17.よくない夢
夢を見ていた。
疼く傷が、深く眠らせてくれないから、夢ばかり見る。
夢は、夢らしい整合性のないものから、昔の思い出まで、さまざまだ。
「確かにあんたは〈世界律を知る者〉だ。けれど、そうであるからといって魔術師や魔法使いになれるかといえばそうじゃない」
夢の中でイサナに向かって語っていたのは、顔見知りの老婆だった。
故郷の街のまあまあにぎわう通りで、その老婆は占いをやっていた。
彼女は〈占い師〉だった。けれど、〈魔術師〉ではないと言った。
「あんたは賢い。まさに一を聞いて十を理解している。こんなにも魔術を深く理解できる魔術師はそうそういない。あたしにもっと教えられることがあればと嘆きたくなるよ。本当に、あんたは賢いんだ。――だが、あんたは魔術師にはなれない」
イサナは時々この老婆の仕事の手伝いをして、彼女から魔術について学んでいた。
占術と魔術は発生こそちがうが、とてもよく似ている。両者は長い歴史の中で混ざり合った。だから占い師は魔術を知っていたし、魔術師は占術を知っていた。
老婆は優秀な教師ではなかった。知識が深すぎて、魔術をまったく知らない町娘にどこから教えるべきかを知らなかった。
「いいかい、それで落ち込むことはないんだ。あんたはとても賢い。学校になんて行く必要ない。無理に行ったところで、あんたの才能をつぶすだけだ。行ったって、魔術師にはなれないんだ」
老婆が慰めてくれようとしていたことは、イサナもわかっている。学校に行きたいと言うイサナに、違う道もあると示してくれていたのだ。これのおかげで学校にこだわらなくていいのだと、確かに思えた。だが同時に、打ちのめされた。
何度も何度も、才能がない、あきらめろ、無駄な努力だと否定され続けていたイサナだが、あの時の老婆の慰めこそが、もっとも深く心を抉った。
「あんたはいい子だよ。とても賢い子でもある。大丈夫さ、道は必ず開けるよ」
老婆は重ねてそう言ったが、イサナにとっては追い打ちだった。
それからしばらくして、老婆は街からいなくなった。もともとどこから来たかもわからない流れの人間だったから、不思議はない。
ただイサナの心には、埋めようのない空洞が残っていた。
疼く傷は、そんな夢を見せた。
目が覚めると、そこは少し前まで暮らしていた部屋――ニニの実家である、酒場の二階にある部屋だった。
スィーリとエレは、イサナが襲われた現場から一番近くで営業していたこの酒場に飛び込んで、事情を話して場所を借りたのだと言う。――イサナはもともと書庫に近いと言う理由からこの酒場を住まいにしていたので偶然とばかりは言えないが、幸運だったことは間違いない。
応急処置はスィーリとエレがやったらしいが、その後はすべてニニが世話してくれた。
「イサナ!風邪のくせになんで外にふらふら出てんの!仕事とかふざけてんの?!馬鹿なの?!」
ニニには一通り軽率な行動を怒られた。
一日中寝ていたせいで、そのあたりの思考は甘くなっていたことは否めない。
スィーリが、イサナが外に出た理由を「俺が頼んだ仕事」と説明したようで、被害は当然スィーリとエレにまで及んだ。
傷は深かったが鋭利だったため、一応くっついている。スィーリが何らかの魔術を使ったので、痕も残らないだろうと医者に言われた。ただ、スィーリの魔術でできるのは傷を固定、保護するだけで、治すものではないという。しばらくは安静にしなければ、傷口が開くのだ。
失血由来のだるさやめまいがあるものの、痛みは少なく、熱もそれほど出なかった。傷は膿む様子もなく、ほとんど治っているようにさえ見える。
「魔術や魔法は嫌いだ」
医者は包帯を巻きながら、不機嫌そうに言った。
「わしも魔術をかじっているが、嫌いだね。普通なら死ぬような怪我でも生き残る、その上傷痕すら残らない、すると馬鹿は同じ失敗を何度だってするんだ。その場に術師がいた幸運を、次回も当然だと思うんだろう」
イサナはその説教を大人しく聞いた。
普段ならば護身用の魔術譜をもっとたくさん持っていた。しかしこれまでの経験で、少しばかり魔法魔術が扱える程度の相手ならば、あれでも充分だった。
街の治安が怪しくなり、退去を迫る大家にチンピラをけしかけられ、借金取りを連れた兄まで現れたのだ。気を引き締めこそすれ、油断すべきではなかった。医者の説教する内容とは少々違うが、イサナは大いに反省していた。
「――だがね、今回に限っては年ごろの娘に傷が残らなくてよかったと思っているよ。わしの術ではこうはいかん。それに、早い処置がなければ死んでいた可能性だってある」
