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クラウスの家についたベルは深呼吸していた。
対人経験の浅いベルにとって本来人と話すことの負担は大きいのだ。
これまではどうしても必要があり、常に命のかかったやり取りの中であったため何とかやってこれた。
これから家族というコミュニティーに自ら接触しようとしているのだからベルの感じるストレスは並大抵のことではない。状況に迫られるならまだしも自ら接触を求めるのとではその負担はまったく違うのである。
「なにやってんだベルちゃん。寒いし早く入るぞ」
「うう……はい」
クラウスの家は妻デリアとその間の子クラウディアの三人暮らしである。道すがらクラウスから家族との思い出としていくらか話は聞いたがベルの気重い感情は晴れない。
クラウスが扉を開けると暖かい空気がベルの頬や首をかすめる。
「デリーちょっと来てくれー」
クラウスが自らの妻を呼ぶ。ベルは初対面に胃がきりきりと痛むので治療魔法を使おうか迷っていた。
「なによ。帰ってくるなりうっさいわよ」
と言いながらエプロン姿のクラウスの妻ことデリアが奥から姿をあらわした。
ベルと同じ青い瞳にウェーブのかかった黒髪はその母親然とした姿にぴったりといったところだった。
「いやちょっとこいつを見てくれないか。俺の恩人なんだ」
「はあ。ってええ?どうしたのこの娘。あんたまた変なことに首を突っ込んだんじゃないでしょうね」
ベルを一瞥してじっとりとクラウスを睨むデリア。
「だから言ってんだろ。恩人だって、森で怪我したところを治療してもらったんだ」
クラウスは事情を説明する。
「ふーん。まあそういうことにしておきましょう。女の子をそんな格好で放っておくわけにはいかないし」
言ってベルに近づくデリア。
肩を貸してくれるのかと思ったベルだったが予想に反して足は地面から遠ざかる。背中と足の裏にデリアの腕で支えられる。
いわゆるお姫様抱っこをされたのだ。人との肉体的接触をほとんど経験していないベルにとって、このようにまな板の鯛のような姿勢と状況で運搬されることは顔が真っ赤になるほど恥ずかしかった。
「あ、いや歩けるんだけど」
「いいからいいから」
短い押し問答をするが聞き入れてもらえない。さすがに大人の力には逆らえずされるがままになる。完全に諦めの表情である。
拘束されたまま教団の男たちに運ばれるときには無かった人の暖かさや優しい揺れにほっとしてベルは眠りに落ちた。
この世界に来てはじめての清々しい目覚めのあとベッドから抜け出し、階下で一家団欒しているクラウスたちと合流する。
「おはようございます」
「よお、疲れはとれたかいベルちゃん。再生魔法じゃ心の疲れはとれねーからな」
服を着ているという謎の不快感を感じる。いつから自分は裸族になったのだろうかと考えながらベルは挨拶する。
「どうも。服まで用意して頂いてありがとうございます。デリアさん」
「用意したというほどでもないのよ。ディアの服だから」
なるほど、娘のクラウディアの服らしい。人の服を着るという初体験に少し気恥ずかしくなるベルだが特別嫌という程ではない。むしろ感謝のほうが強い。
「これがお父さんを助けたっていうベルちゃん?」
つかつかと近づいてくるのは件のクラウディアだろう。ベルと同じくらいの背丈で年齢もおそらく同じく十代前半、髪は黒。落ち着いた印象を与える鼻筋から口元にかけては父親ゆずりだろう、目もとはデリアと似て穏やかで優しげである。
「かーわいい! ねえキスしていい? いいよね!」
クラウディアは勢い良くベルに抱きついてきてちゅっちゅと首筋に接吻する。そのままベルの腰を抱いてすがるようにお腹に頬ずりするクラウディア。
「ひあっな、なに!?」
「こんな可愛くて魔法も使えるなんて最高! 今日は一緒に寝ましょう? こんな無口でもベッドの上ではキャンキャン言わせます! じゃなかった、一緒に宇宙の果てについて語らいましょう夜明けまで!」
一気にまくし立てられ頭が真っ白になるベル。もとの世界ではこんなインファイトなコミュニケーションは経験が無かったためあたふたとしてしまう。
