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譜術の書士  作者: みるく
16/21

16.襲撃





 久しぶりに熱を出した。

 ベッドの中で、熱い息を吐きだして、天井を見つめる。視界はぼやけ、ゆらゆらと揺れている。

 ベッドにはマットレスの下に浄化魔術を描いている。一日も寝ていれば治るはずだ。

 その予測があっても、頭痛や関節痛、全身のだるさには辟易する。

「おーい、ごはん食べられるー?」

 軽い足音をさせ、階段を上って来たのはニニだ。

 昼近くに通りがかった彼女は、イサナの店が開いていないことを訝しんで訪ねて来てくれた。本当にありがたい友人である。

「たべる・・・」

「あ、よかった。はい、どうぞ」

 お盆に乗っていたのはスープだった。薬草茶もある。

「野菜はすりおろしてあるから食べやすいと思うよ」

「ありがと・・・」

「もー、働き過ぎじゃない?店を持つって話になってから、ずっと忙しかったもんね」

「そんなんじゃない。油断したんだよ。――ニニ、二日酔いは大丈夫だった?」

「だっ、大丈夫ですっ!」

 婚約破棄記念だと言って強い酒をがぶがぶ飲んでいたのは昨日の話だ。

 結局彼女はイサナの店で眠ってしまい、夜は酒場での給仕を休んだ。代わりにイサナが給仕として働き、真夜中に目覚めたニニに土下座されたのだ。

「ていうか、あたしのせいだよね?あたし、昨日イサナに仕事押し付けちゃったから・・・」

「だから違うって。ちょっと考えること多すぎて、考え過ぎたせい」

「頭の使いすぎ?魔術師って変な熱出すのね」

「私は魔術師じゃないよ。それに、考えてたのは魔術についてじゃないし」

 イサナはため息をついた。肺から出てくる息はまだ熱い。                                  

 疲れがたまっていないと言えば嘘になる。でも店が順調であったなら働くうち消化できた程度の疲れだ。

 ――兄との再会が、思っていた以上に重かった。

「じゃ、あたしはそろそろ帰るよ。夕方の開店前に一応覗きに来るから、その時に晩御飯も持ってきてあげる」

「あ、うん。ありがとね、何から何まで」

「いいの。――だから昨日の記憶は抹消して。いい?」

 ニニが真剣な顔で言うので、イサナは思わず笑ってしまった。

(本当に、抹消、できればいいのに)

 階段を降りていくニニの足音を聞きながら、イサナは天井を見つめる。

(ああ、でも、だめだな)

(あれがなければ、私は、今ここにいない)

(たとえば家族が協力的で、普通に学校に行けていたら?)

(私は落ちこぼれにしかならない)

 世の主流魔術は、呪術だ。

 魔術譜は補助でしかない。

 記述魔術の行き着く先である「大規模構造魔術」はすでに廃れた技術だ。廃れたということは、世に必要とされなくなったという意味でもある。

 大規模構造魔術は、争いの絶えない時代に使われた守りのための究極の術だ。

 今では国同士の争いは小競り合い程度。国内ならば、魔獣との縄張り争い。この程度のことに構造魔術は必要とされないから、その基礎となる記述魔術はどんどん廃れていく。

(私がやっていることは、時代遅れの、さらに時代遅れ?)

(ううん、違う)

 スィーリがいつか言っていた。――「俺は素人が使えるような魔術譜が普及すれば必ず弊害が起きると思っている」、と。

 魔術師たちはこれまで素人が使うことを考えなかった。

 考えたとしても、弊害に気づき、自ら研究をやめたのだ。

 熱のせいで頭が回らないなりに、己の置かれた立場が袋小路であることを認識し始める。

(何もかも諦めて、結婚でもすればよかった?)

