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未来はどこにある  作者: しぐ
モダンな世界で決着
20/43

2-6

 ベルの元に綺麗に磨き上げられたグラスに入った水が届けられる。

 ベルの皿に盛られたメインの肉もあと二口か三口といったところ。

 正志は特に考えずにいつもの調子で食べ進めていたため皿は空になっていた。食べごたえに満足したのか眠そうにしている。

 光子は自分のペースを守っているためベルより少し遅い程度である。


 ベルはグラスに入った水を明かりに透かしてみる。本当にこれは炭酸なのだろうか。

 グラスの底から沸き上がるような気泡はない。

 あるいはこれが店長のこだわりであまりに気泡がきめ細かいため見えなかったり気化しないだとか理由があるのかもしれない。


 一口含むベル。

 口の中の濃い味を流し去るように喉まで通り抜け、爽快感がする。やはり良い水なのだろう、冷たさが心地よい。


 次は水の味を感じられる二口目である。

 含みながら香りを鼻に通す。鼻に張り付くような独特のこもったような匂い。

 とっさに吹き出しそうになるベルだが、未だその水の正体に気づけないためしばらく我慢する。


 この味はなんなのか。毒でも入っているのかもしれないと思ったがそんなはずはない。

 経年劣化かだろうか。ならばこんな匂いではなく、もっとカビ臭い匂いになるはずである。

 香りづけのレモンなどが古くなっていたのでは。と考えを巡らせるが、答えは明白だった。

 塩素の匂い。つまりカルキ臭である。ついでに炭酸も感じられない。


 グラスを握る手を震わせながら怒りに耐える。

 当然ベルとしても、こっちは金を払っているんだなどとお客様気取りをするつもりはない。しかしこの出された水が意図されて出されたならば話は別である。


 ベルは大きく息をしながらテーブルにグラスを置く。

「ベルどうしたトイレか」

 正志が無配慮な言葉を吐くがベルの耳には届かない。

 軽く頷いて席を立つ。その足は店外へ向かう。

 光子は「そっちじゃないわよ」とその背中に声をかける。それも届かないと悟るなり先ほど注文した水に目を向ける。

 光子は炭酸の入っていないそのグラスを見て察する。


「私もちょっと」

 そういいながら席を立ち、厨房へ入ってしまう。

「ど、どういうことなんだ?」

 家族が方々に散ってしまい、一人取り残されてしまった正志はワインを片手に赤ら顔の中年と目が偶然合う。

「お宅も大変そうだね。一緒に飲むか」

 家族が帰ってくるまで中年男の愚痴に付き合わされることになる正志だが、続きの来ないフルコースを独り待つよりはマシだったのかもしれない。



 中林に聞こえるのは紙の音である。犯人がありもしない料理の秘密とやらを記した書を探しているようだ。


 そろそろ口を出してみようかと思い「あっ」とわざとらしく声を出す。

「忘れてた。昨日不安になってもう一方の軽い金庫に移したんだ。うっかりした」

 ひどい大根役者なのだが、息子に声をかけられ混乱状態の尾高には十分通じたようだ。

「はあ……。じゃあ早く言え」

 中林は勢いの落ちた犯人を感じて、ここで2回か3回ほど間違えてやろうと思っていた。


 しかし停滞に向かっているその雰囲気に女の甲高い声が新風を巻き起こす。

「言わなくていいですよ、早川さん」

 扉が直接揺れているとさえ思える大きな声がする。

「誰だ、そっちで勝手にしていろと言ったはずだ」

 中林の耳に犯人の声が聞こえる。女に対応しているようだが、中林にも早川という名前に覚えはなかった。


「店長の中林です。従業員のみんなには黙っていたんですがその人事務員の早川さんなんですよね。だから開放してもらえませんか?」

 女は言う。

 中林は身に覚えがないためハッタリには気づく。だが声の主には見当がつかない。

 女性従業員は何人かいるがここまで気のまわる者がいただろうか。もしいたとしても何故いままで黙っていたのに今になってそんな嘘をつくのかわからなかった。

 あるとすれば警察などの組織が動き出した可能性がある。だとすれば良い手を考えたものだと中林は感心する。強行手段に出て中林自身が殺されてはどうしようもないからだ。


 その一方で尾高は混乱に拍車をかけていたのか焦って中林のアイマスクを取って顔を確認するが互いに確信できなかった。

 それほど尾高と中林の接点は少なかったのである。

 しかしその少ない情報の中でも決定的に否と言えるものがあった。


「馬鹿言え、店長は男だったはずだ。挨拶まわりも男だったし広告だって男だったじゃないか」

「いえ、私人前は苦手なので営業活動は早川さんに任せてたんです。広告も前面に出てるからといってこの人が店長だなんて一言も書いてないです」

 広告も手元にあるわけではないため真偽は正確にははかれない。


 しかし尾高には本人確認の手段があった。

「そうかもしれないが、こっちには契約書が一式あるんだ。契約書はさすがに本人じゃないとできないよなあ。これと照らし合わせればあんたの正体もわかるだろうさ」

「ではどうぞ。質問でもなんでも答えましょう」

 おいおい、俺のことそんなに知っているのか。知っていたらいたで怖いのだが中林は不安になる。


「あんたの年齢はいくつだ」

 取り合うのかと驚くと同時に事件の現場で行われるクイズゲームに中林は辟易する。

