1-8
ヘルマンの食堂を後にしたクラウディアとベル。
「いやーやっぱりヘルマンおじさんの紅茶は美味しかったね。思った通りだったよ」
「まったくだね」
同意するベル。ベルからすれば巡りあわせてくれたクラウディアへの感謝は尽きない。
しかしあまりおだてると調子に乗るのが目に見えていたので礼の一言で済ませている。
もちろん、これから機会がある度にその借りは返そうとは思うがそれはまた別の話である。
「そういえばベルちゃんって思ったより食いしん坊さんなのかな」
「何をいう、私は味にうるさいのであって胃を満たすことを至福の喜びとしているような食いしん坊とは別の存在だよ」
「ほんとかなあ」
クラウディアは怪しいと言わんばかりに言う。
とはいえクラウディアはベルの喜ぶ姿、笑顔を愛でたいのだ。糾弾が目的ではないため深く問い詰めたりはしなかった。
「ま、それはともかくとして。これから診療所に向かうわけだけど……」
何かいいたそうにするクラウディアにベルは言う。
「言いたいことがあるならはっきり言ってもいいよ」
「うん、診療所の人もヘルマンおじさんほどいいひととは言えないかもしれないから一応気をつけてね」
ベルもあまり意味はわからなかったが会うまではどうしようもないだろう。と考えた
ずしずしと積雪のなか歩みを進めていると丘の向こうに大きな白い建物が見えた。
「あれが診療所? 大きいね」
「そうね、魔法だけでどうにかできない場合なんかにはやっぱり医学に頼ることになるからね。薬品や道具はもちろん、入院のためのベッドなんかもあるよ」
使い手の少なさ、即効性や精度の低さから魔法と医学は共存の道を歩むことになった。といったところだろうか。
どちらもベルの世界の基準からすれば半端な技術であるため、両方で今を支えると考えればそれほどおかしいことではないだろう。それはこの世界にとって正しい選択なのかもしれない。
診療所に入ってすぐの受付らしいところでクラウディが一言二言やりとりしている。
白を基調としたその診療所はヘルマンの店とはまた別の清潔さを感じる。それは清潔というよりは過剰な潔癖さを感じさせた。
当然、感染症やウィルス性の病は不衛生な環境から生まれるのだ。そのことから考えればその居心地の悪ささえ感じさせるその潔癖な雰囲気は必要なものなのかもしれない。
廊下を渡り、いくつかの部屋の前を通りがかりに流し見る。
それぞれの部屋にも小奇麗な雰囲気が漂っているが、受付で感じたほどではなく僅かに生活感を残していた。
階段を上り、迎え入れられたのは事務室のような部屋だった。奥の窓際には白衣を着た短髪の男が遠くを見ていた。
「ホルスト先生、こんにちわ。すっごい再生魔法の使い手を連れてきたから見てほしいの」
先生と呼ばれたその男はこちらに向き直ると厳かな印象をあたえる低めの声で応える。
「魔法使いだと。この時期にということは明日のには参加するということか」
「まあ、そうね。でもそんなにこき使わせないし、明日以降でここに勤めさせてあげたいんだけど」
「そうか。ただでさえうちでは手が足りてないのだ。明日の戦い以降は忙しくなるだろうし拒む理由はないな」
そう言ってホルストは白髪まじりの髪をなでつける。
明日を憂いてやや伏し目がちな二人に口をはさむベル。
「それで、私がここに勤めることになった場合何をすればいいのさ」
「それはまず君の魔法を見てからだ。魔法の性質は家系ごとに違うのでな」
落ち着いて言う先生にベルはクラウディアの言っていた『いいひととは言えない』の意味をはかりかねていた。
「一応確認しておくが本当にこの娘は魔法が使えるんだろうな?」
そう言いながらホルストは机の引き出しを開けて長方形の箱を取り出す。
「お父さんが言ってたけど、変なことしないでよ……」
言い終わる前にホルストは箱から取り出した物でベルに向けて凶刃を振るう。
表情も変えずに行われた凶行にクラウディアは声にならないようで口を抑えて驚きの表情である。