(ああ、でも私が結婚してたところであの兄の馬鹿っぷりは変わらないか)

 きっと、イサナの嫁ぎ先に借金を申し出て、イサナに肩身の狭い思いをさせたのだ。その光景が目に浮かぶ。

(・・・うん、結婚してなくてよかった。自力で生きていけるって大切ね)

 何一つ解決していないが、妙な安堵を覚えて、イサナはまどろみの先へと沈んだ。



 次に目を覚ました時は、夕方というには少し早い時間だった。

 熱っぽさは綺麗になくなっている。多少の気だるさはあったが、眠る前までの不調が嘘のようだった。

(さすが浄化魔術)

 マットレスの下に仕込まれた浄化魔術は、売りに出しているものよりもずっと丁寧で凝った作りになっている。体が資本なので、それを保つことに対して投資を惜しまない。イサナの信条だ。

 しばらく読書をして、夕飯を持って来てくれたニニと話し、ニニが帰るころには残っていただるさもなくなっていた。

 もとより頑健な体の持ち主であるイサナだ。昼間よく眠ったおかげで、むしろ頭が冴えている。

 ベッドを拠点に少しばかり仕事をして、再び読書に戻ったが、ここに来て読む本が尽きた。

 不幸なことに、最後に読んでいた本は続き物だ。

 体調が悪かったのだから寝てしまおう、と思うにはイサナは貧乏性すぎた。

 月の位置で時間を把握すると、いつものカンテラを持って外に出た。

 丸一日ろくに動かず緩んだ体には、寒さが沁みる。

 白い息を吐きながら、イサナは足早に地下書庫を目指した。

 ふと背後に影が差したのは、書庫の入り口まで十メートルに近づいたところだった。

「え――?」

 振り返ったイサナが見たのは、驚きに目を見開いて後ろへ倒れる男の姿だった。

 さらにイサナの右側から別の男が手を伸ばしてくる。咄嗟に身を縮めたが、男の手はイサナに触れる一瞬前に、弾かれた。

 ――これが、簡易結界の効果である。

 万が一のことを考えて、外出にはいつも簡易結界を使っている。これまでも、たちの悪い客に襲われかけたことがあったので、用心は怠っていない。

 懐から護身用の攻撃魔術の譜を取り出す。――が、不用意には使えない。昨今、魔術師や魔法使いは、たとえ女の身であっても過剰防衛だと認定されやすいのだ。

 そう判断する程度には冷静さを残していたが、しかしイサナは戸惑っていた。

 周囲に人の気配がないことは、魔術で確かめていたはずなのに。――この男たちは、突然現れた。

(まさか)

「――水の名をここに示し、天分かつ光と音の姿を呼ばう!」

 知らない男の声が響いた。誰がどう聞いても魔術のための呪文である。

(魔術師!)

 イサナの簡易結界と、相手の魔術がぶつかった。

(攻撃魔術?!)

「――っざけんじゃない!」

 魔術師を交えた襲撃に、過剰防衛も何もない。

 イサナは手に持っていた攻撃用の譜を容赦なく使う。起き上がろうとしていた、先に襲って来た男二人は、イサナが使った雷の魔術によって昏倒した。

 間をおかず、簡易結界の譜を使った。――先ほど受けた攻撃で、すでに結界は消えている。ぎりぎりだったのだ。

 魔術師の呪文は、イサナの背後――もともとイサナが向かおうとしていた方向から聞こえて来た。

 イサナは次の譜を手に振り返った。

「おどろいた、そんなに上等な結界を張れるとは思わなかった」

「・・・・・・お生憎さま」

 魔術師の男はフードを目深に被り、顔を見せていなかった。

 この魔術師が、最初に襲ってきた男たちを含めて気配を断つ魔術を使っていたようだ。イサナは簡易的な探索魔術しか使っていないから、見破れなかった。

「一応聞くけど、なんのつもり?」

「うーん?なんだろうね。僕が聞きたいくらいだ。無名の魔術師を捕まえて来いとか、本当に意味が分からない」

「捕まえて来い?」

 意外にもあっさりと、魔術師の男は語る。

「ふうん、もったいぶった言い方してくれてるけど、つまり下っ端で何も知らないってこと?役に立たない男だね」

「へえ、怒らせようとしている?あんたみたいな譜術に頼らないと何もできない魔術師が、少々僕の冷静さを奪ったところで勝ち目なんてないんだよ?――爆ぜよ!」

「――!」

 突然目の前で赤い火の玉が生まれて爆ぜる。

 結界のおかげで無傷だが、その結界はたったこれだけで用をなさなくなった。

「だって僕、魔法も得意だし」

 ――先ほどの火は、魔法だ。魔法は突き詰めていけば呪文を必要としない。この魔術師は一言で火を呼んだ。つまり、実戦に慣れている。

 対するイサナは、せいぜい酔っ払いを追い払う程度しか経験がない。

 冷や汗が背を伝う。

 魔術師の男が一歩足を踏み出した。

 イサナは結界を張りながら、一歩下がる。

(まずい)