引き気味のベルに対して暴走のとまらないクラウディアを見かねてクラウスが声をかける。
「こらディアやめろ。これから大人の話をするんだ部屋に戻ってろ」
「大人の話ってなになに? 聞きたいー……」
最後まで言い終わる前に母親のデリアに首根っこを押さえられ強制連行される。
やれ、やっと静かになったかとため息をつくベル。密着したクラウディアの体の感触を思い出しながら考える。クラウディアの胸は大きい。
戻ってきたデリアをむかえて真面目な雰囲気を取り繕う。
「さて、ベルちゃんこれからのことなんだけど」
「いや、その前にあの話をしておこう」
デリアがこれからのベルの処遇について話そうとするとクラウスが差し止める。
「明日城を落としにいくんだ。そのためにベルちゃんの治療魔法を使いたい。なにも前線に出ろとは言わない、後方支援としてけが人を治療してほしいんだ」
ベルからしてみれば武力戦争に介入しろと言われているようなものだった。
昨日、ここにくる道すがらに話した教団についての話を思い出す。
『教団はこの国で飼われているお抱えの研究機関みたいなもんだ。本人たちにその気はないみたいだけどな』
そもそもベルはこの世界に決着をつけに来ている。教団と決着をつけることはそのバックにいるキヨと決着をつけることになる。つまり自らの仕事を遂行できるかもしれないのだ。
城の防衛にも破壊魔法の重役である教団は出張ってくるだろう。そうなればキヨのいるあの街の地下室も警備は手薄になる。
ベルは後方支援だから直接前線とは関係がない。前線から運びだされてくるけが人の治療が専門になるだろう。
だとすれば初めの劣勢の間に尽力して、攻勢が安定した頃に隙をみて抜けだせば地下室まで潜り込めるかもしれない。
あるいはもし城を落とせればそれに参加したベルもまた一定の発言権を得られるだろう。どころか負けた国の機関はより弱い立場に立たされる。とすればベルにもキヨを没収する機会を得られるかもしれない。
「その話、乗ります」
ベルは覚悟を決めて言い放つ。もはや後戻りはできない。いまさらこの世界で安定した生活をえることに意味はない、目的達成のためベルは大きな一歩を踏み出す。
一方でそれを見ていたデリアは不安そうにしている。
「ちょっとクラなにを言ってるのよ。ディアと同じくらいの娘じゃない。そんな娘を死地に放り出すわけにはいかないわ」
一晩とは言え面倒をみたベルに娘に準じる感情移入をするデリアはそんなこと決して認めないと強く主張する。
「しかしだな、この娘にだって俺たち以上に決着をつけたがっていてもおかしくない。復讐の機会は与えないと我が恩人に失礼だと俺は思う」
ベルもそれに便乗する。
「そうですデリアさん私はなんとしてでも教団と対峙しなければならないのです。大丈夫です、クラウスもいるし守ってくれます。だって貴女の夫でしょう。信じてあげてください」
しばしの緊張と静寂が三人を包む。
「そうね、でも絶対に無茶をしないこと。必ず家に戻ることを約束して。ディアのためにも」
ディアと会って面食らったベルだがそれが悪いものではないことをわかっている。そのためデリアの言うディアのためというのも理解ができる。
だからベルはひとこと「はい」とだけ肯定の意を表した。
「それじゃあこの話はおしまい。明日のことはクラに任せましょう」
「あ、ああ。任せといてくれ。午後からみんなと打ち合わせがあるからそのときにベルちゃんを紹介しよう」
ゆっくりと首肯したデリアは次の話題に入る。
「明日以降の話をしないと。ベルちゃんだってずっとここにただで置いとけるほど家も楽じゃないんだから」
ベルにとって耳の痛い働き口の話になってしまった。
クラウディアと外で遊んできますと言って飛び出していこうかと一瞬考えるベル。だがここまで良くしてもらってそうはいかない。義理がわからないベルではなかった。
とりあえずデリアの知り合いの街の診療所で働けるように融通してもらうことになった。治療魔法の使える者は限られているためそう難しくはないのだそうだ。
ベルは明日を過ぎてもこの世界にいられるだろうか、事が終わればこの世界も消えてしまうのだから。という思いを胸にとどめて労働条件をデリアと詰めていくのだった。