3-11
「チャーさんはそっちから西の牢舎を周ってください。南の広場で集合しましょう」
広場に出るのはうまくタイミングが合わなければ針のむしろになってしまうほどベルたちにとって不利な場所である。もちろん身を隠せる障害物もない。
あるとすれば西の牢舎を経由するのは大きな遠回りであるから、タイミング合わせの指定だと考えることができた。
それでもベルの自信ありげな語調にチャーはそれに懸けることを決める。
チャーが返事もするかしないかのところでベルは路地裏に入っていってしまう。突然の別行動の指示にチャーは不安を感じるがそうも言っていられなくなった。
後ろから看守たちの声とともに銃弾が追ってくる。
そのほとんどは比較的大きな道を走り続けるチャーを追う。
それを見てチャーは気づく。自分は囮なのだと。
「後で会ったらお説教ですね!」
振り返り掃射しながら誰にともなく言う。
チャーは2階建ての建物に入る。老朽化しているのが外からでもわかった。しかし隠れるには寂れた建物はちょうどよかった。
ふたつあるうち片方の階段から上がり、もう片方の階段へ移り登る。その行き止まりへたどり着く。
なぜ行き止まりかと言えば施錠されているのだ。
硬質な靴が床面とこすれる音が聞こえ、敵は足元のすぐ下を歩いていることがわかる。
あまり大きな音はたてられない。しかしこれを開けなければ見つかるのも時間の問題だろう。
看守たちは複数いて、分かれ道で見失う度に分化していけるほどの人数で追ってきていた。それも当然のことで、看守たちは主に追うための部隊と解散、待ち構える部隊とで分かれていた。
そのためチャーがこの廃屋に入った段階ですでに看守がいなかったのは幸運と言ってよかった。
それは廃屋が穴だらけで外から簡単に人がいるかわかるからだ。少なくとも他の建物に比べて身を隠せる場所はなかった。したがって看守たちとしてはそこへ入ったのを見てから追っても捕まえられる自信があったから放置していたということだった。
チャーとしてはここへはカギが確実に開けられると踏んでいたから入ったつもりだった。
カギを開けて入った先には絶対に看守はいない。平常時ならばさぼっている看守がたむろしている可能性があるが今は緊急事態である。サイレンが辺り一帯に鳴り響いている、どんな間抜けであってもそれには気がつくだろう。
チャーには先に誰もいない部屋に入る必要があったのだ。
下から看守の一人が上がってくるのを感じる。多少の音はしかたないだろう。チャーは思い切って小さな金属がぶつかり合う音を鳴らしながら解錠作業を進める。
その音で気づかれたのだろう、看守は足を早めて上がってくる。
踊り場まで来たところをチャーは拳銃で迎撃する。
当然その銃声は小さくはない。廃屋全体を轟かせ、看守たちが集まってくる。解錠に使える時間はもうほとんど無い。
胃にしびれを感じながらチャーはカギを開ける。
吐きそうになりながらも部屋の中央にモノを置いて窓へ向かう。
窓下に小さなでっぱりがあってそれを足場にとなりの部屋へ向かう。
チャーは高いところはどちらかと言えば得意だった。現在3階の半歩つま先が宙に浮いているほどの落下の瀬戸際であるにも関わらずチャーは笑みが溢れる。
足元が定まらないとは真の混沌である。自由落下の快楽。それにチャーは身を任せたくなるがそれを寸前のところで押しとどめる。わざわざ用意したラジオが無駄になるからだ。
チャーが隣の部屋についた頃それは起こった。ラジオの大音量が鳴り響く。
囚人生活のほとんどをずっとこれを作ることだけに使ってきたのだ。ここで役に立ってくれなければこまる。
チャーは決着の主なやり方を伝達媒体による情報収集としていた。時代によってテレビだったりラジオだったりモールス信号だったりする。
外の情報が手に入らないこの状況ではそれは即席のラジオが手頃だとチャーは選択したのだ。部品は自由時間に囚人たちからくすねたり看守からもいくつか拝借した。
そもそもラジオとして音が入ったとしてそれはこの地域の言葉、つまりチャーには理解できないはずである。しかしチャーはラジオを作る事を選んだ。それは情報媒体から得られる情報とは言語伝達だけではないからだ。
たとえば音楽が頻繁に流れていればこの地域では紛争状態がずっと続いているわけではなく一応の平和が訪れていることがわかる。あるいは緊急速報のような雰囲気がでていればその緊張感からずっと一帯は紛争状態であることがわかる。その場合、脱出後になんらかの武装をして脱出しなければならないだろう。
チャーは隣の部屋に敵が集まったところで扉から出てすぐに階段を降りる。
2階にさしかかったところで下から登ってくる足音を聞いてすぐに部屋に身を隠す。
入った部屋は窓側が完全に崩壊しているため下の様子がよく見えた。
チャーは足が届くかわからないがそこからあたりに敵がいないか確認した後に飛び降り、広場を目指す。
