5.予兆
浄化魔術、簡易結界、断絶結界、熱魔術。
イサナが作る定番かつ売れ筋はこの四種類だ。
範囲も効果も固定値で柔軟性もないが、魔術も魔法も扱えない素人には充分に金を出す価値がある便利な代物だ。
まとめ買いが多いので十枚単位で束にして棚に置く。
それ以外の譜となると、注文の詳細を聞いてから式を組み立てることが多いので、作り置きに向いていない。一応見本となるようなものを吟味して、数枚だけ作り置きにする。
手本となる店がないのは厳しいところだ。
イサナは、イサナと同じ商売をしている人間を知らない。行商人たちにも聞いてみたが、やはり専門的に魔術譜を生産する魔術師は知らないと言う。魔術師たちは魔術譜なんて面倒なものを作らなくても充分な収入がある。一時失業中だとか、自分用に作ったもののあまりだとか、そんな術譜が少量だけ個人間で取引される。
店舗を持つことは、この街になじむということだ。
ならば、街の人たちにとっても必要な店にしていくべきだとイサナは考える。
(魔術道具も仕入れるかな。それから、ランプの譜。どっちにしろ、仕入れルートが問題かぁ)
これはすでになじみの商人らにも聞いてみているが、決まっていない。街への奉仕みたいなものだから薄利でよいが、だからといって仕入れ値が高くては意味がない。
(ちょっと焦ったかな。まあ、本業がしっかりとやってける環境を整えたんだからいいんだけど)
まとまりきらない思考を中断して、新店舗をぐるりと見回す。
イサナが座るカウンター越しに、窓と入り口が見える。窓にはガラスが使われていて明るい。これもこだわった点だ。
カウンターの内側には、譜を置いておく棚の他に、紙やインクを備えている。さらにその場で譜を作るための机と、定規や各種ペンと言った道具類。
インクや紙は作る譜によって変えるのだが、よく使う数種類だけを置くことにする。
まだ殺風景なので、内装を考える余地がある。窓際や、待合のためのテーブルの上に観葉植物を置いてもいいかもしれない。
(インク壷並べても、いいかもな)
イサナのささやかな趣味は、インク壷とペンの収集だ。ニ十種類を超えるインクを使い分けるので、実用も兼ねている。カウンターにいくつかのインク壷を置いてみたら、思いのほか雰囲気が出てよくなった。ただ、中身の変質が怖いので、透明度が高いガラス製のインク壷はやめておいた。
(お花もいいかも。お花より鉢植えかな。相談してみよう。それから・・・)
からん、とドアに取り付けられた鐘が鳴って人が入って来た。
「いらっしゃいませ!」
笑顔で迎えた相手は、何度かイサナから譜を買っている傭兵だ。その職に就くだけあって、鍛え上げられた肉体が服の上からでもわかる。普通の娘たちは怖がるほど大柄で、顔つきも鋭いのだが、イサナにとって重要なのは見た目ではなく客か否かである。
「よお、ほんとに開店してんだな。おめでと。いい店じゃん」
「ありがとうございます。今日はお祝いだけで?」
「いいや、買い物。簡易結界をあるだけと、浄化を二、三枚」
「あら、簡易結界はこれを機にかなり作ったんですけど。全部だと、百枚超えますよ?」
「うっわ、マジ?そりゃ買えねーや。じゃあ二十枚ってとこかな」
「はーい」
頼まれた物を整えて、紙の帯で留める。
「はい、どうぞ。サービスで熱魔術と断絶結界も入れときましたよ。お使いになりますよね?」
「うん、使う使う、ありがと。金に余裕があればそっちも買うんだけどね。特に熱魔術は野営の時便利なんだよ」
「まあ、熱魔術なんてなくてもどうにかなりますからね。野営に慣れてる方なら特に」
それに比べて簡易結界は、戦闘職の人間にとっては鎧の一部となる。装備の良さが生き延びる確率に直結する彼らにとって妥協できないところだろう。
「お怪我なさらないよう、気を付けてください。簡易結界は、残念ながら完璧ではありませんから」
「わかってるよ。そうそう、これ、開店祝いな」
傭兵はごそごそとポケットをあさって、小さな布袋を取り出した。イサナは促されるままにひもを緩めると、中からは色とりどりの小石が顔を出した。
