがいくらでも出てくるだろうから、深く追求しない。
「え、ニニとナキ、ついに結婚しちゃう~?」
もう一人の訪問者――セリーがにやにやしながらニニをつつく。
セリーはこのサルエナ市の名士の娘で、イサナの友人の中で唯一働いていない。簡単に言えば金持ちで、どこぞの街の金持ちの長男に嫁ぐことが決まっているらしい。
「それよりも、セリーのほうでしょ」
「そりゃそうだけどー。私は別に恋愛したわけじゃないしー」
「でも素直に結婚するんだね」
「別に相手が気持ち悪いおっさんてわけでもないしぃ、性格とか悪い感じじゃなかったから、いっかなぁって」
セリーは普段明るくてはきはき物を言うのだが、こだわりがない。結婚相手でもそれは変わらないようだ。こだわりのなさが人間関係に支障をきたすことはなく、イサナも彼女のことは友人として好きだと言える。だが、――こだわりのなさは、考えの浅さから来ているような、そんなことを思う瞬間があった。
「それで、結局今日は二人の結婚運でも占ったらいい?お客さん来るまでに、簡易の占いでよければするけど」
「えーっとね、結婚運じゃなくて」
これだけのろけておいて、違うのか。
普段はそれほど思わないが、ひとり者としては軽く腹が立つ。
「うちが支援してる隊商の帰りが遅れてるらしいの」
のろけからの、噂の事件関連ときた。
「そろそろ街の外でも噂になってるらしいよ。イサナも今夜うちの店に来れば話聞けると思うけど」
ニニが情報を追加する。流れの者が多く集う酒場で働いているから、ニニは情報通だ。
「噂か・・・それがまた痛いんだよね」
この国では道の整備が進んでいる。
そのおかげで、旅は安全なものとなって流通が盛んになった。――一方でそれは、商人たちが安全で儲かる場所を簡単に選べると言うことだ。少しでも悪い噂がたつと、商人たちは噂の場所を避けていく。
この街程度の規模では、危険を受け入れてまで商人たちが寄り付く価値がないのだ。
「でも調査団が出て、危ないものはないって宣言まで出したのに、不思議よね」
セリーが首をかしげる。
「逆だよ。原因が見つからなかったから、だめなの。魔獣が原因なら、それが倒されてなくたって、腕利きの傭兵を雇えばいい。回り道して旅程が延びるのと、この周辺でだけ追加で傭兵を雇うのとだったら、費用は大きく変わらないから」
「ちょっと強い傭兵を雇っても、それで解決できるかどうかわからないから、最初から通らない?」
「うん。人間、わからないものが一番怖いからね」
「そうなの?」
気楽なお嬢さん育ちの少女は、生活を賭けた決断なんてしないから実感がわかないらしい。
「相手が自分を好きになってくれるか、この先結婚して幸せになれるかわからなくて怖いから占いを頼るんでしょ?」
「あー、そういう意味ね。それならわかるわ」
この爛漫とした性質は嫌いではない。ただ、彼女をこのように育てた温かみが透けて見えて、微かに妬ましい。
イサナは自分の心のうちに浮かぶ影に苦笑した。
「それで、隊商の帰還が遅れてるって、どれくらい?」
「一週間ほど。風使いを雇おうかって話になってるらしいんだけど、なかなか広範囲を見通せる人はいないみたいだね」
「風使いねぇ・・・」
風使いは非常に有用な人材で、どこでも取り合いになっている。彼らの使う遠見の魔法――千里眼は、軍事にも使われるほどだ。
「まさか、セリーのお父さんが占ってほしいって言ったわけじゃないよね?」
「私が勝手に言ってることよ」
「うーん・・・難しいなぁ・・・」
イサナはこめかみを揉みながら唸る。
「占えないの?」
「私の占いはしょせん学問的な占いでしかないんだよ。予言者のように明確に未来を見るわけでもない、風使いの千里眼みたいに事実を見るわけでもない、当たる確率も低い」
「それはわかってるわ」
「セリーはわかってくれてるけど、みんながみんなそういうわけじゃないよ。占いみたいな不確実な情報でも出てしまえば、代理官さまも市長さんも動かないわけにはいかないし。そうやって振り回すのは、遠慮したいな」
「そんな、市長さんになんて話さないわよ」
