19.非才の才能
一週間ほど帰らなかった自宅兼店舗の中は、少し空気が淀んでいた。
イサナはその理由に思い至って頭を抱えた。
「やらかした……」
調合中の薬品を放置していたのだ。
魔術譜の材料となるものは鉱物や植物など、多岐にわたる。これらの組み合わせで、様々な魔術式の代用を作り出すのだ。中には調合に数日かかるものもある。――澱んだ空気の原因は、これだった。
「魔術師というより、薬学の師の部屋みたい」
そんな感想を述べたのは、里に属する魔術師の青年であった。名をエリューといい、亜麻色の髪に緑がかった灰色の目で、中肉中背の目立たない容姿である。ただ、その顔立ちはシグナを思わせた。おそらく混血だろうとイサナは見当をつけている。
彼は今回このサルエナ市に派遣されてきた里人のまとめ役なのだという。
共に里人のリオアスティの姿もある。彼女は魔術には詳しくないとのことだが、それでも興味深げに棚に並べられた素材を見回していた。
この二人は、一度イサナが自宅に帰るにあたり、護衛という名目でついてきた。
「すべてのものは式となる、って魔術師は言うけど……」
「けれどそれをこうまで利用する例は見たことがないね」
二人の意見に、イサナは肩をすくめた。
「でも、全部基本的な教本に書いてあることだよ」
「そうだね。でも、誰も研究していなかった。――けど、良かった?こういうことは、普通秘密にするでしょ」
「欲しい式を持った材料を混ぜるだけなんだから、誰にだってできるよ。基本的な教本に書いてあることだもん。でも、――」
イサナは手近にあった魔術譜をエリューに見せた。単純な結界の譜だ。
「見ただけで、材料の組み合わせがわかる?」
「……材料の特定は、無理かな」
「いくつかの材料を組み合わせると、いくつかのいらない式が混ざる。その式を打ち消すことも必要だから、なかなか手間になる。一枚二枚を作るなら、そんなことせずに、全部手で式を描いた方が楽だよ」
「なるほど……」
「量産して初めて意味がある方法なの。そのうえに、儲けが出る、効率がいい組み合わせは全部私の頭の中にある。だからどれだけ見られたって平気」
商売を始めた当初から、泥棒の類は気配を漂わせていた。単純に売上金や魔術譜を狙う者もいれば、魔術譜のレシピを狙う者もいる。後者の対策は、メモを残さないことが、簡単で最も効率がいい。
イサナは語りながら、放置されていた調合中の薬品を始末した。もったいないことをした。あれは安くない物だった。
エリューは「へぇ」とうなずいて、棚にあった瓶を一つ取り上げた。得体のしれない笑みを浮かべ、中身を見て、また元に戻す。
「それで、君は狙われたわけだ」
「……」
イサナは目を伏せた。
「魔術師は自身の生まれ持った才能を売ってきた。でも君の譜があれば、魔力なしたちが、いつだって魔術を扱える。その上に、これは工業的な量産の可能性をもっている。――君は、すべての魔術師にとっての、脅威だ」
「エリュー。そういう話は、今するべきじゃないわ」
リオアスティが厳しい声で咎めると、エリューは黙った。
このエリューは、初対面からどうにもやりにくい相手だった。今の物言いも、決して好意的ではない。
スィーリも厳しいことを突きつけてきたが、彼の場合は事実を淡々と並べるだけで、そこに感情はなかった。
正直、今も苛立っているのだが、わざわざ喧嘩を買うほど未熟ではない。イサナはその場で言ってスッキリするより、搦め手で相手に社会的なダメージを与えるほうが好みだった。
「道具は二階にあるから、少しここで待ってて」
イサナが告げると、エリューが渋った。
「俺たちは護衛だよ」
「この家が結界で守られてるのはわかるでしょ、何も危険はない。上は私室だから、入ってほしくない」
食い下がろうとするエリューを、またリオが止めた。
「あなた、女の子の部屋に入りたいの?」
「馬鹿を言うのはやめてくれる?結界をそのままに、侵入して罠を仕掛けることだって理論上は可能だ。例えばスィーリだったら数日あれば出来るだろうね。――リオアスティ、君は彼女の価値を理解していないんだな。俺が彼女を狙うなら、その程度の手間、惜しんだりしない」