「え?うわ!すごい」
小ぶりな半貴石だ。半貴石はごく一般的な収入があれば手が出る代物だが、安価と言うわけでもない。
「ちょっと前にシフルの方まで行ったんだが、そっちでクズ石売ってる露店があってな。使うんだろ?」
「使います!ついでに聞きたいんですけど、シフルのどこです?」
「リネリのカポって街だ。田舎なんだが、近くの谷で産出するらしい。不純物の多いクズを二束三文で売ってるんだよ。祝いだってのに、ちょいと見栄えが悪くてすまないな」
「そんな!すごくうれしいです。仕入れようと思うと高いんですよ」
リネリといえば、山間の小国である。ここから行こうと思うとひと月弱かかるだろう。現地で二束三文のクズ石も、それだけの旅をすれば価値が上がってしまう。
「あ、そうだ。おまけで、よければ何かオーダー受けますよ。なにか欲しいもの、ありますか?」
「オーダー?いつものじゃなくて、好きに描いて貰えるってこと?」
「はい」
「マジで?えー、じゃあ、どうしよっかなぁ」
傭兵は迷った挙句、高度な治療魔術の譜を選んだ。浄化魔術より制作に手間がかかるが、傷の治りを良くする効果が高い。大きな病院などで使われる術である。
時魔術を応用すれば数秒で治すということもできるらしいが、扱いが難しすぎて手を出していない。
こういう時、心の底から師が欲しいと思う。
イサナは、魔術の初歩の初歩を故郷の街に住んでいた占い師から学んだ。魔術師崩れの、年寄だ。その人がくれた一冊の古い魔術書と、後に親に頼み込んで買ってもらった一冊。それが、親元を飛び出すまでにイサナが学んだ魔術のすべてだった。
開店したばかりだが、客がひっきりなし、というわけではない。しかし客単価が高いので商売は成り立っているし、空いた時間は魔術書を読んだり譜を描いたり、いくらでもやることがある。
夜は酒場でも商売をする予定なので、以前よりも自由になる時間が減ってしまった。このままいくと生活のための買い物などの時間がとれない。小間使いを雇った方がいいのかもしれない。
日が傾いてきたので、道具を片付けた。
派手に開店祝いなどはしていないが、順調な滑り出しである。
売上金は金庫に仕舞い、防犯のための術を起動させてから店を出る。
夕方のせわしい空気を吸い込み、伸びをした。
まだまだ、やることはある。出来ることがある。
それが楽しくて仕方がない。
理不尽な障害物がない環境は、なんと素晴らしいことだろうか。
浮かれた気分のまま店に入ると、開店準備中のニニが笑いかけてくれた。
「おはよーう」
「おはよ」
夕方だがここでのあいさつは「おはよう」だ。
「お店はどうよ?」
「いいかんじー。こっちでも頑張るけどね」
商売道具はいったん端に置いて、掃除道具を手に取る。
奥からは、料理人見習いのティーラがちらりと顔を出したが、特に何も言わずに引っ込んだ。
「ティーラ!おはよ!」
一応挨拶しておく。奥からは「おはよ」と気だるげな声が聞こえた。ティーラに愛嬌をふりまいても益があると思えないが、一応同じ場所で働く仲間である。
「ね、ね、イサナ。仕事終わったらさ、また占ってくれない?」
ニニが身を寄せてきて、こっそり囁く。
「いいけどなに?」
「んふふー、後で言うー」
「何、いいことあったの?」
「あーとーでー」
「何さぁ、けち!」
笑いあいながら掃除を済ませて、テーブルの上を整えて、それが終わるころには最初の客がやってくる。
サルエナ市は都市間をつなぐ流通の拠点の一つとして発展した街だ。商人、冒険者、傭兵など流れの人間が多い。街の住人はそういった流れの人間相手の客商売で食っている。当然、この酒場の客も流れの人間が中心だ。
イサナ目当ての客が来るまではニニの接客を軽く手伝い、声がかかると定位置に座る。
今日最初の相手は、街についたばかりの行商人。まだ二回ほどしか取引していない、若い男だ。
「こんばんは。この前の譜なんだけどさ、評判良かったよ」