「セリーはお父さんを心配して、少しでも情報を集めようとしているわけでしょ?その気持ちはわかるよ。でもお父さんが占い結果を知ったら、代理官さままではともかく、市長さんあたりには相談すると思う」
代理官は、国から派遣されてくる役人で、この街の市政を担う。市長はこの街から選ばれた人で、代理官の補佐的な地位にいる。
もともとは地方貴族が代々治めていたが、現在は国が任命した者が派遣されてくる。制度の過渡期に「領主代理執政官」と呼ばれていたものが「代理官」と省略され、その名称が定着して現在に至る。
セリーは納得がいかないようだ。
ニニが天を仰いで息をついた。
「ここだけの話ってことで、占っちゃえば?――正直あたしも気になるの。うちの商売にも響くし、長引くようなら対策立てなくちゃ」
「うーん・・・」
たとえばここに来たのがニニだけであれば、イサナは迷わなかった。
ニニも、彼女の父である酒場の店主も、不用意にイサナの名前や占い結果を吹聴する人間ではないからだ。
それはセリーやセリーの父を信頼していないという意味ではなく、純粋に立場が違う。市政に影響力のあるセリーの父親は、占いで得られる不確実な情報であっても手に入れた以上は何らかの行動を起こす。というよりも、動くのが義務だろう。
だが、セリーはおそらくこれを理解しない。ニニも「考え過ぎじゃない?」と言うだろう。
(考え過ぎ、っちゃあ、考え過ぎなんだけどねぇ)
この街の役に立って、この街になじみたいと思っている。だが、あくまでそれは「魔術譜」によってである。占いは本職ではないし、生まれつき才能ある者のように鮮明に見通せるわけでもない。それこそ、年ごろの娘たちの恋占いに使うのがちょうどいいのだ。
「――ここだけの話にできる?」
「他の人に言っちゃダメってこと?」
「そう。占いで分かっただなんて言わない、私の名前を出さないってことだよ」
「はーい」
「りょうかーい」
緩い返事だが、ここでしつこく確認しても関係を悪くする。
イサナはティーカップを脇にどけて、道具を並べた。
セリーは問題の隊商に関する情報を何一つ持っていなかった。属する人々の名前すら知らないというありさまだ。これを理由に断ろうかとも思ったが、仕方がない。
この街の運勢、セリーの父親の運勢、それから市長の運勢を占って、手掛かりにしようと考えた。
街の運勢を占う場合、街の名前と場所を手掛かりとする。
場所は、星の位置から計算して導き出す。昔の占星術師や魔術師たちが計算してまとめてくれているので、イサナはそれを利用するだけだ。
セリーもさすがに父親の生年月日くらい知っていたし、市長のそれは公開されている。――以前も街の今後の景気を占うのに、市長の運勢も頼りにしたので知っていた。
暗雲、のちに晴れる。
黒き影の気配に注意。
闇の側へと引き込む手、あり。
実のところ、外れてもいいから良い結果が出てほしかった。
イサナは思わずうなってしまう。
「良くないな・・・」
「そうねぇ・・・でも、最悪って感じでもないのね」
セリーの楽観的な意見。
ニニは真剣な表情だが、深刻ではない。
「のちに晴れるなら、まあいっか。問題はどれくらい続くかだけど、イサナの占いってそんなに先のことは見えないって言ってたよね」
「せいぜい二か月かな」
「遅くとも二か月後には問題は解決してるってことかぁ」
「うちも、『黒き影の気配』とやらに注意しておけばどうにかなりそうなのね」
「その影の正体がわかればいいけど、わからないからね。とりあえず、セリーがお父さんに何か言うとしたら・・・事件のせいで景気の行方もわからないから慎重になって、くらいかな」
「うん、わかったわ」
非常に心許ない軽い返事だが、素直な娘なので大丈夫だろう。
「じゃあ、ついでに結婚運も占ってもらおっかな!」
セリーのこの楽観的なところは、イサナが見習うべき性質かもしれない。
結局途中で客が来たので結果を出せなかったが、おおらかな彼女は怒った様子などかけらもなく、「じゃあまた今度お願いね」と言った。
「里に依頼したらしいよ、今回の調査」
いつものように酒場での営業を終え、片付けの手伝いをしながらニニと喋る。今日は珍しく店主――ニニの父が会話に加わっていた。いつもは在庫確認や料理の仕込みに忙しくしていて、娘たちの会話には加わろうとしないのだが、自身の商売にも大きく影響するからだろう。
