1-2
文明の進んだ社会の問題は、常に資源問題である。ベルの住んでいる世界でも同じで、ある資源が不足していた。
単純作業が自動化された世界では、人を相手とした仕事しかなくなった。
その結果、利害関係が広がり紛争の絶えない社会となってしまった。解決に多大な人員を投入せざるを得なくなった。
つまり人的資源が不足していたのである。
人的資源に困窮したベルの世界の人々は、その紛争解決のため絶対的中立の立場の万能決着機を創造するにいたった。
万能決着機の完成には、ベルの親が寄与していた。名前はチャーと言う。
あらゆる紛争を解決する装置であるため、膨大なデータが必要だった。
当時からカラスの縄張り争いから隣の家の夫婦喧嘩にまで首をつっこんでいたチャーにとって、データ収集の仕事を任されることは必然であった。
「はい? 『厄介事頼まれて災難だったな』ですって? 何を言っているんですか。これが一番楽しいんですよ」
かつての同僚にチャーはそう語っていた。
動物局に行っては、哺乳類、魚類、鳥類動物どうしの垣根を超えての縄張り争いにデータ収集と言って介入して調停を行った。
「ちょっと君たちやめなさーい。ここから向こうはトカゲさんのエリアでしょう。え? 昨日まではヘビさんのエリアだったと。その証拠にあの木が……。記憶にないです。念のため資料とってくるので。ってトカゲさんどこいくんですか。ちょっと待ちなさい」
チャーにとってその内容が困難であるほど両手を挙げて喜んだ。
「昨日の毒ヘビさんが毒カエルさんを食べてしまった件について、どちらの過失だったか遺族から審判請求が出ているからちょっと行ってきます」
人同士の紛争解決のためのデータ収集なのに何故動物の紛争にまで介入するのか。同じ仕事を任された同僚からは変人扱いを受けるのももはや誇らしくさえ思えた。
チャーも別に人間以外の動物が好きでやっていたわけではない。ただ、人間同士のやりとりに比べて下手な倫理観や道徳心にとらわれない実質的な紛争に介入したかったのだ。
査定結果としてチャーのもたらしたデータは高く評価された。紛争内容も争う主体も関係なく、紛争における情報伝達こそが決着機に必要なデータだったからだ。
チャーと同じく調査員として仕事を任された者たちは、紛争に関する情報を集めてくるようにとだけ言われていた。チャーの高評価は彼らに「そんなのありかよ」と言わしめた。
様々な伝達方法での、紛争に介入してきたチャーは決着機が完成して、それを使った決着屋の仕事に置いても優秀な成績を修めた。
「仕事だからやったのではありません。これが私の天命だったのです」
そう胸を張って上司に言う。周りの同僚たちも、その仕事への真摯な態度に能力を認めざるを得なかった。
ベルの親と言っても一人しかいない。自分は揉め事に介入するのに、その真の当事者になるのは嫌だった。
そんな個人主義を貫くチャーも年老いて決着屋の最前線から退かざるを得なくなった。 文明も技術も進んだこの社会にも限界はあり、人体を永遠に保つことは不可能であるという結論がでた。したがって、ベルの親も遺志を残すため子をもうける必要が出てきたのだ。
パートナーを探すにも遅すぎた。さらに、共感、共有、交流を尊ぶ当時の主流の思想概念から言って、チャーの決着業は異質に映った。
やむなく、チャーはクローン技術を使った自分一人の子をつくることにした。
しかしベルの親は愛情を注ぐこともなく、あくまでその目的のための支援を約束した契約関係と割り切ることにした。
そうしてできた子のベルであるから、この社会では馴染めなかった。というのもベルの親は決着屋として天職を見つけたが、ベルにとってはその決着屋でさえもいまいちピンとこなかったのである。
「何が決着屋だよ。人の揉め事なんか勝手にさせてればいいのに」と諮問を親に送るベルだが未だに回答はなされない。答えるつもりはないのだろう。
社会の主流は、コミュニティー形成を推してくるが、ベルとしてはどうにも受け付けなかった。自分の中では、共感も共有も高度にできているからというのがベルの持論だった。
自分の中には他者はいないのだぞ、と言われようとどこ吹く風である。親ゆずりの徹底的な個人主義がベルの中で、形成されていたのであった。
「何もしなくても生きていけるのに何を焦って仕事みたいなことしてるのさ。ばっかみたい」
そんなベルにとって日々の楽しみは栄養の経口摂取だけである。
栄養は注入式が主流となったベルの世界で経口摂取というのは珍しく、無駄な手間や消化器官の手入れが必要とあって時代錯誤とされたいた。
「なにこのケーキ! 濃厚なクリームに爽やかなイチゴの相性! 明日もこれにしよう」
皆はこの良さがわからないのかと、ベルはこのままぬるま湯に浸かるようにずっとこうしていたかった。もはや働くなどとは考えられなかった。
そんなぬるま湯に冷水を投入したのがベルの親、チャーである。
自分の意思を継いでほしいという目的がある以上、ベルにそれを一定程度まで要求するのも仕方がないことだろう。
