11.勧告
一ついいことがあると、一つ悪いことが起こる。
こどものころに、誰かが言っていたのを聞いたことがある。それなりに年齢を重ねた今、イサナはそれが嘘だと実感している。
一つ二ついいことがあると、そのあと連続で悪いことが起こるのだ。いいことに遭遇して浮上した気持ちを、あっさり突き落とすほどに。
イサナはため息をつきながら先ほど届いた郵便物の封を切った。
差出人の名前から察していたが、中身は思った通りのものだった。
退去勧告。
世話役はあれから何度か店に来て意味の分からない御託を並べていたのだが、とうとう正式な書類を送りつけて来た。
そもそも土地は国のもので、管理が各領地に委託され、さらに各町や村に委託され、さらに大きな街になると各地区に委託される。
世話役は借主を選ぶ権利があり、問題行動のある借主を追い出すこともできる。しかしそれは街の方針に沿っていなければならず、街の方針を決めるのは国から派遣されている代理官だ。
世話役は、イサナの悪い噂を信じて店を畳むように主張しているらしい。
今の状況ならば、代理官に訴えればあっさりイサナの主張が通るだろう。
世話役のこの文書は嫌がらせに過ぎない。
実家の商家で役所手続きを手伝っていた経験のあるイサナには、別段難しくもないことなので、今日の内に正式書類をそろえてやろうと決める。
そんなことよりも、頼んでいたはずの材料が届かず、とうとう今日になって切れたことのほうが問題だ。魔術譜の在庫はあまり減らないのだから問題はない。だが、いつも注文している商人が、無事に街に着いたのに「材料はない」といって取引に応じないことが気になる。
流れの人間まで、荒唐無稽なイサナ犯人説が広まったのか。はたまた街の人間が出入りする人々に圧力をかけているのか。
情報収集をしたいところだが、一番の情報源である友人らが、周囲の目を気にしてイサナに会おうとしない。イサナも友人の立場を悪くしたいと思わないので無理に会おうとは言わない。
唯一、ニニが訪ねて来た。
「これ、うちからね」
と言って、日持ちのする料理を何品か持って来てくれた。忙しくないので家事くらいできるが、料理は得意ではないのでありがたい。
その時ふと、頼まれた占いをしていないことを思いだした。
「そういえば、なんだかんだで結婚式の日取り占ってないね。今占おうか?」
「いや!いいです!あれはもういいの!」
「なんで?」
「・・・いや、ちょっと」
「ふうん?」
特に深く掘り下げる気もないので、追究をやめた。街の中が落ち着かないので、そういった話をする気になれないのもわかる。
「ま、ともかくさ。この状況が長続きするとも思えないし。ティーラもがんばれって言ってたよ」
「うん、ありがと。でもここに入るの見られて問題ない?」
「ないない。うちの主な常連は流れの人間だもん。安酒しか飲まない地元客なんて構やしないの」
大胆な発言に、イサナは苦笑した。確かに明日のことを考えない冒険者たちは金離れがいい。彼らは金がなければ、動物を狩って野営すればいいと思っている。
ニニが帰った後、イサナは地区の世話役から届いた退去勧告に反論する文書を作って、役所に提出した。中央に近い場所に店を構えているので便利だ。
イサナは自分の商売が扱いの難しいものだと最初から理解していた。そのため、何度か街の代理官宛に「こういうことをやっていいものだろうか」とお伺いを立てている。役所に勤める法の専門家にも細かく聞いて助言をもらっている。理由も書かず退去勧告だけ送ってくるような世話役に、正当性はないのだ。
この日も客が来なかったが、苦しいのは街のどんな店も同じである。買占め騒ぎが起こらないのは、行政がきちんと指導しているからだ。流通に依存するここでは、どこにだって備蓄があるというのも大きい。
(さぁてと、ご飯食べて読書して、お仕事しますかねっ、と)
魔術師スィーリから頼まれた譜の作成もあるが、今のうちに専用紙や変質しにくいインクを作っておくのもいい。
紙に薬品を染み込ませて乾かし、天秤を使った厳密なインクの調合終え、その後はスィーリからの依頼品をひたすら描いて積み上げた。
途中でふと、イサナの使う特殊なインクで描いたらどうなるだろうと思いついて考えてみた。
イサナのインクや紙は、膨大な魔術式をそれ自体に担わせ、描くことを省略している。術式が膨大に必要なのは、素人が使うからだ。
魔術師が使うならば大幅に省ける。
ついつい考えに夢中になり、時間が過ぎていった。
結局、どんなことがあろうとも魔術について思考を巡らせていられるならば、イサナは幸せだった。