「それだと、全員行ったら、全員罠にかかるでしょう。――イサナ、二階まで私がついていっていいかしら。部屋の中までは入らないわ。エリューは万が一に備えてここで待機」
エリューは非常に不満そうな顔をしたが、受け入れた。
イサナは表情を変えなかったが、正直ほっとした。
この家は構造魔術による結界で覆われている。構造魔術は、物の配置などから魔術を組む、立体的で高度な技術だ。魔術師であるエリューならば、家の構造を把握すれば、結界の構造も理解するかもしれない。簡単に破れるものではないが、やはり把握されるのは気持ちが悪い。例えるならば、家の鍵を複製されるような、そんな感覚だ。
もちろんのこと、他人に部屋を見られたくないというのもある。
必要な道具を集めて鞄に詰め込むと、イサナと二人は早々に家を後にした。
エリューに大半の荷物を持たせて、辿り着いた先は市庁舎の一角だった。会議室を里人らが使うように整えており、当初はスィーリが魔術を扱うのに使っていたらしい。当然、魔術のためのあれこれがそろっている。
会議室には、スィーリとエレ、さらに他に二人の里人がいた。一人はイサナの傷の具合を見た治癒術師セセストリカ。もう一人は女性で名をダイナと言い、表情の乏しい無口な人物だった。――ここに集まる全員が、イサナとそう年が離れていない。つまり里からの人材は、若者ばかりだった。
「お帰りなさい。ダイナとエレもちょうど帰ってきたところだよ」
穏やかに言うのはセセストリカである。
ダイナという物静かな女性は、見た目に反して肉体労働派だった。そのため、見ため通り肉体労働派のエレと共に情報収集に出ている。
「特に変わったことは起きてなかった」
エレが簡潔に告げ、ダイナが頷く。
一方、スィーリは黙々とペンを動かしていた。何かしらの魔術を組んでいるようだ。
イサナはエリューに持たせていた荷物の一部を受け取りながら、部屋をぐるりと見回した。
「道具を持ってきたから作業ができるよ。どこか場所を貸してくれる?」
「こちらをどうぞ」
セセストリカが一つの作業机を示した。広いだけで、何も置かれていない。大きな魔術を組むのに最適だ。
「必要なものがあれば言ってください。出来る限りこちらで用意します」
「ペンとインクと紙があれば、大体何でもできるよ」
「気分転換のお茶やお菓子はどうですか?」
「……それは、ぜひ」
セセストリカはここでは雑用に徹しているらしい。貴重で有用な治癒術師をそんなふうに使っていいのかとイサナは思うのだが、里に属する面々は誰一人として気にしていない。
だが、目端が利くうえに魔術知識がある彼は、雑用にぴったりの人材であることも事実だった。
イサナは遠慮なくこのセセストリカを使うことにした。
まずは、場を整える。――作業机に、魔術織の布を敷く。魔素濃度の高い精油を使ったランプを灯し、紙を広げる。紙に描かれているのは、この街全体を覆う構造魔術だ。この上に別の紙を重ね、構造魔術を利用した、探索魔術を描き出す。慢性的な腱鞘炎の手が少々痛むが、集中が増すごとにその痛みは気にならなくなっていく。
通常、捜索魔術とは捜索対象の一部を必要とする。例えば、髪や爪、血などである。
だが今回はそれが存在しない。
なので、占術に頼る。
占術は魔術の一種だが、これを構造魔術と組み合わせることはない。少なくともイサナは前例を知らないし、里人たちも驚いていたから、この世のどこにも存在しなかったのかもしれない。
だが理論上できるし、簡単なものならすでにやった。
はじめのうち、セセストリカは非常に優秀な助手となった。彼は多少占術も齧っており、その部分であれば任せてしまっても問題がなかった。
ところが、途中から役に立たなくなった。
「すみません、構造魔術は専門外で」
セセストリカは申し訳なさそうに頭を下げた。
