21.垣間見える虚像
サルエナ市は流れの職業人を相手にした店が多い。
流れの職業人には、夜遅くまで大いに騒ぐ人々が多い。
結果として、夜遅くまで営業している飲食店が多い。
深夜近かったが、イサナとエレ、そしてダイナは酒場に向かった。「良い店はないか」と聞かれたので、イサナはニニも働く馴染の店に案内した。
店に入ると、やはりいつもの賑わいには足りていない。
「イサナ!いらっしゃい!」
ニニがすぐに気づいて、奥まったところにある席へと案内してくれた。――地元客はイサナに良い顔をしないからだ。
「イサナ、怪我人は飲んじゃダメだよ」
「飲まないよ」
イサナは苦笑した。まだ傷が治っていないのだから当然だ。
「俺もいらない」
「私も控えておきます」
エレとダイナが酒を断ると、ニニは半眼で睨んだ。
「ここに来て飲まないですってぇー?」
「この後すぐ仕事なんだよ」
「え、この後?そりゃ大変だねぇ」
「そう、だからうまい飯がないと心身ともに持たないの。イサナが、ここが一番おいしいって言うし」
エレが人懐っこく笑う。ダイナもほほ笑む。
「――くっ、そう言われたら邪険に出来ないっ!」
イサナはいくつか品名を挙げ、ニニがそれを厨房に伝えると、間もなくテーブルは料理でいっぱいになった。
「あ、うまっ。これうまい」
「体が冷えていたからありがたい」
エレとダイナは煮込み料理を食べながらほっと息をつく。
二人とも、綺麗な食べ方だった。きちんと躾けられていることが伺える。
エレに至っては綺麗というよりも、優雅ささえ感じられた。がっついて食べているはずなのに、所作が滑らかで、いらない音を立てない。
「体冷えたって、外にいたの?」
「ああ、見回り」
「そういえば、先に渡した構造魔術で、探し人の居場所を一人確認したってスィーリに聞いてたんだけど。逃したの?まだ確保せずに泳がしてるの?」
そもそもイサナの占いで、行方不明の隊商の人間の一人がこの街で生存している、という結果が出たのが発端だった。
そしてイサナがスィーリと協力しながら雑に組み立てた探索魔術で、やはりこの街にいるらしいと確認が取れた。エレはそれを探していたはずだ。
「ああ、あいつ」
エレが少し眉をひそめた。
「殺された。口封じだろうな」
「エレ!」
ダイナが鋭く声を上げる。
イサナは胸がずきりと痛んだ。
エレは醒めた目でダイナを見返す。
「何?問題でも?これ契約の範囲外だろ?」
「……不用意に話すものではない。ここは、外なのだから」
「この距離じゃ聞こえねぇって」
ダイナが気にしたのは、周囲の耳ももちろんだが、おそらくイサナの心理状態のほうだ。気遣ってもらえているという事実は、ざわめいたイサナの心を少し落ち着けた。
イサナは料理を脇にどけて、手持ちの紙とペンで簡単な結界魔術の譜を描いた。簡易結界よりも簡単で、範囲内の音を周囲に聞こえにくくするというものだ。
「これで、周囲には詳細は聞こえない。一応声は潜めて」
ダイナがぐるりと周囲を見回した。
「どの程度の効果が?」
「音を不規則に曲げて、鮮明に聴き取れなくしてる。断絶結界なら確実に音を遮断するけど、それだと周囲から見て不自然でしょ。料理の追加もしてもらえないし」
「なるほど、そういうこともできるのですね」
ダイナは頷きながら、気づかわし気にイサナに視線を寄越したが、イサナは頷き返した。
「それで、エレ。殺されたって、どういうこと?」
「ん?ああ、見つけた男を見張ってたら、平服のまま街の外に出たんだ。外だと尾行するのは目立ちすぎるし、服装からして遠出しないと思って、少し距離を置いて帰ってくるのを待ってた。でも森の方から血の匂いがしてきたから行ってみたら、死んでた」
「……そう」
