14.嫌疑
朝、いつも頼んでいるパンが届かなかった。
この街にはパン屋がいくつかあるが、イサナが利用するのはニニの恋人が働くパン屋だ。材料がなかなか入ってこないから厳しいという話は聞いているが、届けられなくなるならばその前に一報あってもよさそうである。
嫌な予感を胸に、とりあえずあるもので朝食を作ることにする。
竈にフライパンを置いて、温めて、油をひいて卵とハムを落とす。
熱魔術を利用した竈は、日のあるうちならば魔力を必要としない。――日の光そのものを魔術式として組み込んでいるのだ。呪文を唱えて起動というのも不便なので、手動の切替機を大工に作ってもらった。夜はイサナの魔力を使用するが、そのうち畜光機でも作ろうかと思っている。まだまだ構想段階で、術式すら組めていないのだが。
フライパンの横で、作り置きのスープを温める。働いている酒場で教えてもらった、イサナにでもおいしくできる簡単レシピだ。
さらに湯を沸かして、薬草茶を淹れた。魔術を学んだ医者というのは昔から多く、薬草に関する魔術書もあるくらいだ。ここからヒントを得て、イサナは薬草を魔術譜作りに利用している。その関係で、薬草は大量にある。
食事を終えたら店内と店の前を掃除して、在庫の確認をする。
イサナの店の客層は夜中まで大いに騒ぎ、朝は遅いという人種が多いので、開店にはまだ早い。在庫が足りない時は術譜製作に充てられる時間だが、今日は暇なので買い物に出ることにした。街の経済状況も見ることができるからちょうどいい。
雑貨屋で、調合前の材料の保存によさそうな瓶を見つけたのでいくつか買った。そこを出たところで、ニニが背後から声をかけて来た。
「おっはよう!」
「おはよう。ニニにしては本当に早いね」
ニニは仕事柄夜型生活なのだ。イサナもそうだが、昔から人より睡眠時間が短くても平気な体質なので朝から動いている。
「だって客がいないから、寝るのも早いんだもん」
「ふうん、健康的だねぇ」
「もう!安酒飲んで管まくやつらばっかり!精神的に健康じゃないよ!」
「ああ・・・早く解決すればいいんだけどね」
「あ!それそれ。聞いたけど、調査に来たの業界じゃ有名な人なんだってね。無所属の魔術師?相方もすーっごく強いんだって。数少ないまともな客が言ってた」
「もう会ったよ」
「えええっ!あたしも会いたい!」
「うーん、またうちの店に来るんじゃないかな?ニニのとこに誘ってみようか」
「なんでイサナの店?!魔術師は自分で魔術譜作れるんでしょ?」
「作るの面倒だからって代理制作頼まれた。暇なところにありがたい仕事になってるよ」
「うわーおぅ、イサナすっごーい!」
「別に私はすごくないよ」
苦笑と共に否定しておく。
話題に上った魔術師――スィーリはおそらく本当にすごい。才能に恵まれ、環境に恵まれ、経験も積んでいる。
エレのほうは詳しく知らないが、一瞬だけ見た身のこなしはしなやかで、力強く、あの身体能力だけでも充分な武器だと思わされた。
「でも全然知らなかったな。有名な人って名前くらいは聞いたことあってもよさそうだけど」
「そうなの?あたしは知ってたよ。名前は長くて覚えてなかったけど、若いシグナで、仕事失敗しない凄腕って。結構前に常連客がすごいすごいって騒いでた。なんか、この辺ではあんまり仕事してないらしくって、それで知られてないみたい」
「ふうん、そうなんだ」
そう言えばスィーリはここのことを田舎呼ばわりしていた。事実だが。
「それで、イサナはこれからどこに?」
「卵買うのと・・・パン屋かな」
「パンは配達じゃなかったっけ?足りなくなった?」
「あー・・・ミスがあったのか、配達来てなくて」
「なんだと!それはあたしが言ってあげる!」
「いやいいよ。悪気はないだろうし」
嫌な予感もするが、最初から相手の悪気を決めつけてしまっては、うまくいくものもいかなくなる。
「ニニは?」
「ランプの譜を買いに。それに布とお花」
「方向は一緒だね。じゃあ私は先に卵買いに行ってる」
「うん、じゃああっちで」
花屋とパン屋は隣同士なのだ。
客商売が多いこの街では、花という食べられもしないものが商品となる。食べ物を作る農家は周囲にないのに、花を育てる農園だけがぽつんと隣接している不思議な街なのだ。
