5-2
チャーにもコーヒーを淹れようかと思った香だったがチャーはそれを止める。
「私はそんなものよりも決着を望みます」
「チャーさん、それで本当に決着がつくとは限らないのはわかっているな」
ベルの言い分ではこの世界では時間を独占することが決着の条件らしい。
であるならばチャーの提案を飲んでカードで勝負をつけたところで意味はないのである。
「つきますよ絶対に」
やたらと自信ありげに言うチャーをみて香も言う。
「まあまあ、ベルさん。ベルさんが言う通りならカードの勝敗は問題にならないのだからやってあげてもいいじゃないですか」
おそらくそうだ。香はベルから多くの決着に関する話を聞いた。
小さなところで勝っても大きな決着で勝てばそこまで不利にはならなかったはず。
「なのにチャーさんはそれでもカードで勝負をしたいんですか?」
香も気になっていた。
「言っているじゃないですか。それは私を加えた新しい決着なんですよ」
「だからチャーさんは当事者じゃないから参加できない」
ベルは苛立ちながら口を挟む。
「それならいいですよね。私にカードで負けてもらって、後は放ってください。そうすれば私は満足ですから」
チャーは勝利さえ手に入れればよいのだ。過程にはこだわらない。
そんな形だけのやり方で決着になるのか疑問の香だが、どちらかと言えばチャーが勝った方が香にとっては都合がいいので加勢する。
「そうですよ。負けてくださいベルさん」
「君まで……。いいだろう、新たな決着を。ただし手加減はしない。ただのカードだ、さっさと終わらせることにしよう」
考えてもみれば世界の命運がかかっているのだ。カードで決めてもよいのだろうか。
香は不安になるが既にチャーがルールを確認しながら、カードを配り始めていた。
香は裏返しに渡された5枚のカードを見る。
冷たい。
カードの端は肌の上を滑らせればたやすく裂いてしまうほどに鋭利に感じられる。
そして重い。ここで勝敗が決まる可能性があるのだ。気安くはなれなかった。
それに対してチャーとベルはどうだろうか。
ベルはチャーへ「早くしろ」とばかりに睨みつける。
チャーもベルに対して「早く受け取れ」とばかりに5枚のカードを振って渡す。
「では、手札を確認してください」
恐る恐る開いた香の手札。赤と黒の星のワンペアだった。
たしかこのゲームは絵柄が4つしかないからワンペアは役なしと同じ扱いだったはずだ。
いきなり窮地に立たされたのかもしれない。
香は冷や汗をかきながらどれを交換しようか迷っている。
その横でベルとチャーは迷いなく3枚のカードを交換する。
それが定石である。ワンペアを育てる形で3枚交換することでスリーカードを狙いつつ他の役も狙えるからだ。
もちろん2枚でも良いのだが、そこは色の組み合わせによって変わる。
「香さん待ちですね」
「待つとしよう。彼女もうろ覚えのルールでやっているんだ」
「香さんにはやさしくて私には冷たいんですね」
「チャーさんにも勝負にのってやるという形で示しているつもりなのだが」
「さて」
香は悩んでいた。
ルールに関しては単純だったはず。しかし香はその単純なルールさえも忘れてしまったのだ。
いや、忘れるどころではなかった。何も考えられないのだ。
回ってきた役割があまりに重いのだ。
目に見えない重圧が香を襲っていた。世界が奪われてしまえば文句を言える者もいないため批判されることはない。
それでも香は失敗するということを考えただけで身動ぎひとつできなくなるほどに追い詰められていたのだ。
知事として選ばれた香はその自信に満ち溢れた姿を買われて選ばれたようなものだ。
その自信は失敗などしないという確信によって生み出されたものだった。
演説にしても、手続きにしても相手の反応がわかっているからできた。
香の高い理解力は限りない自信という形で発揮されてきた。
しかし、今この決着機という未知の存在による対決が香を狂わせた。
飛躍した技術、未知のルールに香の既知は崩されていった。
その結果香は確信をもって一手打ち出すことができなくなっていたのだ。
「ベルさん、先ほど私が言ったルールに疑問はありませんでしたか」
そう言ってチャーは明文化されたルールを書いたメモを指さす。
「このゲーム自体、ひどく曖昧なルールのもとにあるから詳しくは覚えていないが」
当然のことのようにベルは言う。
人の話を聞かないのは昔から変わっていないのだ。
「私の、ルールなんですよ」
「チャーさんは私がカードしていた時にやたらと的外れな助言ばかりしていたな」