「各地区の代表が集まって、決めたんだと。組合でも早めにどうにかしてくれと意見が出ていてな。――そうしたら、ジオンの出のやつが、里を頼っちゃどうかって」
「里ですか・・・」
「東の方は頻繁に里を頼るらしい。まあ、あの辺は北との交易路ってだけで、うちみたいに傭兵が立ち寄るような場所じゃないからな。里と距離も近いし、頼る習慣があるんだろ」
里というのは、正式には〈北の聖域〉もしくは単に〈聖域〉と呼ばれ、山脈沿いの森林地帯を領地とする自治区だ。かつて迫害された「魔術の祖」と呼ばれる一族も、この自治区内に暮らしている。
里とはこの自治区の行政組織を呼び表す場合が多い。
この組織は魔法魔術に関する違反行為の取り締まりをしているという話であるが、幸いにもイサナは世話になったことがないので実態をよく知らない。そもそも、魔法や魔術に禁止事項は多くない。魔法使い、魔術師を無闇に殺してはならない、とか、相手に隷属を強いる術を使ってはならない、といった当然のことばかりである。
同時にこの里は、大陸でもっとも進んだ魔法魔術の教育機関でもある。
かつて魔法や魔術が嫌われた時代に、各国で魔法や魔術の教育機関が閉鎖に追い込まれた。その頃から自治が確立していた里のみが難を逃れ、随分と時間が経った今でも里以外の教育機関は遅れを取り戻せないでいる。
この里に属する人々を「里人」と呼び、彼らはすべて並外れた実力者だと言う。
伝説上の魔術師や魔法使いもほとんどが里出身者。
秀でた才能があれば、師や学校が里に推薦してくれるとも聞く。
まさに、魔法や魔術に携わる者にとって、憧れの場所である。
イサナもかつて切望したが、一般の魔術学校にすら行けない状況では推薦など夢のまた夢だったのであきらめた。
「里かぁ・・・いいなぁ・・・里ともなれば、いい先生がいっぱいいて、魔術書も読み放題なんだろうなぁ・・・」
薄れかけている望みだが、やはり憧れは憧れだ。
「なんだ、イサナはまだ勉強し足りないのか。立派に稼げてるんだからいいだろう?うちのニニなんざ、どうにかこうにか初等学校卒業したってのに」
店主は笑いながら言う。
初等学校は、国が定めている約五年間の義務教育を受ける場所だ。それ以上の教育は、本人の希望や家の方針などで違ってくる。
商売をしたいのなら、どこかの商家の手伝いに入るし、役人になりたいのなら上の学校に進む。女の子だと、機織りや仕立てを習いにいくというのも多い。
イサナは家が商家で、初等学校を出たのちは家業を手伝っていた。ニニも同じく、ウェイトレスとして働いている。
「どうせあたしは馬鹿ですよーっと。誰に似たのかわかりませんけどぉー」
ニニが口をとがらせる。だがそのことに不満はないようだ。
イサナは仲の良い親子のやりとりを微笑ましく見守る。
「里のやつって、役人より優秀なの?」
料理の仕込みを終えたらしいティーラが、厨房から出て来た。
この男も初等学校を出てからすぐに働き始めている。彼はもう少し学校に通って、愛想を学んできてもよかったのではないかと、イサナはひそやかに思っている。本当に、彼は食材と竈の火にばかりかまけている。
「役人の三割は里出身者らしいぞ。今の王様が、里以外の教育機関が育たないのは良くないと言って、里出身者の採用に上限を設けたからその程度だが、それこそ昔は半分近くが里出身者だったとか」
「役人といったら王都の大学ってイメージですけどねぇ」
「昔は違ったんだよ」
「へぇ」
「ま、今回は魔法だか魔術だかを頼るんだろ。国が抱えてる魔法使いなんて数が少ないから、こんな田舎にまでは派遣してくれないだろうし。傭兵雇うよりは金がかかるが、このまま嫌な噂が流れる方が痛い」
「そんなもんすか」
ティーラは質問しておきながら、興味がなさそうな答えを返している。
「さて、もう掃除も終わっただろ。さっさと賄い食っちまいな」
店主の言葉を受けて、ティーラが賄いを持ってきた。
その匂いが、心を躍らせる。
「あれ、もしかして今日の・・・」