「俺も油断してたんだ。誰かと会う様子だったのはわかってたのに、警戒が足りなかった。スィーリも、今まで生かされてるなら、そう簡単に殺されないだろうって言ってたしな」
「そっか。だから急いで他の生き残りを探して確保しなきゃいけないんだね」
「そ。証拠だから、保護してやんないと」
エリューが術の完成を急かしてきた理由はそれだろう。
「これはスィーリの推測だけど、生き残ってるやつらが、それぞれの所属する隊商のメンバーを殺すか、殺害の場に誘導してる。金を握らされたか弱みを握られたのかはわからないけど。ただ、隊商丸ごと、荷物も遺体も消えてるわけだから、一人二人で出来る犯行じゃない」
エレの声音は淡々としている。それだけに、事実が鮮明だ。
「男が殺されたのが分かってすぐに、スィーリが里に連絡して、この通りの人員追加。その次の日に、イサナが襲われた。間に合ったのは、警戒してたおかげ」
「――そういえば、ごめん。まだお礼言ってなかったよね。ありがとう。おかげで助かった」
「仕事だからいいよ。ただ、あの日ってイサナ、店閉めてたじゃん。外に出ないなら大丈夫ってスィーリも言うし、あんまりイサナに注意を払ってなかった。そこはごめん」
「いや、……あれは私の不注意だし」
病み上がりの緩い頭で、譜の持ち合わせも少ない状態でのこのこ出て行ったイサナにも非がある。
「ま、話せるのはこんくらいかな。っていっても、俺もよくわかんない。政治的にややこしい話になるんだって」
「そうなんだ……」
リオアスティはイサナに、「とある人物がイサナの身柄を狙っていた」、「だが術師に隷属を強いる行為は、神獣がきつく禁じている」と語った。さらに「神獣の名代として、犯人を突き止め、止めなければならない」とも。
〈聖域〉と、そしてそれを運営する里は自治を確立しており、どの国からの干渉も受けない。つまりそれは独立国家とほぼ同義である。黒幕がどこにいるのかわからないが、おそらくはこの国だろう。仮に里が黒幕の身柄を確保すれば、他国の国民に対して危害を加えているともとれる。となれば、素人目にも外交的に問題があるように見える。
エレが言う「政治的にややこしい」とはおそらくこれのことだ。
なるほど、とイサナは内心でうなずいた。
確かに簡単には話せないことだ。
話の整理がつくと、イサナの知りたい欲は、少しだけ治まった。
魔術の効果が切れたので、内密な話も打ち切った。
当たり障りのない会話をしながら食事を楽しみ、持ち帰りやすい何品かを居残っている面々に、とダイナが注文した。
食事を終えて、店を出る。
風はなかったが、空気はずいぶん冷たかった。食事で温まった体が冷え切らないうちにベッドに入りたいものだとイサナは身を震わせた。
「イサナ、家まで送っていきます」
ダイナが柔らかく微笑んで言う。断る理由もないので、そのまま三人でカンテラの明かりを頼りに夜道をたどる。
「これから二人とも徹夜?」
「さあ?指揮官のご気分次第だな」
指揮官とはエリューのことだ。気分で命令するようなタイプではないだろうが、必要とあらば他者を容赦なくこき使う男ではないかとイサナは予想している。
「あとは、スィーリとエリューの意見が割れなければいいと思ってるよ。どっちも魔術師だから、考え方は似てるんだけどな。食い違うと、とことん平行線。あんまりにもそれが長引くと、リオがしびれを切らして勝手に動く。俺たちもめんどくせーからリオに協力する。で、後からエリューにねちねち嫌味言われる。――みたいなことを過去に二回やった」
「嫌味言いたくてわざとじゃないの?」
イサナも彼の嫌味には辟易しているので、悪い方に取ってしまう。
ダイナが苦笑した。
「エリューの性格が悪いことは否定しないけれど、指揮官としては信頼できますよ」
「……ダイナって心が広いんだね」