ベルは自分の身に起きた事態の把握に努める。胸から下腹部へかけて赤い筋ができていることに気づく。私は斬りつけられたのだ。そうした認識を得たベルはピリピリとした痒みに似た痛みを感じる。
その後傷口からあふれだす血。それによって自らの身体だと思えなくなる。自分の体を客観的に見つめる自分に気づく。
傷を負っているのは果たして自分なのだろうか。
自分はいまどこにいるのだろうか。
認識のブレが起こり、混乱の濁流に流される。
「何をしているんだ。早く魔法を使うんだ」
先生は呆れたように言う。
「自分でやったことわかってんの!? 早く治しなさいよ!」
クラウディアが吠える。
目の前で大切なベルを傷つけられたのだ。突然の逆上は必然である。
「だから魔法が使えるんだろうと言ってるだろ。本人の全力の再生魔法が見たいんだ早くしてくれ」
クラウディアの言葉を振り払うように先生は言う。
魔法が見たいというホルストに対して手段を選ばないそのやり方に対してベルは強い憤りを感じていた。
クラウディアは後悔していた。こんなことになるんだったらもっと慎重に会わせるべきだったと。いや、会わせる事そのものが間違いだったのかもしれない。
ホルストは自分の再生魔法には自信がある。
傷の程度から言って仮に魔法が無くとも大したことではないはずである。
さすがにこのまま放置していれば失血が気にはなるが、それもまだ応急処置で間に合う範囲だ。
クラウディアの母、デリアはここで医学を担当しているアルマと知り合いである。その伝手でベルに診療所を紹介したのだ。
診療所では医学と再生魔法の両立によってその運営を支えている。それは質としても量としてもこの街のけが人や病人を治していくのにギリギリの運営であった。
魔法の即効性から、急患のため当番の医師に叩き起こされる魔法医師。
外科的な手術によって摘出された悪性腫瘍を何も知らずに魔法で再生させては「連絡が遅いからだ」と逆ギレする魔法医師。
さらに身分の違いまであった。
医学を学べるのは一定以上の富裕層である。
一方で再生魔法の使い手は突然変異的に生まれるのだが、親に捨てられた者や無名の貧困家系に生まれた者ばかりが偶然にもそこに集まっていた。
必死に学んできて医師として勤めている者と、生まれながら再生魔法が使えるがいくところがなくてそこにいるしかない者。
その軋轢は想像を絶していた。
そんなこともあって魔法医師と医師は同じ治療という目的を持ちながら互いに憎しみ合う仲になってしまった。
しかしそれでも両者を隔絶しきってしまわないだけの理由、相互補完の関係があった。
魔法は基本的に目に見えるところしか治せない。体の機能としてみなされてしまう悪性腫瘍の増殖や血圧上昇などの副作用もある。
かたや医学には副作用を抑えた治療ができる。即効性は低いが、その患者や症状に合わせた細やかなケアができる。
そんな複雑な環境で魔法医師の頭をつとめるホルストにとって、ここでの魔法による治療は生半可な覚悟では勤まらないものである。
人手が足りないことも確かに事実ではある。
しかしそれで粗悪な人材を勝手に増やしたとあっては医師側に責められる材料を与えてしまう。
あるいは、自らの危機に動揺して魔法が使えないようではミスを犯す危険がある。魔法でのミスは命に直結する。それは破壊魔法よりも明確な死を与える魔法である。
そういった考えのもとホルストは魔法医師として勤めたいと言う若者に自らを治すこの試練を課す。クラウディアのいう『いいひとではない』とはこの事実が噂として街に流れているからである。
息絶え絶えだが、なんとか正気を保っているベル。
元の世界で苦痛のほとんどない生活を送ってきていたベルはこの世界の人間よりも痛みに弱い。
ましてや血などほとんど見る機会はないベルにとってそれは他人ごとであると信じ込みたくなる事実であった。
混乱に拍車をかけるのは自らの身体である。長年連れ添った男の体は今はなく、代わりにあるのは少女の華奢な体だ。
誰が痛がって誰が傷を負っているのか誰を治療すれば良いのか。