確かに、街全体を使った大規模構造魔術である。小さな構造魔術はともかく、大規模ともなれば廃れた技術と言われている。
「このさわりだけでも出来ない?」
「すみません、さっぱりです」
「……」
スィーリの方をちらりと見たが、何かに集中しているので声をかけられない。
この里人たちのまとめ役であるエリューは魔術師だと名乗った。だが彼は各所との連絡や調整もしているようで、あまりこの部屋にとどまっていなかった。
そこへ、たまたま帰ってきたエリューに、セセストリカが声をかけた。
「エリュー、少し手伝えるか」
「魔術?」
「ああ」
エリューは組みかけの魔術を覗き込んで、顔を顰めた。
「大規模構造か」
彼は指で描きかけの式をたどり、唸る。
「なんか、読みにくいな。全体的に古い表記をするんだね。じい様たちの魔術を解かされている気分になるよ。――うん、構造魔術もだけど、占術に至ってはまったくの専門外だ。ここからとたんにわけが分からなくなる。悪いけど、俺は手伝えない。スィーリは、・・・・・・頼れそうにないね」
スィーリは相変わらず自分の作業に没頭している。
イサナは軽く息をついた。
「――なら、もうしばらく時間がかかるよ」
「手伝えないと言った手前要求しにくいけど、出来る限り早くしてほしいね。そもそもの原因は君なんだから」
「エリュー!」
ちくりと嫌味を漏らすエリューに、セセストリカは眉間にしわを寄せた。
「彼女は原因じゃない。被害者だ」
エリューは肩をすくめた。
「別に、責めてるわけじゃないよ。言葉の綾だ」
「気を付けろ」
「はいはい」
途中から、イサナはそのやり取りを無視していた。
どちらも役立たずということが分かった。イサナ一人でやるしかない。ならば嫌味に付き合う時間も惜しい。役立たずはあっちに行っていろと言うのすら面倒だった。
集中していると、セセストリカもエリューもいなくなっていた。
いつの間にか、明るく日が差し込んでいた窓から、ひたひたと冷気が忍び寄る時刻になっていた。
そろそろ休憩を挟んだ方がいい。集中できているからといって体や頭を休ませずにいると、知らぬ間に効率が落ちるものだ。そう思い、イサナは魔術から顔をあげた。――目の前に、スィーリがいた。
「……ん」
悲鳴をのみ込み、体から力を抜く。
スィーリは魔術の構造を把握している最中のようだった。間もなく、彼が口を開いた。
「お前の魔術は、呆れるほど正確だな」
「……はあ」
「複雑に絡み合うのに、無駄がない。一部を見れば難解だが、全体を見れば簡潔だ。これをこの規模の構造魔術でやってのけるとはな」
「そりゃどうも」
「出し惜しみしろ」
「……」
「大盤振る舞いしすぎだ。己の才をもっと隠匿しろ」
「はあ……」
「そもそも里人がこれだけ出て来た以上、お前が協力してやる義理はない。里人に手の内を晒すな。あいつらに知られると、厄介ごとを呼び寄せるぞ」
始まった説教の内容を整理すると、つまり、イサナに関わるなと言いたいらしい。
「あれだけ協力しろとか言ってたのに、どうしたの」
「状況が変わった。里人が傍にいるのに、知識を晒しすぎだ」
「なにそれ。里が敵だとでも言いたげだね」
「里に属していないお前からすれば、味方とは言えん。あいつらは、才は天から授かったものだから、その才をもって神獣に仕えるのだとのたまう連中だ。――わかるか。お前のその才に対して、報酬を一切払わんぞ」
「……ああ、守銭奴」
イサナも金にうるさい自覚はあるが、さすがにスィーリの言い分には呆れた。
「別に、自分に関わることだからいいよ」
「阿呆。報酬を払わず、お前の見せた技術を恥じることなく盗むのがあいつらだ」
「私の商売は魔術譜であって、この構造魔術や占術はおまけ。盗まれたところで痛くないし、特殊とも思ってない。正直あの人たちが専門外で理解できないと言ったことに驚いてるよ」
「あの二人は若手の中では断トツだ。特にエリューは魔術師として外にも名を知られつつある。そんなやつが理解できないと投げたそれを、容易に理解するお前はなんだ。それを才能と呼ばずして何と呼ぶ。その才を開花させたものを、努力と呼ばずして何と呼ぶ。――いいか、技術や知識を、その努力を、安売りするな。それは己の首を締める行為だ」