「まさか。――私はただ、無能な人間に己の命を預けたくないだけです。エリューはその点、安全性のより高い方法を選びますし、最も危険な役割は自ら引き受けます。他者の失敗や、軽率な行動をえげつなく責め立てるのは、彼が他の人の命も預かっているからです」
ダイナの言葉に、イサナははっとする。
彼らは危険な仕事をしているのだ。冒険者や傭兵たちと同じく、命を賭けたやりとりもあるのだろう。
だからと言って、エリューと仲良くなれる気はしないが。
それはダイナも同じ気持ちらしい。
「まあ、あれに殺意がわかないわけではありませんけど」
ダイナがため息交じりに言うので、イサナは笑ってしまった。
――と、次の瞬間。
イサナはぐいっと腕を引かれ、たたらを踏んだ。手からカンテラが落ちて、転がっていく。驚いて確かめれば、エレがイサナの腕をつかんだまま、来た方角を見つめている。
一拍遅れて、ダイナが身構えた。
「何人いる?」
「ちょっとわかんない。連絡と援護とイサナは任せる」
「分かった」
二人の会話は簡潔だった。
状況が分かっていないのはイサナだけだ。
エレはイサナから離れて剣を抜く。
ダイナが守護魔術の呪文を唱えたあたりで、ようやく敵がいるらしいことを理解した。
イサナは懐から索敵術の譜を取り出して使う。夜陰に紛れて、人の気配があるが、はっきりとしない。これは雑ながら隠蔽の魔術が使われている。
「イサナ。壁を背に、動かないようお願いします」
「あっちにはたぶん魔術が使える人間がいる。エレ一人じゃ……」
「ええ。援護はします」
ダイナが短剣を抜いてあたりを警戒する。
「魔術で照らそうか?」
空に星はあるが、建物の影が多く、視界は狭い。少し離れたエレの姿を認識するのも難しいほどだ。
「いいえ。暗い方がエレに有利です。エレほどではありませんが、私も夜目がきくので、これ以上の明かりは邪魔です」
「簡易結界はいる?」
「……それは、ぜひ」
イサナは譜を取り出してダイナとエレに使う。――イサナ自身は、外に出るときは常に結界を張っている。
きらりと闇の中で、剣がきらめいたと思った次の瞬間、剣戟が鼓膜に突き刺さった。
殴り合いの喧嘩を見ることはあっても、真剣の斬り合いはない。思わず身をすくめる。
ぎゃあ!と声が上がり、誰かが石畳に倒れ込む。
「いいの?まとめてくるなら手加減できねーよ?お前ら死ぬよ?」
エレの挑発。
夜陰に紛れた不意打ちに意味がないと分かったのか、相手方の誰かが魔術で周囲を照らした。一瞬目がくらむ。
剣戟はまだ止まない。
エレが三人を相手に剣を振るっていた。それとは別に、一人、傭兵風の男が抜き身の剣を振り上げて、ダイナに切りかかった。ダイナが持つのは短剣だ。勝負になるとは思えない。思わず目をつむったイサナの耳に、ダイナの落ち着きのある声が響いた。
「風よ我を援けたまえ」
魔法だった。
果たして彼女の意図した通りなのか、斬りかかって来た男は何かに弾かれたように後ろに倒れた。
頭の芯が凍り付き、鼓動がうるさく響く。
イサナは震える手で譜を取り出す。
雷の術は、敵味方入り乱れる場にふさわしくない。
浄化魔術は役に立たない。
断絶結界に籠るのは最終手段だ。それとて相手に魔術師がいれば長く持たない。
「そうか!」
イサナは断絶結界の譜を手に、ダイナに倒されて起き上がろうとしていた男に駆け寄って発動させた。
「イサナ!」
「大丈夫、拘束魔術を使っただけ」
相手を閉じ込めたり動きを封じたりする魔術をそう呼ぶ。しかし実際のところは結界と同じ式でできているのだ。手足を縄で結わえるように魔術をかけていけば、男は身動きが取れなくなる。
「この人は魔力なしだから、しばらくは持つ」
「……なるほど」