「女に年齢を聞くなんて無配慮ですね」

 女は不機嫌そうに言う。

「いいから答えろ」

「25歳です」

 女がそう答えると、中林は冷水を浴びせられたような焦りを感じる。答えられるから持ちかけたのではないのか。


「もっとまともな嘘をついたらどうだ。10歳もサバをよんでいることになるぞ」

 尾高は呆れて言う。声から言っても20代は無いだろうと。

「わかってます。それでも25歳です。だから女に年齢を聞くことは無配慮だと言っているのです」

「どういうことだ」

「サバをよむとは実際の数と合わないことを言いますね」

 生徒にものを教える教師のように女は言う。

「あんたの歳は25かもしれないが中林は35だ」

 物分かりの悪い生徒を演じさせられている感がして、あえて皮肉めいたことを言う。


 女は25かも知れないと言われて少し気分を良くするが、無視して続けた。

「それは大概、得をするから言うんですね。いわばハッタリと同じです。その場しのぎです」

「なるほど、あんたはこっちにいる早川という男の命よりも自分を若く見せる方が得だと思ったわけだ」

 得もしていないし、しのげてもいないと尾高は言う。そして中林もそう思う。


「そこです」

 一息ついて続ける。

「それを無配慮だと言っているのです。女にとって真実の年齢とは人の命よりも重い」

 中林は更に焦る。

 この女は本当に人を助けるつもりがあるのだろうか。無いなら最初から何もしないでほしい。状況を悪化させているだけではないか。

「重いなら結構なことじゃないか」

「いえ、そうではありません。あなたがやっているのは私に刃物を突きつけて人を殺せと言っているようなものなのです」

「責任転嫁だな。後に言われるだろうさ。あんたが犯人を刺激したから男は死んだ、と」

 既に自分が死んだ後の話をされていることに中林は諦観を覚える。


「そうですね。ですがそれはあなたも同じです。あなたも事情があってそうしているのでしょう。でもそれは誰も知ってくれない。凶行な手段に出てしまったばっかりに」

「別の手段があったらよかったな」

「犯罪なんて禁じ手を打てる人に限界なんてあるんですか? あなたにとって犯罪を犯す抵抗感は他の手段を選ぶよりも少なかったかもしれない」

 女の言葉に「説教かよ」と尾高が毒づくも女は意に介しない様子で続ける。

「他の手段は犯罪よりも苦しくて難しかったのかもしれない。けれど今あなたにそうさせている力はなんですか? あなたの抵抗感を奪っているのはなんですか」

 罪悪感もあるだろうし勇気も必要だったろう。それを越えさせたものの正体は何かと問いかける。


「この男、もうどちらだかわからないがすべて中林が原因なんだよ。因果応報なんだよ」

 中林の正体は煙にまかれてしまった。尾高が恨む中林と名付けられた人格に自分の凶行を因果付ける。

「ならあなたをそうさせているのも因果です。しかしあなたは因果応報を打ち切りたくてそうしてるのではないですか?」

「なんだ? 矛盾していると言いたいのか。それとも新しい原因を生むと言いたいのか」

 尾高はあまりに上からものを言うものだから女に批判されていると思ったのだろう。


「いえ、あなたの言い分は正しい」

「そうだろう。じゃあ勝手にさせてもらおう」

 ああ、この女さえ出てこなければ俺の寿命はもっと長かっただろう。中林は死を覚悟する。

「私が言いたいのは犯罪よりも良い手段があるということです」

 そう言うと女は犬の血がどうしただとか人間の腕をこうするだとかオカルトじみたことを臨場感たっぷりに述べる。

 中林は耳を塞ぎたくなったが腕は縛られたままである。こんな子供だましが通じるのだろうか不安になる。


「あんた……それ、もしかして」

 それこそ尾高の求めていたいくら考えても出なかった答え。あまりに煮詰まっていた尾高の料理理論は新たな視点の導入によって打開される。

 女は尾高の求める答えを正確に言い当てたのである。日頃、人の嫌がる事を言って楽しんでいるその女にとってその逆は簡単であった。


 レストランに押し入り、金銭目当てでもなく店長を脅す強盗犯。普通ではない事情があることは明白である。

 そこまでわかれば後はなんとなく救われるような怪しい方法を提示してやれば良いのだと、女はわかっていた。


「そうです」

 女は含みを込めて言う。扉越しで見えていないのにも関わらず大仰に頷いている。

「やはりあんたが中林だったのか。なのに俺はもう取り返しのつかない所まで来てしまった」

「あなたは先程まで事務員の早川さんを私とを間違えるという取り返しのつかない事をしてしまいました。また、私のことを35歳だと言ってしまいました。しかし今はどうでしょう。取り返し、ついてるじゃないですか」

 何をもって取り返しと言っているかはわからないが、尾高には何故か目の前が開けているように思えた。


「これから1分間厨房を空にします。その間にどうぞ駆け抜けてください」

 女はそう言うと「それでは」と言って扉から離れたようだ。


 尾高は音を立てないようにそっと扉を開ける。当たりには本当に誰も居なかった。

 そう思うやいなや尾高は女の言うとおり駆け出す。歩いていてはどこかで捕まってしまうと考えたからだ。

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