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譜術の書士  作者: みるく
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1.魔術師と魔術譜

 ペン先をインクに浸す。

 インクには細かく砕いた鉱物が入っていて、光の加減によって煌めく。

 イサナは迷うことなく、紙にペンを走らせた。

 魔術式と呼ばれる、文字と図形から成る独特の表記である。

 やがて、手のひらに収まる大きさの長方形の紙の上に、魔術式が完成する。単純に備忘録として描かれたわけではない。

 それは、魔術譜(まじゅつふ)であった。

 イサナはペンを置いて凝り固まった肩を何度か回した。

 集中が途切れた途端、あたりの喧騒が戻って来た。

 最も盛り上がる時間の、酒場である。客の七割が男性で、街の労働者の他に、行商人や冒険者と呼ばれる人種が各テーブルで騒いでいた。

「できたよ。簡易結界魔術」

 正面に座る客――冒険者の男はそれを楽しげに受け取った。

「すげ!ほんとにその場で作ってくれるんだな!」

 彼はイサナの作る魔術譜の噂を聞いてここへ来たらしい。

 魔術譜は一般に流通していないが、一部の職業の人間にとって非常に便利な代物だ。物を選べば、という条件が付くが。

「一つ注意してほしいんだけど、それはなんでもかんでも防いでくれるわけじゃない。一定の速さを持って近づくものと、魔法や魔術に従うものに反応して、攻撃となりうるものを無効化する。だからたとえば、」

 イサナは男の肩に手を伸ばす。

 彼がきょとんとしながらイサナの手を見ようと首を動かした瞬間に、

「こうしてほぼゼロの距離から危害を加えられると無意味だよ」

 イサナの手には果物ナイフが握られている。

 ただの脅しなのですぐにナイフはテーブルの端の果物かごへと戻すが、男はぎこちなくイサナを見た。

 これくらいやっておかなければ、何事も適当な男たちはうっかり死にかねない。死んでくれるならまだいいが、生きていれば後から文句を言われるのだ。

「それから、刺突に弱い。魔法や魔術も、全部防げるわけじゃない。効果は何事もなければ三時間ほど、強い衝撃を受けるとその分効果がなくなるのも早くなる」

「わ、わかった・・・」

「今日は納品予定のもんしかないから、ちょっとしか売ってあげられないけど、何日かここに滞在するなら注文してくれていいよ」

「あ、じゃあさ、攻撃系の術譜ってないの?それと簡易結界をもう何枚かと、ああそうだ、野営にいい結界譜があるって聞いたな。それも欲しい。いくつあっても困るもんじゃないから、あるだけほしいな。三日後くらいでどう?」

「野営にって、断絶の結界のことかな。できるだけ作るよ。でも、攻撃系は売れないんだ。うちの自警団との約束でね」

「ふうん?なんだ、ガッカリ」

「酔っ払いがウッカリ店を吹き飛ばしたとかなったら大ごとだし、私の評判も下がっちゃうから」

「そりゃそうだ。仕方ないね」

 イサナは男の名前と注文内容をノートに書き留めた。

 そのほかに入っている注文をざっと見て、優先順位をぼんやりと決める。

 冒険者の男と入れ替わるように、正面に新たな男が座った。

 常連の、行商人の一人だ。四十を超えたと思しき見た目で、ともすればイサナの取り分が大幅に少なくなる、油断できない商談相手。しかし気のいい男で、嫌いではなかった。

「よお、頑張ってるね、嬢ちゃん」

「肩こり腱鞘炎に視力低下。これに効く薬持って来てください、次回」

「ははっ、職業病か」

「まったく・・・嫌になる。治療魔術はほどほどにしか治んないし」

「魔術も万能じゃないんだな」

「万能っぽく見せることはできますけどね。はい、これ注文のものです。ご確認を」

 行商人の前に三つの紙の束を置く。周囲とのつながりを完全に断つ断絶結界、先ほどの冒険者にも売った簡易結界、それから煮炊きに適した温度を保つ熱魔術の魔術譜だ。

 傭兵や冒険者、行商人と言った人々は野宿も多いので、野生動物や野盗を寄せ付けない断絶結界や煮炊きに便利な熱魔術を好むのだ。さらに簡易結界は、戦闘職の人々がよく購入する。

「なあ、ついでにランプの譜は描いてもらえんか。一枚でいい」

「あ、ダメダメ。正規ルートで買ってください。あれは既得権益ですから、荒らすと怖い」

「そりゃわかってるよ。ただ、俺とあんたが喋らなけりゃどうってことない」

「やめてくださいよ」

 イサナが扱う魔術譜は、制作に知識と材料と労力が必要で、基本的にほとんど流通しないものだ。魔術師ならばその知識はあるが、口頭魔術――つまり呪文を唱える方がはるかに楽だからあまり作らない。作っても、自分にしか使えないような特殊な譜になる。