エレを見れば、すでに一対一になっていた。剣の腕は確かなようだ。
「まだ後ろに控えてる」
「ええ。魔術を使っている者が少なくとも一人」
魔術の明かりが消えていないので、ダイナも気づいていたようだ。
「だいたいの場所が分かれば、雷で打てるんだけど……」
見えないうえに、索敵の術も妨害されている以上、イサナには手の打ちようがない。
「いいえ、すでに我々の勝利です」
ダイナが言うが早いか、エレが最後の一人を斬った。同時に冷たく強い風が吹き付けてきて、イサナは顔を腕で庇った。
今夜は風がなかったのに、と思いながら顔をあげたイサナの視界が暗くなる。相手が使っていた魔術の明かりが消えたのだ。地面に転がったカンテラだけが頼りなく光っている。
「イサナ、明かりをお願いできますか」
ダイナが言うので周囲を広く照らす明かりを灯すと、思わぬものが視界に飛び込んで来た。
「三人とも、無事?」
あかがね色の長い髪を風になびかせるリオアスティである。
「あちらに隠れていた面々は拘束したわ。警備隊に連絡もしたし、スィーリたちもすぐに来るはず。――エレ、怪我は?」
「なーい」
「あなたの周囲の四人は生きてる?」
「二人は生きてるけど、あとはどうかなー」
「息さえあればセセがどうにかしてくれるわ。止血して」
「えー、やだー、めんどくさーい」
「人の命がかかってるのにそんなこと言うものじゃないわよ」
「だってこいつら本気で殺しにきてたんだもーん」
傭兵や冒険者のような職の人間でも、街の中での殺人は面倒なことになる。正当防衛だとしてもだ。
イサナは疲労感を覚えたが、ため息で無理矢理それを追いやった。
傷口の固定術を数回くらいなら、イサナでも口頭魔術でどうにかできる。
「エレ。術で止血するから、傷口を抑えて。一番死にそうなやつから」
「はいはい。こいつからかな。リオ、念のためこいつら動けないようにしといて」
「安心して、全員拘束済みよ」
どうやらリオアスティが、風魔法で彼らを拘束しているらしい。
「そういえば、リオはいつの間に来たの?」
「転移魔法。あなたたちの状況は、ずっと千里眼で見ていたの。転移がすぐじゃなかったのは、あっちでもちょっと問題が起きたり、警備隊に連絡を入れたりしていたせいね」
「てんい……」
一瞬にして別の場所に移動するものをそう呼ぶ。風の魔法の中で最も高度とされる、物語の中でしか聞かない魔法だ。
「リオは風魔法に関しては規格外なので、いちいち驚いていると心臓が持ちませんよ」
ダイナが苦笑して説明し、そしてリオに目を向ける。
「それで、問題って?」
「こっちにも物騒なお客様が来ただけよ。舐められたものだわ。風使いの視界の広さを知らないのかしらね」
「なるほど。彼らの雇い主が誰なのかも、見ていた?」
「……まだ追跡中」
「あまり楽しい結果じゃなさそうね」
意味ありげな会話を聞きながら、イサナは血まみれの傷口を術で固定していく。これも結界術の応用である。血がこれ以上失われないようにするだけの、応急処置だ。
エレが斬った全員の傷口を、雑にくっつけ終えると、イサナは急に気分が悪くなった。今まで気を張っていたせいで気づかなかっただけなのかもしれない。ずっと動悸は忙しなかったし、ふわふわと現実感がないのもそうだ。
「イサナ、大丈夫か?」
「まあ……いい気分じゃないよ。傷口から骨が見えるのは」
「ごめんな。これはちょっと予定外の予想外だった」
これ、というのは先ほどの襲撃だ。
襲撃者は、エレとダイナのことも狙っていた。庁舎に残った面々も狙われたという。
つまり敵の目的はイサナではなく、里人たちである。
里人たちの調査をやめさせたい誰かが、短絡的にやらせた。そんな感じがする。
頭の芯がしびれたような状況が続いていたため、イサナは考えるのをやめた。