 今日に限って手持ちの魔術譜は多くない。

 というか、簡易結界は今使ったのが最後の一枚だ。

 攻撃の譜も、後一枚。

 あとは浄化魔術の譜が数枚。――この譜はどう考えても今の状況を打開し得ない。

 この魔術師を倒すのは無理だ。イサナには逃げるしか選択肢がない。問題は、どうやって逃げるか、である。

 この周囲に人気がないことはすでにわかっていること。――もちろん先ほどの爆音で誰かが確かめにやってくるかもしれないが、普通はどうせ喧嘩だろうと考えて巻き込まれないように近づかないものだ。

(のろのろしてたら、結界が持たない)

 次の攻撃を受ける前にやらなければならないのだ。

(最大出力)

「成れ!」

 短い鍵言葉に反応して、魔術譜がその効果を発揮する。

 まばゆい光が弾けた。――雷の力を借りる術だ。目くらましの効果と、直撃すれば昏倒する程度の衝撃を与える護身用の譜。

 イサナはすぐにその場に背を向けて走り出す。

 相手が誰か知らないが、相手が雇われの魔術師と言うことを考えれば地の利はこちらにあるはずだ。

 すぐに道を折れたが、その瞬間に結界の効果が途切れた。――攻撃を受けたのだ。

 あとは自分の足しか頼るものがない。

(なんで)

(なんで私が狙われてるの?)

 必死に走ったが、背後から魔術師の声が聞こえたと思った次の瞬間に、イサナは右太ももに衝撃を受けて地面に倒れ込んだ。手をつこうとしたのに、今度は左腕に痛みが走り、右肩を地面に打ち付けることになる。

 カンテラがからからと道をころがっていく。

「なあんだ、もう手詰まり?本当に譜術しか使えない?ならもっと用意しておくべきだったよね?僕そういう見込みの甘い馬鹿って嫌いだな」

 イサナは痛みをこらえて起き上がるが、立てなかった。

 左腕の傷の方が深い。瞬時にそう判断して、腕の傷を抑える。右の太ももの傷も浅くはなく、服がじわじわと血に染まっていく。切り口が鋭利だから、風の魔法か魔術だ。

 イサナは肩で息をしながら、魔術師の男をにらみつける。

「つまるところあんたは魔術師なんかじゃない。魔力もなければ、技術もない、覚悟すらもない。どうしようもないね。――ああ、大人しくしていてね?僕は才能のない馬鹿は嫌いなんだけど、だからって女の子を痛めつけて喜ぶ趣味はないんだ。これ以上の抵抗はせずに、素直に従ってほしいな」

「じゃあそういう趣味だと勘違いされるといいよ」

「はあ?」

「――天分かつ光と音の姿を呼ばう」

 先ほどこの男が使ったのと同じ呪文。

 一帯がまばゆく光、イサナは目を伏せた。

 ほんのわずかに遅れて、轟音が空気を揺らす。

 雷の術だ。イサナと相性が良く、呪文を省略しても負担が少ないものを選んだ。

「――なぜ呪術をっ!」

 実際は、呪術ではない。庇われている左手の先が、滴る血で地面に描いた図をもとにした呪と記述の併用魔術だ。

 血は、魔術的に意味がある。鮮血だから、その効果も大きい。極端な話、円を描くだけでも呪術をかなり助けてくれる。

「舐めた真似を・・・」

 魔術師は無傷だ。結界を張っていたようだ。

 大人しく捕まって逃げる機会をうかがう方が賢い選択だったのかもしれない。今更ながらに思いついたが、遅い。

(考えろ)

 相手は魔術師。だが魔術を知るのはこちらも同じだ。記述魔術ならば負けない自信だってある。今ならば血がある。

 左手が紡ぎだす魔術式。これだけが最後の望みだ。

「――へえ?」

 魔術師が近寄って来て、イサナの左手を踏みつけた。

「――っ!」

「ねえ、骨を折られたいの?」

 ぎりぎりと体重をかけられる。

「困るなぁ、僕そんな趣味ないって言――」

 魔術師の男の声が不自然に途切れた。

 左手の上から重みが消えてイサナは崩れ落ちかけたが、気合だけで体を支える。

「なん、――うわああ!」

 魔術師の男が悲鳴を上げてイサナから離れた。今までの優勢はどこへ消えたのか、怯えたように構えている。魔術師が警戒する先をたどって、イサナは初めて第三者の存在を認識できた。

