15.再会
「つまりあんたらの仕事が遅いからこんなことになってんでしょ。さっさと仕事しなよね。イサナに迷惑なの。あたしにも迷惑なの。わかるかなぁ?」
なぜこんなことになったのか。
イサナはカウンター越しに、ため息交じりにテーブルを見ている。
片側にはニニが座り、その手には酒の入ったグラスが握られていた。彼女が持参した、ものすごく良い酒だ。
その正面には、うんざりした顔の魔術師スィーリがいた。
一応仕事に来た彼だが、管を巻くニニのせいで仕事にならず、逃げようにも逃げられず、いやいや付き合っている。
ニニはある程度酔っても、呂律はしっかりしているし、記憶が飛ぶこともない。ただ、ちょっとだけ面倒になる。
面倒だから酔い潰そうとしても、酒場の娘だけあって強い。こうなってしまっては、諦めるしかないのだ。
昼間から店内でやってほしい行為ではないが、客も来ないので大目に見ている。
「イサナ!いい加減にこれをどうにかしろ」
「はあああ?これってなに、これって。あたしはー正論しかー言ってませーん。反論が出てこないのは、あんたの問題でしょー?」
「昼間から飲むか、普通。仕事の邪魔だ。帰れ」
「あんたこそ帰って仕事してくださーい」
スィーリの顔が引きつっているように見えるのは気のせいか。――いつも不機嫌そうな男で、イサナはその表情を読めるほどにつきあいが深くないのでわからない。
「イサナも飲みなよぅ」
「夜になったらね」
その頃にはニニも潰れているだろうから、飲まずに仕事をするつもりだ。
「つまんない。つまんなーい。付き合ってよ、もうあんたでもいいよ」
「なぜ昼間から飲むんだ」
「ちっさい男との婚約破棄の記念!」
「・・・・・・」
あのまま破棄という流れになったらしい。自分のせいだと言う思いがあって、イサナも気が重い。
スィーリはため息をついて、空いたニニのグラスに酒を注いだ。自身が飲むつもりはないらしいが、多少の同情はしてくれるのだろう。
――と、思ったのだが。
「寝ろ」
不思議な響きの低い声が命令すると、ニニはとろんとした目になり、間もなくテーブルに突っ伏した。
イサナの目には不意に揺らいだ空気が見えていた。同時に、耳から入って来た音が魔術であることを直感的に理解した。
「・・・まったく、面倒な」
「さっきのも魔術?」
「ああ、いや。あれは・・・まあ魔術みたいなもんだ」
「何それ」
「言霊だ。俺は特別呪力が強いから、魔術のような効果を発揮する」
「へぇ、初めて聞いた」
「だろうな」
彼の言い方からして、それはシグナ族のなかでも特別であることがうかがえた。
考えを巡らせていたイサナを、スィーリが首を傾げながら見つめる。
「お前、何ともないのか」
「耳の奥が、なんかおかしい。変な聞こえ方だったせいかな」
「珍しいな。俺があれを使うと、同じ場の人間には一様に効果が出るんだが」
「ふうん?」
「魔術師でも惑わされるやつがいる。だから普段はああいう具体的な命令の言葉は使わない」
「・・・悪用し放題じゃないの?」
「そんなつまらんことはせん」
つまり楽しいならばやってしまうのか。イサナは今後この男には気を付けようと心に決める。
「あ、もしかしてここの結界のせいかも」
カウンターの内側と外側を仕切るように、結界を張っている。魔法魔術の類と、一定の速さで迫るものを弾くようにしている。――つまり、原理としてはいつも売っている簡易結界と同じだ。
「ああ・・・いやでもおまえ、聞こえがおかしかったと言ったな?」
「あー・・・耳の奥で魔術式に変わって頭に入ってくる感じ?」
「なるほどな、構造が理解できるから無意識に防御できるわけだ。・・・しかし他のやつらは・・・」
スィーリはぶつぶつとよく聞き取れない声で呟き、考え込んでしまう。
その間にイサナは二階から毛布を持ってきた。
「一応聞くけど、この子を奥に運んでくれる気ある?」