ニニはイサナが出て来たばかりの雑貨屋に入っていき、イサナは少し離れた別の雑貨屋で卵を買う。こちらの雑貨屋は、乾物やジャムなど日持ちのする食品を多く扱っている。
それからパン屋を訪れた。
パン屋のカウンターでは、店主の妻が店番をしていた。
「ああ、イサナ。久しぶりだねぇ」
人のいい顔をした店主の妻は、屈託なくイサナに笑いかけた。
「おはようございます」
「あら、でもイサナのところは配達だよねぇ?」
最初に笑いかけられた瞬間に「ん?」と思ったが、この様子だと単なる配達ミスだろう。
「それなんですけど、いつもの時間に届いていなくって。もしかして何かあったんじゃないかと思って買い物のついでに寄ってみました」
「おやまあ!うちの馬鹿が忘れたのかね!馬鹿は元気に戻って来たよ、心配なんてすんじゃないよ!ちょっと待っといてよ」
店主の妻には、街に来て間もないころ浄化魔術の譜を安く譲ったことがある。それが縁で仕入先を紹介してもらうなど、世話になっているのだ。現在出張営業している酒場を紹介してくれたのも彼女である。
噂のせいで嫌われているかと恐れていたが、ほっとした。
「ナキ!ちょっとなにやってんだいぼんくら息子!」
奥の調理場へとむかって怒鳴ると、粉まみれのナキが姿を見せた。柔らかい顔立ちの青年で、それがどことなく頼りない印象を見る者に与える。怒鳴られたせいか不機嫌そうだ。
「なんだよ母ちゃん。今はまだ・・・」
「あんた、イサナんとこに届け忘れただろ!」
「・・・・・・ああ、イサナか」
ナキはちらりとイサナを見て、面倒くさそうに頭を掻く。
そして。
「母ちゃん、人の話聞いてねぇのかよ。こいつにもの売ったら、うちの評判が下がるんだぞ」
覚悟はしていたのだ。けれど店主の妻の様子から緩んでしまっていたから、ナキの言葉は容易にイサナを切りつけた。
「あんたって子は・・・!」
「あんた、何言ってんの?!サイテーにもほどがあるでしょこの馬鹿!」
店主の妻の言葉を遮って、イサナの背後から甲高い声が響いた。――ニニである。
店主の妻は言葉こそ中途半端だったが、振り上げた平手はしっかりとナキの頬を打っている。
「かあちゃ・・・・・・ニニ?――ちょっと待てよ。俺が悪いのか?イサナが犯人かどうかはそりゃわかんねぇけど、違うって証拠もねぇんだぞ」
「あんたそれでも目ぇついてんの?!」
「事実噂はあるし、実害被るのはうちだ!」
「最っ低!ほんっとに呆れ返るわ!」
これは痴話げんかなんてかわいらしいものではない。
イサナが原因の、本気の喧嘩だ。
結婚の話まで出ている恋人の亀裂になってしまった事実にイサナは戦慄した。
「母ちゃんもニニと同じ意見だよ」
「はあ?!」
「母ちゃんが腰痛くて仕事できない時に、イサナが助けてくれたんだ。馬鹿息子はまだ修行中で、他の店に行ってたからね。本当は高いもんなのに、働き口を紹介してくれたお礼とかいってろくにお代も取らずに。そのうえ今じゃお得意様なんだ。なんで粗末にする必要がある?」
「所詮余所もんだ。噂だって真実味があるじゃないか」
「まあ、なんて馬鹿息子だろうねぇ。イサナはあんなことしなくたって充分儲けてるよ」
「はっ、どうだかね!」
ナキに思い切り睥睨されて、イサナは思わず店を飛び出した。
「もっかい言うけどあんた最低!」
ニニの大声が響き、その後ニニ本人がイサナを追って出てくる。
怒りで頭に血が上ったのか、くらくらする。
頭を支えながら、呼吸を整え、心臓を落ち着ける。
「イサナ」
「大丈夫だよ。それより、ごめん。ナキと喧嘩させちゃった」
「ううん。それはいいの。あいつの方が悪いの」
慰めるニニの方が涙ぐんでいる。
恋人と喧嘩してしまっては、そういう心境にもなるだろう。申し訳なくて、情けなくて、イサナは胸が痛い。
「イサナ!」
「は、はいっ」
「今日はやけ食いするからね!」
「あ、うん・・・」
「後から行くから!」
「・・・うん?」
つまりイサナの店に来て、そこでやけ食いをすると言う意味か。
イサナは食欲をなくすたちなので、やけ食いという衝動に駆られたことがない。しかし友人の申し出をこの状況で断れるはずもなく、荒い足取りで帰るニニの背を茫然と見送った。