 闇に埋もれたその人が喋る。

「仕事ならさっさと終わらせればいいのに長引かせてたみたいじゃん。やっぱそれって趣味なんじゃねーの?うわー、きもちわるー、へんたーい」

 その姿は捉えづらかった。

 黒い髪に、黒い目。長身で、その手には剣を構えている。刀身がささやかな光を浴びて光り、その存在を静かに主張する。

 魔術師の男が慌てた様子で声を上げた。

「え、お、おまえっ、エレか!」

「え、あんただれ?」

 剣を構える長身の男――エレは、ぱちぱちと瞬いた。

「俺、知り合いに変態はいなかったと思うんだけど」

「変態じゃない!同業者!というか、人の仕事を邪魔するな、見逃せ」

「え、普通に無理」

 極々自然な口調で、エレは拒絶した。言い終わるが早いか、エレが跳躍する。

「くっそ!――爆ぜよ!」

 魔術師が短呪から魔法を呼ぶ。エレは音もなく動き、難なくそれを避けている。

「なんだ、あんた魔法も使えんの?俺苦手なんだよなー」

「だから見逃せ。お前だって無傷じゃすまないぞ」

「じゃ、一応要望聞くけど?」

「僕の仕事はそこの女を連れ帰ることだ。なんで止めに入ったのか知らないが、通りすがりで正義振りかざしてるならお門違いだよ」

「なんで女の子が欲しいわけ?やっぱへんた――」

「変態じゃない!依頼を受けただけだ!」

「ムキになるところがあやしーい」

「お前ふざけてるのか?!」

「俺が?俺、剣握ってる間はふざけねーよ?師匠にバレたら半殺しの目に遭うから」

「だったら――!」

「ちなみに聞くけど、雇い主の目的は?」

「知らないよ。そんな情報、僕に必要ない」

「なんだ、つまんねーの」

 エレの口調は最初からずっと変わっていない。どこにも緊張がなくて、談笑しているようにさえ聞こえる。

 けれど彼は剣を魔術師へと向けた。

「ま、最初から見逃す気ねぇし」

 エレが獰猛に笑った。

 エレは動けないイサナの脇を風のように通り過ぎて、魔術師へと襲い掛かる。

 その動作のどれもが、無音だった。

 魔術師が己の短剣を出して応戦しているが、分が悪い。魔法や魔術を練っても、エレの素早い動きに翻弄されて威力をそがれている。

 魔法も魔術も強力な武器だが、接近戦には不向きである。エレの動きが早いことも、魔術師をより劣勢にしている。

「――イサナ、無事か?」

 闇の向こうから遅れて現れたのはスィーリだった。仲間が真剣を振り回している最中なのに落ち着き払った声で、慌てる様子がない。

「命は、とりあえず。――エレはいいの?」

「この状態であれに勝てる魔術師がいたら見て見たいもんだ」

「でも、苦戦してない?」

「そりゃ殺さないようにするのは難しいからな」

「・・・・・・そうだろうね」

 街中で殺人となれば、たとえ荒事を生業とする彼ら同士のやりとりだとしても大問題になる。真剣を握って「絶対」はないが、互いに殺すことは避けたいだろう。

「ちょっと待て!わかった!その女は狙わないから見逃せ!」

 魔術師の男が必死で叫んでいる。その叫ぶ口を呪文のために使えば勝機がありそうなのに、とイサナは他人事のように考えた。

 剣をふるうエレが、ちらりとこちらを――正確にはスィーリを見た。

 スィーリが小さくうなずくと、エレは攻撃を止めた。

「小物だ。吐かせても大したものは出てこんだろう」

 挑発するようにスィーリが言うが、魔術師の男は外套を翻して逃げていった。

 今度こそイサナは安堵し、地面に崩れ落ちた。

「イサナ?」

「イサナっ!――うっわ、やっべ!スィーリ、止血!」

「そんなに・・・?」

「見りゃわかるだろ」

「暗くて見えん」

「太ももと腕。止血せずには運べない」

「――イサナ、服破るぞ」

 応える気力もなく、イサナは意識を手放した。




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