一方ベルはチャーと分かれたあと大通りに出ないようにできるだけ小路を使って自分たちが閉じ込められていた東の牢舎を目指す。
チャーとベルの活躍によって3分の1ほどの看守が無力化された。それによって素手の囚人たちにも勝ち目が出てきたのだ。
しかし首輪で繋がれていては戦うことはできない。よってベルはそれらの開放へと向かう。
すでに追ってきていた少数の看守たちもまいたようだ。
影から牢舎を見てから看守の姿に注意しながら大通りを横断する。
牢舎には未だ多くの囚人たちが動けずにいた。
ベルは先頭にいた囚人の一人の首もとに触れるとそれを解錠する。
ここでの拘束の基本は両手が自由ならば簡単に外れる程度の拘束である。というのも首元という比較的高い位置にある拘束具を外すには目立つ。
そのうえ囚人どうし向かい合う姿勢になれないように首輪をつなぐ鎖の長さが調節されていたのだ。
だが手足、首も自由なベルがここに来さえすれば囚人を開放することは容易である。そしてそれを最悪の場合の善後策としてベルは考えていた。
囚人たちが移動していないのに違和感があった。
そう感じると同時に日差しの影の動きから得物を振りかぶるのが見えてそこを飛び退く。
すぐに振り返るとそこには女看守がいた。手にはいつも囚人を殴るために使っていた棒が握られている。
しかしこちらには飛び道具、そのうえ囚人たちを背にしているため撃ちだすことに躊躇する必要はなかった。
飛び退いた程度の距離では相手の方が早かった。女看守は棒を長めに持って勢いをつけてベルの左横腹を叩く。
ベルは出そうとしていた拳銃を取り落としてしまう。
まずい。背中の銃を撃てる状態にするには時間がかかるしこのまま押されてしまえば拳銃ごと奪われてしまう。
なすすべなく拳銃を檻の奥をめがけて蹴り転がす。逃げる途中で奪われないためである。そのまま牢舎の奥へ走る。
どうにかして銃を構えるための時間がほしい。しかし追われるベルの背中には女の警棒が肉薄している。
しかしこのまま逃げて時間を潰してしまってはチャーとの合流時間に間に合わない。
速やかにこの場を収めなければならないが追手は考える間さえあたえてくれない。
万事休すと思われたベルの予想は外れ、硬い物どうしがぶつかり合う音とともに女看守は倒れる。
そこには血のついた手枷をいまいましそうに外す囚人の姿があった。
あたりをよく見れば囚人のほとんどは拘束を解かれていた。
一体誰のしわざかと考えるベルだが答えはすぐに出た。
最初の囚人が順番に拘束を解いていたのである。そして解かれた囚人はさらに奥の囚人の拘束を解く。あとは加速的に開放の流れはでき、虐げられた者はその恨みを看守に返した。ただそれだけだった。
ベルはほっとしながら女看守を拘束して檻の中に転がす。
きっかけは与えた。言葉は通じないため、あとは囚人たち次第である。うまく制圧してくれることを願いながらチャーがいるはずの広場へと向かう。
チャーは廃屋で時間を使ってしまったものの移動は快調だった。
できればラジオで看守たちを集めておいて廃屋を爆破したかった。しかしここにはすぐに発破に使えるほどまとまった火薬はなかった。
控室もベルと共闘しているときに探したが無かった。ここには本当に暴徒鎮圧のための武器しかないのである。
それとラジオからの情報から鑑みるにこの周辺の地域事態は直接紛争状態にはなっていないようだ。おそらくにらみ合いの状態だろう。
ラジオを使っていても電波の入りがおかしいときがある。まるでふたつの放送局の間にあるようだった。
この収容所はふたつの国の境目にあるものだとチャーは考えた。
そうなると看守たちが援軍を呼んだところで駆けつけるまで時間がかかることが予想される。
この状況でやれるとすればこのまま収容所を制圧した後、籠城戦に持ち込むことだろう。
しかしそのためには人手が足りない。何かないかと考えるチャーだが囚人を使うことは言葉が通じないと最初から諦めている。
案がでないまま広場についてしまう。
中央にだどりつくぐらいでベルの声が聞こえる。
「チャーさん!」
重い銃は揺れ、重心が取りづらそうに駆け寄ってくる。
「終わりました。あとは囚人たちに任せておきましょう」
肩で息をしながらベルは成果を報告する。
「それでもこれからどうするんですか。こもったままで勝てるんですか」
チャーが後先を考えろとベルにせまる。
「何言ってるんですか。私たちの目的は状況をひっくり返すことなんですよ」
戦いの中でベルは理解しつつあった。どうすれば決着が着くのかが。
「看守たちにとっての仲間が黙っていないでしょう。すぐでなくてもしばらくしたら援軍が到着して制圧されるだけです」
「ここはずっとこうして看守と囚人たちが入れ替わり続けているんです。その実態はあくまで隔離された収容施設です。いわば全員囚人なんですよ」