 イサナのように、素人も使える譜を専門に作る者はいないのだ。――少なくとも、イサナは自分以外に知らなかった。

 一方、通称「ランプの譜」は街の雑貨屋で買える。これは魔術譜の黎明期に作られ、その製法と利益は発明者の弟子たちに受け継がれていた。

 似たようなものは作れるが、それを売って市場を荒らした時に何が起こるか。――商家に生まれたイサナは想像するだけで寒気を覚えるのだ。

「なあ、結界を無効にするような譜ってのは描けるかい?」

「矛盾になることはしません」

 イサナは冷たく断った。

 結界系魔術の式を綻ばせることは、それへの対策がなされていなければ簡単にできる。

 結界破りを作れば売れるだろう。さらに対策までなされた上位の結界魔術の譜まで売れる。

 しかし、そういった泥沼になりそうな商売は嫌いだ。

「なに、別に大量に作れとは言ってない。顧客の一人が、一枚だけ欲しいと言ってるんだ。簡易結界なんぞじゃなく、なんでも建物一つ覆うようなもんをどうにかしたいらしい」

「ふうん・・・・・・それって、使う相手が何かにもよりますよ。資産家の家に強盗に押し入ろうとかいうんじゃないですよね?ああ、それと、構造(こうぞう)魔術には効果ありませんし」

「構造?いや、詳しいことは知らないんだが」

「じゃ、無理です」

 犯罪に使われ、共犯として連座させられてはたまらない。イサナはこの商売の危うさをちゃんと理解していた。

「いい金になるんだがな・・・」

「じゃあ内容を聞いてきてください。もしくは紹介料とって、ここを教えてあげてください。それで、受けるか受けないか決めますよ」

 妥協案を示す。

 金の話に弱いのは、ご愛嬌だ。

「わかった。じゃあとりあえず、いつものやつを、いつもの量だけ次回までに。それから今、浄化の譜を一枚頼めるか」

「一枚?ご家庭用ですか?」

「孫が生まれるんだ。うちの長男のところに。それで、まあ、お守りみたいなもんさ」

「わかりました」

 イサナは微笑んで了承した。

 新しい紙を取り出して、ペンを走らせる。

 浄化魔術は、治療術の一種とされている。体の中の血や気のめぐりを良くして整える効果があって、慢性的な病の改善に役立つ。ただし、劇的な効果はない。行商人の言う通り、「お守り」である。

 イサナも持っているが、重度の肩こりと腱鞘炎には効いていない。

 十分ほどで描き上げて渡す。

「これ、私からのお祝いってことで」

「いいのか?」

「その分、いい商売させてください」

 行商人は晴れやかに笑った。

「そうそう、商売じゃないんだがこれもあった」

 彼はごそごそと荷物を漁って、一枚の譜を取り出した。

 魔術譜だが、イサナの手ではない。

「以前、嬢ちゃんの譜を扱ってたら、魔術師が声かけてきてな。譜が欲しいわけじゃないが、それを描いた人間に興味があると言っていた。嬢ちゃんのことをちょっと話して、紹介してやろうかと言ったんだが断られた。代わりにこれを、渡してほしいと」

「ふうん・・・」

 イサナが良く売る譜よりも一回り大きい。

 紙は羊皮紙で、インクに術が組み込まれているのがわかる。非常に凝った譜だ。

「あれ・・・どうしよう、これ、すごい。一目で読み解けないなんて、すごい!」

「よくわからんが、嬢ちゃんが楽しそうで何よりだ。じゃあ、俺は行くよ」

「あ、はい。次回もお願いしますね!」

 見送る時間も惜しくて、すぐに譜に目を落とす。

 色から見て、インクに粉末にした鉱石を何種類か混ぜて、さらに術者の血も混ぜてある。この配合によって一つの式を作り出しているのだ。

 さらに紙。羊皮紙だが、うっすらと全体に何かが塗られている。魔性の薬の類だろうが、わからない。

「嬢ちゃん、お取込み中のところいいかな?」

「えっ、あ、はい!」

 イサナは慌てて例の譜をしまった。

 次の客は、やはり常連の傭兵だ。

「いつものですね?」

「おう。あと、新しい客連れて来てやったぞ」

「あら、素敵。どういったものがご入り用ですか?」

 気分を切り替え、客に向き合う。





 夜も更けて客も帰った頃、イサナは食事をとった。

 仕事場としてこの酒場の端を間借りしているのだが、イサナがいると客の入りがいいからと言って店主がタダで賄い食を出してくれる。

 ウェイトレスのニニも隣に来て食べ始めた。

「あー、今日もよく働いたっ!」

 看板娘のニニは、愛想が良くて顔立ちもかわいらしい。同じ街で働くパン屋の恋人がいて、人生謳歌中である。同い年ながら、イサナには浮ついた話が一切ないから何が違いだろうと時々考えてしまう。

(顔か。胸か)

 結論ははなから出ているのだが。

「イサナは今日も稼いでたねぇ」

「そうでもないよ。材料費でけっこう持ってかれるからね」

「ふうん。――でもいいよね、魔術師って。あこがれるなぁ」

「私、魔術師じゃないよ」

「まぁた言ってる。その譜ってやつは、魔術の才能がなきゃ描けないんでしょ?