以前の経験から期待はしていないが、ニニをこのままにしておくわけにもいかない。
「対価は?」
「そこの瓶に残ってる酒、持ってっていいよ」
「酒か・・・」
「いい酒だよ。結構強いけど、ストレートで飲めるくらいに口当たりがやわらかいの。一本が、金貨一枚くらい。本物とわかれば、その量でも売れるんじゃないかな」
「運んでやる」
ニニを運ぶのだからニニの持参した酒を対価にするくらい許されるはずだ。
カウンターからすぐの作業場のソファにニニを寝かせ、毛布を掛けて、傍にグラスと水差しを置く。
頭が重い。ため息をいくらついても、何も晴れない。
こうなると、体調も悪いような気がしてくる。
「重労働していないおまえがなんで疲れている」
「人を疲労させるのは労働だけじゃないの」
なぜか責めるように言われた。ニニを運んだことがそんなに不満だったのだろうか。役得とでも思えばいいものを、とイサナは軽く苛立つ。
「それで、仕事の話で来たんでしょ?」
「ああ。おまえの譜は役に立った。行方不明者の一人の居場所が確認できたから、今エレが探している」
「ふうん?」
見た目に違わず、肉体労働はエレの担当のようだ。
「犯人に検討がついた、というのはまだ早いが、行方不明者のほかにもう一つ、情報が入ってきてな。・・・まったく、リオさえいれば情報収集も早く済んだというのに・・・」
「リオ?」
「ああ、仲間の風使いだ。シスコンの兄貴というこぶつきの」
「ああ・・・相変わらずそのお兄さんに捕まってるの?」
「みたいだな。――というより、今回の仕事が面倒で、きな臭い。これから遠ざけるために呼び戻したんだろうな」
「・・・過保護なんだね」
「無駄にな」
家族とうまく関係を築けず、こうして実家を飛び出したイサナとしては、少し羨ましい話だ。
苦笑を交わし、さて仕事の話に戻ろうかとなったとき、ためらいがちにドアベルが鳴った。
イサナは慌ててカウンターまで出て、客を迎える。
「いらっしゃいま――・・・」
イサナは瞠目した。
野暮ったく、半端に伸ばされた髪。おどおどとして、気弱そうな目。長身だが筋肉はついておらず、猫背気味だ。
そこにいたのは、イサナの兄だった。
「イサナ・・・」
兄はイサナの姿を確認し、目を輝かせた。
「ああ、イサナ!本当にお前、店を開いてたんだな!」
兄――オルセイドはカウンター越しに、かじりつくように身を乗り出してきた。さっきまでのおどおどした空気は消え去り、自信すら満ちているように見えた。
イサナは思わず身をすくませ、一歩下がった。そこを、作業場から出て来たスィーリに受け止められる。
「・・・その男は誰だ?お前、まさか結婚を」
「してない。この人は仕事の依頼主。それより、今更何の用?」
イサナはオルセイドをにらみつけ、そしてさらにその背後へと目をやった。
オルセイドに遅れて、一人の中年男が入ってくるところだった。
どう見ても、太陽の下でさわやかに商売している人間ではない。
「やあ、オルセイドさん。言ったとおりだったでしょう?」
にこりと笑う中年男だが、目が笑っていない。愛想笑いだけでできたのであろう笑い皺が不気味だ。
声をかけられたオルセイドが急に怯えた様子で振り返り、「ええ・・・」と小さな声で頷いた。
(うわぁ・・・)
ろくでもないことだ。
考えるまでもない。この間抜けな兄は、ろくでもないことに巻き込まれている。
イサナは表情を険しくした。
「客じゃないならお引き取り頂きたいんだけど?」
「イサナ!勝手に出ていって、ずっと心配してた!そしたら、この、センレイさんが、お前の居場所を、教えてくれて!」
「心配?私が出て二年くらいかな。家と離れてもないのに、そんなに探すのに手間取った?」
領は違うが、二つ向こうの街だ。商家である実家ならば、イサナの商売の噂くらい聞けたはずだ。実際、実家にいた頃から付き合いのある商人とも現在取引している。