「どう……すればいい……の……?」
苦し紛れに出る言葉は虚を空回りする。
「すごい再生魔法の使い手、ね」
汗を流し、目を白黒させる少女にホルストはため息をついてベルを治療する。
慣れたもので、傷ついた箇所だけを丁寧に縫合するように治していく。
「その様子では明日も出てこないでほしいのだが。まあ、現場の人たちもそうは言ってもいられないのだろうな」
「あんた、自分が何をしたかわかってるの? 人を殺しかけたのよ。本当にこんなことをする人とは思わなかったわ。帰りましょうベルちゃん」
そう言って服と共に傷の再生されたベルの手をとる。
「あれで死ぬわけがないだろう。見てわからないのか」
ホルストは落胆の声と共に言う。
「それじゃあ」
そう短く言ってベルと部屋を出るクラウディアであった。
「こんなところで働かせられない。お母さんと相談しなきゃ」
そう苛立ちをこめて言う。
「あの先生はどうしようもないけど、おばあちゃんの様子を見てくるように言われてるからもうちょっとつきあってね」
ベルに向けての言葉である。
当のベルは少し落ち着きを取り戻したようだが浮かない顔をしている。
「病室についたら休んでいいからね」
クラウディアは会わせてはいけない相手に会わせてしまった罪悪感から、せめてもと優しく接するように努める。
到着した病室には食事中のクラウディアの祖母、エマがいた。
ベルも今日になって何人も初対面の相手と会わされて慣れてきたところだった。
そのため「どうもベルです」と軽い挨拶ができるようになっていた。
挨拶を済ませてクラウディアが貧血気味だからとベルをそばの椅子に座らせてからエマにに向かう。
「おばあちゃんあれから体は良くなった?」
「そうね、もう家に帰ってもいいと思ってるんだけどお医者様がまだダメだって言うものだから」
表面的にはどこが悪いかわからないためベルにもそれはわからなかった。
顔色はベルよりも良いし、出る声もハキハキとしていて孫がいる年頃だとは思えなかった。
クラウディアとエマの二人は街に住む人達にはわかる軽い世間話をする。
ベルにはその内容は聞いていてもよくわからないがその二人の間柄は親密なものであることだけはわかった。
「それで、この診療所の人とはうまくやってるの?」
そうエマに問うクラウディアだが裏腹ではホルストとの事件について知るため、診療所内の人間関係を遠回しに探ろうというのである。
「みんな忙しそうにしているけれど暇な時には相手にしてくれる良い人ばっかりだよ。この前ご飯について注文をつけたときには少し揉めちゃったけれどそれ以外には特に無いよ」
「そっか。じゃあホルスト先生ってどんな人?」
知りたい情報にうまくたどり着けないと思ったクラウディアはやや直球気味に尋ねる。
「あなたたちそれが聞きたくて来たんじゃないでしょうね。街でなんと言われてるかしらないけれどホルスト先生は一番の名医だよ」
クラウディアは自らの祖母の言葉とは言え、にわかには信じられなかった。
選考方法は自由とはいえあれだけのことをしておいて名医だと。人を傷つける者が医にたずさわっているなど考えるだけでも怖気の走る事実なのにだ。
「おばあちゃんも先生にみてもらったことあるの?」
「ホルスト先生は私の担当の先生だよ。知らなかったのかい」
クラウディアはあんな非常識なやつに診てもらってるのと一瞬顔に出そうになるがなんとか堪える。
そしてエマは続ける。
「原因のわからない私の病気を診ることができるのは魔法と医学両方わかるホルスト先生だけでね。毎日ここに来ては具合を聞きに来るんだよ。今朝もここに来ててね」
そう言ってホルストの話をするエマ。一緒に笑い、時には辛さを共有した思い出話である。
ベルも意外な人柄に驚きを隠せなかった。
見るからに冷血漢のあの男がそこまでして人に手をかけるとは。
ホルストがおかしいのではなく、そのような行動を取らざるを得なくさせたこの環境が狂っているのかもしれない。
しかしそれはベルたちにとって知り得ないことである。