「あらうれしい。それで、本日はどんなものをお求めで?」
「熱魔術がなかなか人気でね。あれを多めにもらいたいな。それから、人探しって、魔術でできるものなのかな」
「人探し、ですか・・・」
イサナは顎に手を当てて軽く唸る。
魔術で特定の誰かを探そうと思ったら、前以って魔術的なマーキングしておかなければならない。でなければ、相手の血や髪の毛などを使っての術になる。
魔法ならば、風魔法を使う。知っている相手でありさえすれば、行使者の魔法が届く範囲で探せるという、非常に融通の利く技だ。
風魔法は汎用性が高く、柔軟性もあるので、これを得意とする魔法使いは「風使い」とも呼ばれて重宝されている。――残念ながらイサナは魔法向きではない。
「探す相手の血や髪の毛なんかがあれば可能ですけど・・・状況に因って変わってきますね。もう少し詳しくお話をお伺いしてもよろしいですか?」
「うん。ええとね・・・」
所属する商会の隊商が一つ、行方不明になった彼は言う。
隊商も行商人も、イサナからすると大差ないが、行商人が一人から三人程度までの少人数であるのに対し、隊商は団体で大量の荷物を運ぶ。行商人一人ならわかるが、隊商丸ごと行方不明と言うのは不可解だ。
しかし。
「商会が懇意にしている魔法使いとか、魔術師がいるんでは?」
魔法も魔術も特殊技能で、術師たちの人口は少ないが、人々の生活に浸透するほどには身近な存在だ。
「ああ。連絡役に風使いを雇ってるんだけど、わかんないって言うらしい。隊商の行方も同業者として心配だけど、仲のいい奴が同行してて・・・」
「風使いがわからない・・・?」
風魔法は便利だが、その範囲や精度は行使者の力量に正比例する。商会が連絡用に雇っていたと言うのならば、ルートはカバーできる程度は力があったのだ。その風使いの目から逃れるとなれば、魔術や魔法で妨害するか、風使いが見えないほどに遠くに行ったか。
「でもまさか、そのお知り合いの血や髪の毛なんて持ってないですよね・・・」
「ないねぇ、さすがに」
男は苦笑する。
「ともかく、隊商丸ごと消えたって言うのは気になりますね」
「うん。あちこちで同業者なんかから聞いて回ってるんだけど、盗賊や魔獣のうわさも聞かないし、・・・なんか、変なんだよな」
「そうですね・・・申し訳ないですが、私の技術で、今すぐここでお手伝いできることはなさそうです。でも、情報収集だけはしてみますね。お仕事が終わりましたら、またここに寄ってください」
「わかった」
ついでに店の宣伝もして、若い商人と別れる。
街道沿いの中途半端な規模の宿場町でしかないここは、流通が止まれば一気に危機に陥る。街で暮らす人間すべてにとって、死活問題だ。
イサナの魔術譜では何もできないが、仕事が終わったら占ってみようと予定を立てる。そういえば、ニニも何か占えと言っていたし。
次の客は、この街を拠点の一つとしている冒険者だった。冒険者と傭兵の境は非常に曖昧だ。どちらにしても、護衛から、危険な生物や野盗の排除など、荒事が主な仕事である。
冒険者を名乗る者のほうが柔軟に仕事を請負い、傭兵は戦闘専門、といったところだろうか。
しかし、わからなくても問題はない。
イサナにとって、彼らは平等に客である。
「お久しぶりです。お仕事は無事に?」
「おう。懐もあったかいから、今日は大いに飲むぞ!」
「それなのにもう次の準備なんですね」
「だって、イサナちゃんの譜は買えるときに買っとかないと売り切れたりするしさぁ」
「最近は切らさないように頑張ってますよ」
「ふうん。ところでさ、お店出すって言ってなかった?」
「もう開店してますよぉ。でもこっちじゃないと会えないお客さんもいますし、新しい方に会うなら断然こっちですからね。当分はここでも営業しますよ」
「へえ。店の営業は昼間?」
「はい」
「じゃあ、次の仕事で発つまでに店の方にも行くよ。とりあえずいつものやつ五枚ずつ。それと・・・・・・」
いくつか魔術譜で解決できないだろうかと相談を受ける。