医者はそう締めくくった。
手当が終わり、医者が帰り支度を整えた頃、部屋のドアがノックされた。
やって来たのは、スィーリとエレだった。医者が「それでは」とあいさつして、入れ替わりで去っていく。
「よー、どんな感じ?」
エレが軽い口調で尋ねる。
目で確認しただけで、イサナはベッドから起き上がらなかった。そんな気力はなかった。
イサナのそんな様子を、二人はまったく意に介さない。勝手に室内の椅子をベッドサイドへと運んで座っている。
その無神経さが、イサナを苛立たせた。
「熱は下がったって聞いたけど、まだ痛い?」
エレが首を傾げる。
「・・・そうでもない」
「ふうん?」
頷きながら、エレは無遠慮にイサナの額に手を当てた。
「なんだ、ちょっと熱あるじゃん」
「・・・・・・」
怒る気力も奪われる。
「スィーリ、今日は止めとけば?」
エレがスィーリを振り返りそう提案していることから、彼なりの気遣いであることはうかがえる。しかしスィーリがそれを台無しにした。
「時間がない。手短にするから聞け」
拒否する暇もない。
スィーリは偉そうに告げた。
「占いで『生存』と結果が出たやつらを確保する。手伝え」
「やだ」
「たいそうなことをしろとは言わん。また構造魔術の面で手を貸してくれればいいだけだ」
「それをしてどうなるっていうの」
「・・・・・・」
「私がやらなくてもあなたができる」
「・・・イサナ」
スィーリはそこで言葉を止めた。
イサナができることはスィーリにだってできる。イサナが少しばかり彼よりも占いに通じているくらいで、あとはなにもかも、スィーリに劣る。
スィーリどころかすべての魔術師は、イサナよりもずっと優秀だ。
「無理」
「お前自身に関わることだぞ」
「頭回ってないんだもん」
「魔術師の矜持があるなら聞け」
「ないよ、そんなの。・・・私は、魔術師じゃない」
そう言ったとたんに、胸がぎゅっと押しつぶされたような痛みに襲われる。
イサナは最初から、自身が魔術師ではないと思っている。
魔術に魅入られ、才能がないと気づいた後もしつこく魔術を学び続けた。どうにかそれを生きる糧としたが、先日襲われたことで思い知った。
あれが、本当の魔術師だ。
術を淀みなく扱い、簡易結界を易々と砕き、イサナを圧倒した。
だが。
「お前は魔術師だ」
スィーリは断言した。何の衒いもない、ただ事実であると、その口調が物語っていた。
「術式に魅入られ知識欲にとりつかれた者は皆平等に魔術師だ。魔術をいかに巧みに操ろうと、それらがなければ魔術師ではない」
「でもあなたみたいな才能はない」
「それがどうした」
「・・・・・・」
「俺はシグナだ。呪術なんて出来て当たり前、術式なんぞ見ればわかる。だが言っただろう、いかに優れていても術式に魅入られていないのならば、それは魔術師ではありえない。
シグナとて例外ではない。神獣から与えられた血に甘え、他者より優位なつもりでいるシグナもいるが、俺はあれらを魔術師とは認めん。やつらは確かにお前よりも魔術を使えるかもしれないが、何も生み出さない。魔術師たりえん」
「でも」
「だがお前は魔術師だ。パンと本どちらか選べと言われれば迷わず本を選ぶ。知識の渇きには抗えない。だがしかし書物では決して満足しない。先を求めて、考える。その過程で何かを生む。そうだろうが」
「とにかく・・・!今は聞きたくない!」
「面倒だな。勝手に話すから聞け」
「はあ?」
あまりに勝手な言い分に頭に血が上る。だが次の瞬間、それは冷めた。
「今回の隊商の失踪事件の原因はお前だ」
波のように、いっきに熱が引いていく。――冷たかった。あまりの冷たさに、呼吸すらおぼつかない。
スィーリは構わず続ける。
「お前の魔術が血を呼んだ。――もうわかっているだろう。知らぬままでいられるほどお前は愚かじゃない。そして知ったのであればやるべきことがあるだろう。お前はお前の魔術を、血で汚させるつもりなのか。己の研鑽を、神聖なる術式を」
「やめて!」
力いっぱい叫んだ。
叫んだはずだったのに、声はかすれていた。
めまいがする。頭が痛い。手足が冷たい。
嫌な感覚だけが鮮明だ。
「やめて」
イサナはもう一度言った。
なおもスィーリは言いつのろうとしたが、エレがそれを無言で遮った。
エレはイサナを見ていたようだが、イサナはエレを見なかった。だから彼がどんな表情をしていたのか、どんな意図をもってスィーリを止めたのかわからない。
永劫にも思える長い沈黙ののちに、スィーリとエレは部屋を出て行った。