じゃあそれを使いこなして金稼いでるあんたは魔術師よ」

「うーん・・・」

 魔術師うんぬんはさておき、大儲けしていると思われるのは問題だ。

 非力な娘が金を持っていると知られれば、強盗に遭いかねない。だから周囲にはぎりぎり食べていけている程度だと思わせておきたいのだが、配膳をしながら店の様子にくまなく気を配るニニには見えているらしい。

「金貨積み上げて、何が稼いでない、だ」

 ぼそっと低い声で言いながら、隣のテーブルに青年が座る。厨房で働いている見習い料理人ティーラだ。歳はイサナらよりも一つ上。無口で不愛想で、店主は時折「ニニと足して二で割ればいい」と言う。

 イサナは彼に好かれていないらしく、いつだってこういう態度をとられていた。

「だから、材料費で持ってかれるんだよ」

 一応そう言っておかなければ、どこで変な噂を流されるかわからない。

「そういえばさ、材料費っていうけど、なにが違うの?普通の紙とインクに見えるけど」

 ニニが炒め物を口に運びながら言う。

「描くものによっても違うけど、インクには色々入ってるかな。一般的に、宝石として売られるようなものとか」

「え!」

「紙も何種類かあって、使い分けてる。よく扱ってる浄化の譜なんて、特定の土地の湧き水を使うの。紙を浸して、乾かして、を二回。紙を作りに行くだけで一週間がふっとんじゃう」

「あ、時々いなくなるのってそれ?」

「他にも、仕入で空けることあるけどね、そんな感じ」

「なぁるほどねー」

 食事を終えて、片づけて、ざっと掃除まで終えて一日が終わる。

 イサナはこの店の上の階に住まわせてもらっている。開店準備と閉店後の清掃を手伝うのを条件に、格安である。暗い夜道を一人帰る必要がないのは非常にありがたい。

 同じく店舗の上に住まうニニと部屋の前で別れを告げて、自室に戻って来た。

『明かりよ』

 言葉に力を乗せて呟けば、ふわりと明かりがともる。――壁にかけられた「ランプの譜」が光源である。

 雑貨屋で売られているものではなく、イサナが自分用に作ったものだ。市販品が、辺りが暗くなると自動点灯するのに対し、イサナのオリジナルは魔力を乗せた特定の言葉を起動の鍵としている。

 ベッドと、広い机。綺麗に整頓された道具と材料。部屋は非常にシンプルだ。

 今日の疲れを吐き出しながら、イサナは机に向かった。夜の静けさの方が譜を描くのに適しているので、これからもう一仕事なのだ。

「おっと・・・その前に」

 イサナは懐から財布を取り出した。

 財布の中身をすべて出し、貨幣ごとに重ねて並べる。

 金貨一枚、小金貨が三枚。銀貨が十二枚、小銀貨が五枚、銅貨五枚だ。さらにこの下に小銅貨というコインがあるが、イサナの商売では切り捨てられる単位だ。

 金貨一枚あれば、平均的な家庭は一か月をどうにか暮らせる額である。場末の酒場でのやり取りには大きすぎる額だと、イサナも理解している。

 不可視の術をかけていた金庫を開けて、貨幣すべてを放り込む。これには不可視の他、手の込んだ反撃型の断絶結界もあって、泥棒対策は充分だ。

 イサナは貯まって来た金に、にんまりと笑う。

 もうすぐで自前の店舗が持てるほどの金額に到達する。

 家を飛び出した時、こんなに順調に行くなんて思っていなかった。親は商売をしていたから、そういった生業がいかに景気のあおりを食らいやすく難しいかを目の当たりにしてきた。そのうえに、イサナの魔術の才能は乏しかった。魔術譜を売るというのは、消去法で残った手段だった。

 ところがどうだ。

 たった一年半で、こんなに稼げたのだ。

 もっと早くに家を出ればよかったと何度も後悔したが、今が順調だからと納得しようと思っている。

「さて、お仕事しましょうか」

 金のこと、嫌なことは頭から追い払って紙を広げ、ペンを持つ。





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