4.秘された書庫
両の掌を上に向け、まるで何かを掬うように。
ゆっくりと息を吐きながら、集中し、術の成功を思い描く。
「光の姿、帰還せよ」
言葉に魔力を乗せる。
ゆっくりと、手の上が光りはじめる。やがて小さな光の玉になる。
魔力、魔法、魔術。これらを説明するのは難しい。神話の頃より存在する技でありながら、未だに本ごとに、説明が違っている。
一つイサナが好きな解釈は、「魔法魔術の法を理解する者は世界律に近い」というものだ。つまり、世界律から受ける影響を、魔術や魔法という形にして外に出している。
とある本にはこう書いてあった。
――グラスに水を入れる。それをテーブルに置く。テーブルの端をコツコツと優しくたたくと、水は揺れる。ところが同じくテーブルの上に置いてあったやわらかな布巾は揺れていない。これが、魔術を解するものとそうでない者の差である。
イサナは自分の手の上の光をカンテラに似た容器――しかし一般的にはこれもカンテラと呼ばれている――に放り込んだ。これは魔術師が光源魔術を使う時の定番商品で、それほど苦も無く手に入る。ついでだから、自分の店にもこういった雑貨も扱いたいと考えている。
便宜上のカンテラを持って、イサナはそっと部屋を出た。
深夜もすぎると、さすがに街は静まり返っている。
イサナが住む街――サルエナ市は、街道沿いに発展した街の一つだ。歴史だけは古いようだが、いつの時代でも、大きくも小さくもない、中途半端で平和な場所である。
周囲の大きな街よりも物価が安く、しかし農村よりも施設が整っているので、傭兵や冒険者、商人が拠点の一つとしていることが特徴として挙げられる。
何度か区画整備が行われ、隙の少ない、警備がしやすい街の構造になっているのも、ほどほどの賑わいを保っている理由だろう。おかげで、その日暮らしの職業人が集まるわりに治安がいい。
だからと言って一応若い娘であるイサナがこの暗闇の中のこのこ出ていっていいわけではないのだが、そこは覚悟を決めている。反撃のための術譜の準備は万端だ。
未だに新店舗には住まう準備が整いきらないので、酒場の二階を借りている。実のところ、この立地は非常に都合がいい。
索敵の術譜を使って、周囲に人がいないことを確認すると、イサナは路地に入った。慣れた道をたどり、とある建物の裏側にたどり着く。カンテラで照らしながら敷石を一つ一つ確かめていく。
見た目は変わらないが、数えていけば目的の敷石は見つかった。
上に立って、かかとでノックするように石を打つ。
かちり、とどこかから小さな音がした。
どういう構造なのか未だにわからないが、イサナが振り返ると敷石がずれて、地下へ続く穴が開いていた。
素早く中に入ると、勝手に入口は閉じた。
カンテラが照らすのは、地下へと続く階段である。
現在部屋を借りている場所は、この隠し階段と距離が離れていない。逆に新店舗からは夜中に行く距離としてはかなりあるので、住まいを移したらどうするべきか、今も悩んでいる。
長い長い階段が導いた先にあるのは、書庫だ。
古い木製の書架がずらりと並び、例外なく本がぎっちりと詰まっている。
壁際に置かれた年代物の広い机と椅子には細やかな彫刻が施され、念入りに磨かれている。家紋のようなものが刻まれていたので調べてみたところ、昔この一帯を支配していた一族のものであった。
支配者一族の、隠し書庫。
なんと素敵な響きだろうか。
書庫を埋め尽くす本の多くが魔術書であったこともイサナを歓喜させた。
これを発見してから、イサナは本を読むために定期的に通っている。
地下だと言うのに湿っぽさはなく、空気はいつだって清浄だ。調べてみると、換気の術式が組まれていた。明かりの式も組まれているが、古いもののようで、イサナが作る譜よりも大規模でややこしい。いつかゆっくりとこの術式たちも解析したいと思っている。
イサナは持参したインクと紙、そしてイサナの作ではない魔術譜を机の上に広げた。
二か月以上前、なじみの行商人から渡された魔術譜だ。
行商人の話では、イサナの譜に興味を持った魔術師から預けられたものらしい。
ずっと忙しくて触れなかったが、今日は一晩使ってこれを解析してみようと思いついた。
そもそも魔術は大ざっぱに二つに分けることができる。
呪術と譜術。――魔術式を、呪文によって組み上げるのが前者、記述によって組み上げるのが後者だ。