「店を持つなんて、やっぱりお前も商人の子じゃないか!それなのになんで家を出るんだ」
イサナの問いにオルセイドは答えず、むしろ遮るように喋る。
「こんなに立派な店だ。上手くいってるんだろう?僕がいろいろ教えてやったかいがある!」
「よく兄ちゃんの学校の課題、代わりにやったよね」
「・・・・・・っ!」
あれはよかった。イサナは上の学校に行きたくても行かせてもらえなかったが、兄は跡継ぎだからと商売や経済について学ぶ学校に行ったのだ。学校は実家から通える距離になかったが、長期の休暇には帰って来ていた。
知識欲旺盛なイサナは兄の持っていた教科書を勝手に読み、そのことをとがめられて兄に殴られた記憶がある。――父が「商売について学ぶならばいいじゃないか」と兄を叱り、そのあと腹いせに課題をさせられたのだ。少し面倒なだけの基礎的な内容だったので、いい勉強になった。今でも生かされている。
兄が言葉に詰まったのを受けて、背後にいる中年男――確かセンレイと呼ばれていた――が、にこにこしながら口を開いた。
「お話し中すみません、いえ、久しぶりの兄妹の語らいを邪魔しようというわけではないんですがね、こちらも事情がございまして」
イサナは「へえ?」と相槌を打ち、兄を睨む。
兄の顔が青くなった。
「い、イサナ!うちの商売に出資しないか?」
「だいたい話は分かった。無理。帰って」
「イサナ!どうしても金が要るんだ。少し出してくれるだけでいい!今回の商売は必ずうまくいくんだ。お前だって育ててもらった恩があるだろう?それをあだで返すように出ていったんだ、少しくらい詫びる気持ちもあるだろう?」
「晴らす恨みはあれど、返す恩はないよ。さっきも言ったけど、客じゃないなら帰って」
馬鹿な兄は、予想通りのことしか言わなかった。
「いい加減にしろ!そもそもお前が結婚を嫌がったりするからこうなったんだぞ!育ててもらっておきながら、恨みだと?本当に親不孝だな!」
激昂する兄を、中年男が制した。このセンレイが動くたびに、兄は滑稽なほどびくびくと怯えている。イサナに対しては強気なのに。
「私の口からは申し上げにくいんですがね?実はご実家に、随分とお金を貸しているんですよ。返済期限も何度か伸ばして差し上げたが、一向に返せる気配がない。お兄さんは次の商売が成功すればと仰るが、――さあてねぇ?私としては、そろそろ利子も含めて返していただきたい」
「それは私と関係がありますでしょうか?」
「ご家族の借金です。あなたにも返済の義務があるでしょう?」
「私が家を出た当時、帳簿にマイナスはありませんでした。その後傾いたのなら、私は無関係ですよ」
イサナは家の経済状況をきっちり把握していた。なんだかんだで、商売のイロハは実家で学んだのだ。おかげで金銭管理はしっかりできるし、取引相手の商人たちとも渡り合える。
それを感謝していないとは言わない。
だが。
「どうせその馬鹿が博打でもして作った借金でしょう?私は家とは無関係です。心中でも離散でもしてください」
「イサナ!」
オルセイドがまた怒鳴る。一方、センレイは少し困ったような表情になり、肩をすくめた。
「今日のところは、お暇しましょう」
「で、でもセンレイさん・・・」
「オルセイドさん、もちろんこの後の兄妹水入らずを邪魔するつもりはありません。どうぞ、ごゆるりと」
センレイが会釈して店を出ていく。
残されたオルセイドは行動を決め兼ね、そわそわしていた。
イサナはため息をつく。
「客じゃないなら帰ってよ。邪魔だから」
「イサナ!そんなことを言うが、お前は結婚が・・・」
「『結婚は本人の意思によってなされるものであり、その契約に際し金銭のやり取りがあってはならない』」
イサナは法律の一文を暗誦する。
兄はとんでもないと首を振る。
「お前が幸せになれる相手だ!それを、少し歳が離れているとか、顔が気に食わないとか文句ばかり言って、お前は父さんたちに迷惑をかけたんだぞ!」