「そうです。あのルールでは偏りが生じるからです。手札交換による戦略性がなさすぎるんですよ」
「さて、私は手札交換などあっても無くても同じだと思うがな」
ひどく単純な絵柄合わせゲーム、それがベルの認識である。
「あのときのやり方で勝てると思わないことですね」
ベルの『手札交換などあっても無くても同じ』という言葉を香は聞き逃さなかった。
「5枚交換で。あとはすぐに開示しましょう」
もう考えてはいられない。香は世界の命運を天に任せる。
「そういうことだ」
ベルは潔い香の選択に満足げだ。
「ルールは改定したと明言したので無効は認められませんよ」
チャーはせっかく考えたルールを無視されて穏やかではない。しかしチャーは自分が勝てば良いのであまり頓着しないことにしたようだ。
「それでは……」
香は裏返しのまま内容を確認もせずに開示の姿勢に入る。
カードの端を強く握り、すぐにでもひっくり返すことができる。
静寂が場を包む。
ベルは駆け引きに意味は無いというような事を言っていた。
だがこの段階になるとさすがに真面目くさった顔をして自分の手札を眺める。
自信があるかどうかではない。開示できるかどうかだ。
だから香は自分の手札を見ない。
「開示!」
チャーの声が静まり返った部屋に轟く。
香はその声量に一瞬体を震わせるが思い切ってカードを開く。
そして再びわずかな間が生まれる。それぞれの役の確認作業だ。
先ほどの静寂とは違う。必死に場を見ようとする流動的な間である。
香の勝ちだった。
香はルールを正確には把握していないため厳密にはわからなかった。
しかし、チャーの表情を見ればわかった。それに、その役は同じ色と絵柄が揃っていたためにルールを知らなくても良い役だと直感的にわかった。
それを確認すると同時に不快な浮遊感を覚える。それは世界と切り離され、隔絶されていくようだった。
気づけば決着機を取り付けた応接間にいた。
時間の連続性を取り戻したように香りは左腕に腕輪をはめたところだった。
「も、もどった」
久しぶりの現実の空気感を味わっていた。
決着機の世界では意識に濁りを感じていたがそれもなくなっていた。
「その声にその顔は香さんですか」
正面に座る禿頭の男は言う。
「そうです。というより決着前に会ってるんだからわかるでしょう」
決着といっても2日ほどの時間である。行政に関わるものとして、たったそれだけの時間で香が顔を忘れられるとは思えなかったし思いたくなかった。
「決着世界で姿が変わらないとは珍しいですね」
ベルが言っていた通りである。
変わりがない。香は普遍性の性格を決着機に認められたらしい。
「私、チャーです。どうやら決着機が気まぐれを起こしたようですね」
「チャーさん……? だとしたらベルさんはどこへ行ったんですか」
眼前の人物が中身のかわったチャーだと言う。だとすればベルの人格はどこへ行ったというのだろうか。
もしやクローン技術だとか言って、ただの多重人格者なのではないかと香は思った。
「わかりません。死んだり存在を消されたりすることはないと思いますが……」
ベルによればかなりのベテランらしい。そのチャーが言う以上それは正しいのだろう。
「それになんでチャーさんがそこにいるんですか?」
「決着機が一番負担の小さい答えを導き出したというところでしょう。私はこれからも紛争に関係していたい。ベルさんは決着世界と。あなたは日常を取り戻したかったといったところでしょうか」
「勝手に望みを設定されたくないのですが、そうですね」
「西崎先生! お電話です」
扉を開けて入ってきたのは香の秘書だった。
受話器を受け取るとスピーカーから声がする。
聞き覚えがある。あの偉そうで傲慢な少女の声だ。
ベルは空白の世界に漂っていた。
目に映るのは黒とも白ともつかない曖昧なグレーだけ。それも均一ではなく、部分的に黒い部分と白い部分がまだらとなっている。
頭上から少女が降りてくる。
その顔に心当たりはない。女になったベルと同じくらいの見た目であるから十代前半といったところだろうか。
「後はあなたにお任せします」
ただそれだけ言って少女はグレーの海に沈んでいった。
その言葉の意味には心当たりがあった。
あらゆる世界がみえるのだ。新たな感覚器官を得たように、第六感があるかのようにそれがみえた。
その世界のひとつ。香とチャーがいるのを感じる。
挨拶ぐらいはしておこう。そう思ってベルは声を届ける。
「君の淹れたコーヒーはうまかったよ」