呪術は口頭魔術とも言い、ほぼすべての魔術師はこちらをメインにしている。魔術の規模が大きくなればなるほど呪文も長ったらしくなるが、事前準備もいらず、その場で臨機応変な術を選ぶことができる。
譜術は、太古の昔から存在するが、イサナが作るような術譜がこれほど普及したのは本当につい最近だ。そもそも名称が違っていて、以前は、記述魔術や構造魔術と呼ばれていた。
構造魔術は、建物の配置や地形などを利用して一つの大きな術を作り上げるものを言う。街一つ使うようなものは「大規模構造魔術」と呼ばれ、王宮などにはそれが使われていると言う。かつては戦で、兵の配置と地形を使って術を作り上げて敵を圧倒したと言う伝説もある。
記述魔術はペンで紙の上に術式を描いて完成させるシンプルなもので、現在の譜術が発展する前段階だ。
現代の魔術師は、譜術を補助で使いつつ口頭で残る術を組み上げると言う併用型が多い。もちろんのこと魔術師ならば術譜を作る知識があって、みんな気軽に作っている。
ただしその譜は、本人にしか使えないことが多い。
イサナが描くのは、魔力なしの素人でも扱える魔術譜、である。だからこそ、商売になっている。
行商人から渡された譜は、そういった配慮がなされていないものだった。
複雑に式が絡み合って、ちょっとやそっとでは何の術か読み解けない。読み解けないから使用方法もわからず、手が出せない。仕方がないので地道に解析する。
解析で明らかになった式を、持参した紙に写す。
機械的に式を分解して写す作業をしながら考えてみる。
これを作り、イサナの手に渡るよう手配した魔術師は、いったいどんな意図があったのだろう。――作り手と、行商人にこれを託した者が一緒とは限らないのだが、なんとなく同一人物だと思っている。
その魔術譜は、綺麗だった。
ただ見ただけでも、式を構成する文字や図は流麗で、全体の構成も整っている。
術式も――いまだ解明できていないが――無駄が見られない。
これを託した術者は、行商人がイサナを紹介しようと言うのを断ったと言う。イサナの譜に興味を持ったのなら普通に紹介を受けてもよさそうだ。その代りに、複雑な術式の魔術譜を渡してくると言うことは、――
(これが解けるか、試されてる?でも、解けたことが相手に伝わらないと、試すことにすら意味がない。もしくは、解いたら術者が誰か推測が可能になる?名刺代わりってこと?)
術式を分解する作業をしながらも、頭の中ではこの式を組みなおしていく。
(インクの構成は、粉末の金と紅玉、術者の血・・・)
金は欲望を、紅玉は血を表す式に使われる。もっとも、組み合わせ方で解釈は変わる。術者の血は、名の証明。己の存在を明らかにすることで、魔術が安定し、威力が上がると言う。
(水の式・・・?何を使って水を表しているのかな)
式だけ明らかになっても、それを構成する素材が見当たらない。
(水の式を表すのは、水晶か、青玉か。でもそれを示す色がインクに出ていない。少量の瑠璃なら、不純物が多いからはっきりと解析できない理由にもなる。でもこれほどに凝った譜を作る人間が、瑠璃を選ぶ?)
目の疲れを覚えて、一度休憩を挟んだ。首や肩を回しながら書架の間を歩き回り、使い慣れた一冊を見つけて取り上げた。
逆引き辞典だ。魔術式の基礎から、式の組み合わせによってどんな術になるかを網羅している。かなり古い時代の物なのだが、イサナにとってはありがたい教本となっている。
「血族の特性・・・・・・〈魔術の祖〉の特性・・・」
記述法が古くて、難解だ。
軽く頭を掻いてその一文を読み上げる。
「今は亡きライランに見られるものは運命律であり、定まらぬ未来を表す。ティアナンには闇の、エルンには大地の、シグン・・・には、水・・・・・・これか!」
〈魔術の祖〉とは、今ある魔術系統の大元を作ったシグナ、エルナイ、四海の縁者、魔族の四つの種族である。現在ではほとんどが廃れ、大陸全土でシグナ魔術が主流である。シグナ族は古い表記法では「シグン」となっている。
(術者の血そのものに、水の式がある?じゃあ、術者はシグナ族?)
考えながら、本を書架へと戻す。
(その血によって名を証す。泉の名を帰還、血と強欲の色をここに表し・・・)
式を呪文へと直してみる。なかなか嫌な響きだ。
その時、持ち込んだカンテラが淡く明滅した。
もうすぐ魔術の効果が切れる合図であり、同時にここへの滞在リミットでもある。
少し悩んでから、イサナは三冊の本を選び出す。その本と、持ち込んだ道具を素早くまとめて、明滅するカンテラに急かされるように階段を駆け上った。