「ああ、シチューだよ。寒くなって来たから、明日から出すんだ。味見してくれ」
店主がにやりと笑い、ニニが「やったー!」と諸手を上げて喜んだ。イサナも久々に心の底から笑い、ニニとハイタッチを交わす。
はしゃぐイサナたちに、ティーラが迷惑気な視線を寄越す。
店主は満足そうにうなずいて、仕込みの仕事をティーラと交代する。
「このシチュー出したら、簡単には不景気になんないよね。この店だけは」
「父さんもそのつもりなのかも。自信過剰でやんなっちゃう」
「ぜんぜん過剰じゃないって、おいしいもん。それに、材料も日持ちするもんが多いんでしょ?流れの客が減っても、これのおかげで地元客が来るのは確実だもん。商売うまいよね。見習おっと」
「そんな褒め方するの、イサナくらいだよ。酒と料理にうるさいただのおっさんなのにさぁ」
ニニはそう言いながらも、父親が褒められたので嬉しそうだ。
そんな平和な深夜の食事を終えて、イサナは酒場を後にした。
店舗兼自宅のある、街の中心地に帰る、――と見せかけて、地下書庫に向かう。
店主はイサナが暗い夜道を一人で帰るのを心配して、ティーラに送ってもらえと煩く言うのだが、この寄り道ができなくなってしまうので「ティーラが送り狼になったらどうするんだ」と言って全力で断っている。
正直なところ、イサナは護身用の譜を大量に持って行動しているし、ティーラにはそんな度胸がないとも思っているのだが。
地下書庫では、新たな魔術書を手に取って読み始める。
魔術式の基本とその応用
捻りもそっけもないタイトルの本だ。
だがイサナは正式に誰かに師事して魔術を習ったことがないので、こういった基礎的な知識こそ貴重だ。
現在作っている譜をさらに簡略化出来る可能性がある。生産効率が上がれば、さらなる勉強時間も取れるし、最終的には売上の上昇につながるだろう。
基本を隅から隅まで頭に叩き込んで、さらに応用を細かく見ていく。使えそうなところは何度も読み返し、メモする。
魔術を扱う上で学歴に劣等感をそれほど抱かなくなったのは、この書庫を見つけたおかげだ。
それまでは、もっと金にがめつかったし、打算的だった。――つい最近までのことであり、イサナにとっては封印したい過去だ。
劣等感は、原因を自覚しても打ち消すことが難しい。
劣等感を抱く自身がみじめに思えて、自分が持てないものを持つ相手に対して攻撃的になってしまう。それがまた嫌で、自己嫌悪を繰り返す。
イサナのすべてを変えてくれたこの書庫に気づくきっかけとなったのは、三年前だった。
たまたま手伝いのために親についてこの街にやって来たとき、ふと違和感を覚えた。
街を歩くほどにその違和感は強くなり、原因を探ろうとしてさらに隅々まで歩き回った。
気づいたのは、家に帰ってからだ。
大規模構造魔術。
それは建物の配置や地形を利用して魔術式を描き、術を成すものを言う。
現代では、幻の魔術である。王城の守護魔術として使われている以外は、過去にしか存在しないとイサナの持つ魔術書には書いてあった。
実家を出てからここを拠点に選んだのも、その体験があったから。この街の魔術が何を守ろうとしているのか、気になったからだ。
酒場での住み込みの仕事を得て、魔術譜を売って金を貯めつつ、合間に街の構造を把握して、魔術を理解していった。
魔術はこの地下書庫を人々から隠すためのものだった。同時に、中の本を守るものだった。
隠された意図がはっきりしなかったので、イサナはここを誰にも教えていない。
それに、もしここを必要とする人が他にいるならば、イサナが教えなくても自力でたどりつくはずだ。
満足が行くまで読み込んだ魔術書を、元の場所に返す。
書架に張り付けた紙には、その書架に入る本のタイトルがずらりと書いてある。これはイサナが地道に作った目録で、タイトルの横のスペースにどういう内容であったかを簡潔に書き込んだ。これをすべて埋めるのが、今のところの目標だ。
連日の疲れが出たのか少し眠気が出て来た。少し早いが、今日はもう切り上げよう。
次に読む魔術書を決めて手に取ってから、ふと気が付いた。
同時に、血の気が引いた。
いつも使うアンティークの机の脇に、知らない男が立っていた。