こういった職業の人間は、平気で無茶を言う。魔術や魔法が未だに万能だと思いこんでいるのだ。
伝説の中の魔術師、魔法使いならばともかく、イサナは底辺の魔術師崩れである。
出来ること、出来ないことをわかりやすく説明するが、相手は不満そうに言い募る。仕方がないのでわざとうろたえて見せると、飲み食いしていた店の常連客がとりなしてくれた。
普段から愛嬌をふりまいている成果が、こういうところに現れる。
その後も三人ほどの相手をして、店は閉店時間を迎えた。
片付けをしながらニニと喋る。
「ねぇ、占ってほしいことって何?」
「ちょっとねー」
ぐずぐずと核心を言わないまま、片付けを終えてしまった。
食事もそこそこに、広いテーブルへと移り、占いの道具を取り出す。
魔術織の敷物は持っていたが、カードがない。仕方がないので、持参していた紙にペンで式を描くことでカードの代用にする。良いか悪いかの二択しかなく、決断の後押し程度の結果しか出ないが、まあいいだろう。
「で、なにを占えばいい?」
「結婚式の日取り」
イサナは正面に座った少女をまじまじと見つめた。
そして静かに即席カードを片付ける。
「ええええっ!ちょっと!なんで片づけちゃうの!」
「そんな大事な日を簡易カードで占えません。ちゃんと整えてから占うから、待ってよ」
「いや!でも!今日!知りたいの!」
「意味がわかんない。どういう意味?」
素直に言えないのか、「ううっ」とニニは唸っている。
彼女が喋るのを待っていると、ティーラがやって来た。
「なあ、空いてるなら、占って」
「うん?簡易でいいなら」
「隊商がひとつ、行方不明って話知ってるか」
「今日聞いた。知り合いでもいるの?」
「・・・金を貸した」
「あー・・・」
このティーラが金を貸すくらいだから、それなりに仲の良い相手なのだろう。
「原因は何だ」
「安否じゃなくて、原因?」
「いや、まだ、金貸した相手は出発したばかりだから行方不明じゃない。けど行方不明になられたら困る」
「ああ、そういうこと。ちょっと言葉が足りてなかったよ」
イサナは呆れるが、食材ばかり相手にしている男だから仕方がないと流す。
「私の占いだと、原因まではわかんないと思う。それよりは、お金貸した相手が無事に戻ってくるかを占った方がいいんじゃない?」
「じゃあそれで」
簡易カードに、ティーラから聞き取った占う相手の情報を、魔術式に変換して描き込んでいく。本来ならば血が欲しいところだが、そこまでの正確性までは求めていない。
魔術織の敷物のしわを伸ばし、描き終わったカードを置く。その上に手を置いて、深呼吸をして、鍵となる言葉を唱える。
「求むる者に解を与えよ。未来へつながる糸を示せ」
じんわりと、手の内側が熱くなった。
熱が引くのを待ってから、カードを裏返す。
「うわっ、何これ!」
無口男が思わず声を上げている。
それもそのはず、カードは真っ赤に染まっていた。占いを良く頼んでいるニニにとっては見慣れた反応なので特に何も言わない。――が、無言のまま表情を険しくした。イサナも自然と顔がこわばる。
「こう出るか・・・」
「何?」
「無事に帰還するかしないかを占ったら、否と出たってこと」
「・・・・・・」
ティーラも眉間にしわを寄せた。
「・・・私の占いの精度は、せいぜい八割なんだよね」
「二割、外れるってことか。外れだといいんだがな」
「違うよ。場をきちんと整えて、関連する事柄をいくつか占って、総合的に出した答えが当たる確率が八割。単品だったら、六割とか、そんなもん。だから、そんなに深刻にならなくてもいいの」
言いながら、慰めにもなっていないと自分に呆れてしまう。
「ティーラ、明日まで待ってくれる?場所と道具を整えて、詳しく占ってみたいから」
「ああ、わかった」
ティーラの金の貸し借りも、知り合いの行方もイサナには関係ない。
だが、先に行方不明になったという隊商のことが引っかかる。
流通の滞りは、この街の経済に直撃する。イサナとて無関係でいられない。