疲れた頭に、スィーリの説教は煩く鬱陶しい。イサナの眉間の皺はどんどん深くなる。
「あいつらは、こんな構造魔術を使わずともこの事件を解決できる。俺とエレ二人だけの時と違って、里のコネクションも使い放題だ。リオの風使いの能力と、里の隠密を使えば人探しなどあっという間だ。お前のその技術を、わざわざ晒してやる必要などない」
「……ごめん、話の腰折るけど、隠密って?」
怪しい響きが気になりすぎて、思わず聞いてしまった。
スィーリは一瞬驚いたようだが、すぐにうなずいた。
「ダイナを覚えているか」
「あのスタイルいい女の子でしょ」
無口で、あまり目立たない人だったが、立ち姿が美しかったことは印象に残っている。
「あれは里の隠密所属だ。里では情報収集班と呼ぶ。が、情報収集の他にも工作が得意なやつらの集まりだ」
いわゆる諜報機関ということだ。
「あー、なるほど。そういう部署もあるんだね。そのあたり、ほんと国みたいだよね」
「里は圧倒的な魔法魔術こそあるが、物量戦には弱い。各国と対立しないためには、情報を握るのが手っ取り早い。古代から続けられてきた方法だ。――それを支えてきた情報収集班には、曲者しか存在しない」
イサナはあの目立たぬダイナを思い出しながら、少し怖くなった。あの影の薄さは、武器なのだ。きっと彼女は、人の意識に触れることなく情報を得るだろう。
「わかったか。お前に協力を仰ぐのは、里に所属しない有能な魔術師の手の内を少しでも知っておきたいという、ただそれだけの理由だ」
スィーリの説明には説得力があった。
イサナは肩をすくめた。
「でもあの人たち、結局手の内はわからなかったみたいだけど?」
治癒術師であるセセストリカにも、魔術師であるエリューにも、あの構造魔術は理解できなかった。
「どれだけ有用か判断するには充分だ。それに、エリューは知らぬふりがうまい。――どうした、やたら関わりたいように見えるが。なにか報酬を提示されたのか」
「そういうのは一切ない。ただ、リオアスティは、この事件が実際にはどういったものだったのか、私には知る権利がないと言った。私は私が関わったこれが何なのか知りたかった。ここにいれば少しでも知ることが出来ると思った。それだけだよ」
「呆れ果てたな。里も、随分と面の皮が厚い」
スィーリはため息をついた。
「いくら規則があるとはいえ、奴ら、魔術師相手に何も知らせず協力を求めたのか。俺から言ってやりたいのはやまやまだが、里との契約があるから言えん」
「いいよ。隠すってことは、知られたくないってことでしょ。無理に知っても、ろくなことにならないのが相場と決まってる。でも、どうしても、一切知らないでいるのは我慢できなかった。――だから、ここで垣間見えるものだけで今はいいの」
「……わかった」
本当は、少しだけ違う理由もある。
これはイサナの、承認欲求と自己顕示欲だ。
里は最も優れた魔法魔術の教育機関として大陸中にその存在を知られている。
イサナは末端の魔術学校にさえ門前払いされた。イサナ自身も、己のことを魔術師とは思えない。
それでも、彼らに「無才な自分の才能」を見せたかった。
里の魔術師だと名乗ったエリューでさえ理解できないことを、自分が易々と理解できることへの優越感は、確かに存在していた。
この優越感や満足感が、裏を返せば劣等感であることもわかっている。スィーリの言い分が正しいだろうという予測は出来ても、劣等感が邪魔をして、おとなしく待つという最良の選択ができないでいる。最良の選択ができないことに、吐き気がしそうなほど苛立つ。
すべてを押し隠したイサナに、スィーリはやれやれと首を横に振る。
「仕方がない。魔術師の好奇心は殺しても消えんものだ。好きにしろ」
「うん」
きっとスィーリには分からない。
すべてに恵まれている彼には、イサナの嘘を見抜くことなどできないのだ。