「あーもー、めんどくさいな。同じ言語を習得してからお話に来てくれない?」
「イサナ!」
兄がカウンターを両手でたたく。
昔から、声と音で相手を圧倒して従わせる人だった。幼いころは怯えていたが、イサナは荒事を生業とする人々に慣れきってしまったので、なんともない。ただ面倒だ。
その時、ずっと沈黙していたスィーリがイサナの肩をたたいた。
「家族間の問題に俺が口を出すのもどうかと思って黙っていたが」
「それなら黙っていろ」
オルセイドが威圧するように言う。鍛えられていない彼では全く威圧にならないが。
「さっきの話によると、お前は上の学校に行ったんだな」
「・・・は?」
「なぜイサナにはまともな師がいないんだ。学校にも行っていないと言う」
「・・・そりゃ、この子は女の子だ。嫁ぐだけの人間に、そんな金をかけてどうする」
「本気で言っているのか、これ」
スィーリは眉間にしわを寄せて、オルセイドを指し、イサナに尋ねた。
イサナは苦笑する。
「残念ながら」
この辺りでは、家を継ぐのは男という慣習が強く根付いている。しかし国全体で見ると、そうとも限らない。逆の慣習の地域もあるくらいだ。
国は地域に見合った物であろうとして特に口を出していない。王家自体は男女にこだわらない。今は男王だが、先代は女王だった。
だから、スィーリの驚愕も理解できるし、兄の言い分も極端な非常識とは思わない。
「金をどこに配分するかを決めたのは親だろうからお前に言っても仕方がないが、イサナは〈世界律を知る者〉だぞ。ありていに言えば、魔力持ちだ。なのに学ばせないとはどういうことだ。世界律を知りながらそれを学ばないということは、神獣への冒涜だ。世界に唾吐くも同義だぞ。まさかそんなことも知らんとは言わんな?――それを、親から庇うどころか、金のために嫁げ?もう一度言うが、それは世界に唾吐く行為だ」
無表情で、低い声で、スィーリは脅すように言う。
魔法魔術に疎いオルセイドにこれが理解できるとは思えないが、強いものにすぐ屈する兄は怯えた。
スィーリはダメ押しするように続ける。
「それと、イサナは今俺が雇っている。俺の仕事が滞るというなら、容赦するつもりはない。わかったら帰れ」
オルセイドが逃げるように店を出ていく。
その姿がガラス越しにも見えなくなったのを確認し、イサナはどっと疲れを感じて椅子に座った。
スィーリは何事もなかったかのようにカウンター脇のテーブルへと戻っていく。
いつものようにふてぶてしく座る彼を見て、そういえば仕事の話があったのだと思いだした。
身内のことで疲れて座り込んでいる場合ではない。
と思っていたら、――
「・・・報酬次第で、消すこともできるが?」
恐ろしい提案に、イサナはまた脱力した。
「遠慮する。物理的に殺すより、社会的に殺す方が好みなの」
「そうか」
先走って後から請求されても怖いので、きっちり釘は刺しておく。
「いい仕事になると思ったのに」
スィーリが舌打ちした。
貪欲に仕事を求めるその姿勢だけは、商売人の端くれとして評価してやりたいとイサナは思う。
「でも、ありがと。あなたがいなかったら、もっと居すわられてただろうから助かった」
「あいつに言ったことは事実だ。それに、居すわられたら俺も仕事にならん」
スィーリは無表情で淡々としている。
得意げになることもないし、恩を売ろうともしない。――別のものの押し売りはしようとしていたが。
「イサナ」
「ああ、ごめん。仕事の話だよね」
「いや。遅いから明日にしよう」
スィーリは窓辺に立ち、おもむろに窓を開けた。冷たい風が吹き込んでくる。まるで風の動きを目で追うかのごとく、彼は宙をしばらく見つめた。
「・・・どうかした?」
イサナが首を傾げて尋ねると、スィーリは不機嫌そうな顔をさらにゆがめた。
「厄介事だ。また、後日話す」