チャーは自分で他に仕事を見つけないなら、自分の管轄内の仕事を振り分けると言う。
あれもだめ、これもだめとベルが長期間駄々をこねている間に、チャーが勝手に登録を済ませていることに気づいた時には遅かった。
通知を見たベルは三日ほど寝込んだほどであった。せめて、経口摂取の有機食料関係の仕事が良かったと泣き言を並べるが、効果はなかった。
しかし、三日寝込んだ結果ベルは自分にとってこれがましな選択であると結論した。というのも他の仕事に比べて紛争自体に忌避感のある者も多く、決着屋業界としても親密といえるコミュニティーは形成されていない。
他人にあれこれ言われずに仕事に集中できると言う点で、他の仕事に比べて優良と思えた。
仕事は自動に割り振られ、依頼人と相手方との軽い挨拶の後、決着機に向かう。たったそれだけのコンタクトでさえ、ベルにとっては不安材料だった。
しかしこれより接触の少ない仕事は無いため我慢するしかない。
ひとまずは準備くらいはしておかねば不義理も過ぎるだろうと、ネイビーのスーツを注文することにした。
チャーからは新しすぎると依頼人に不安を与えてしまうからと、着慣らしておくように言われていたがそれも忘れて注文しっぱなしにしていた。
今や不浄の象徴とされている体毛を全てそぎ落とし、あたかも準備は万端であると見せかけることにしたのだった。
一応表面上は仕事の準備をしたベルだったが、その内面はまったくなっていなかった。こうしていつでも仕事をできるようにすればやる気になるという、心の作用を期待していたベル。
実際にそれが起こらなかったのだからもう手は無いと、恐怖に打ち震えるだけであった。
その日ベルは仕事の自動割り振りによって所定に着く。
夜も眠れなかった、頭痛に顔を顰める。さらには動悸、息切れに末端のしびれがベルをさいなむ。
少しでも落ち着こうと趣味の経口摂取さえも胃を刺激して吐き気に変わる。
ここまで辛い思いをしてまで、仕事をしなければならないならいっそ全てをかなぐり捨て、野垂れ死んだ方がましではないかと目を回していた。
「あの、大丈夫ですか? どうしても都合が悪ければ後日でも……」
そう優しくも更に都合の悪い提案をする、赤いスーツの女性をベルは一瞥して目を閉じながら言う。
「いえ、今日じゃなきゃだめなんです。ただでさえ後がないのに、ここで逃げたと知れたらどうなるか」
結果はどうあれ、仕事を遂行しないと帰れたものではない。今度こそ親との契約も打ち切られ、本当に野垂れ死ぬことになる。
なんとしてでも、と充血した目を無理やりにこじ開けて集まった面々を確認する。
ベルの隣に座る年配の男が今回の依頼人で、白髪交じりの頭にグレーの着慣らしたスーツが印象的だ。
その点、ベルの新品のネイビースーツに禿頭という複数の意味で頼りない見た目とは対照的と言えよう。
「君がベル君か、あの方の子というのは聞いているよ。いやこれは安心だ。あの方には部下が何人もお世話になってね、感謝は尽きないよ」
ベルの顔色が悪いのも、初仕事なのも、この男は知っていて言っているのだ。どこまでも圧力をかけて仕事の完全遂行を促したいようだ。つまりは、勝てと。
イーと名乗るその男は、初仕事のベルを押し潰す勢いで後から後からプレッシャーを叩きつける。
「ええ、そうですか。ご期待に添えるかわかりませんが全力を尽くさせて頂きます」
イーの圧力による波状攻撃が収まりをみたところで、せめて何か言おうとベルは口を挿む。
対人経験の少ないベルは悪意にまるで疎い。額面通りに言葉を受け取ったベルは、何故今親の話が出てくるのだと不思議に思う。
それでもなんとか依頼人の言葉に反応をしようと無難に返す。
相手方を見やると先ほど声を掛けてきた赤いスーツの女性の隣の男、糸目にふくよかな体、一般にはだらしがないと言われても仕方のない見た目だが、ベルには経口摂取のわかる同志かと心躍らせる。そんな体に膨張色の白いシャツを着ているものだから、まるで肉まんのようだとベルは心中で同志を例えた。
その例えのもと、その隣の赤いスーツの女性は唐辛子さんとして当面取り扱うことを決めた。
「はじめまして、私が決着屋のコニシで、こちらが依頼人のキヨさんです」
唐辛子さんあらため、コニシがベルと目が合うなり軽い挨拶をする。
この社会、見た目ではその出自が分からなくなってしまった。そのため名前を参考にベルは考える。
通常、親にこだわりが無ければ世界の共通語に従った名前になる。あるいは、親にこだわりある名前をもらっていながら通名で名乗ることもあり、あくまで参考である。
コニシもキヨも同音の異国語か偶然の一致でなければ、東の地域によく見られる名前である。同郷のこの二人が組んで集団決着の準備をしていることが疑われた。
集団決着とは、大きな決定を双方三人以上での決着機の使用によって行うことである。その準備として、外堀を埋めるため今回イーに決着を求めていると考えられた。
「ベルさん決着機のあの人の子だそうですね。お手柔らかにお願いします」
イーとベルのやり取りを聞いていたらしいコニシが、似たような話の流れに乗ってくる。
ベルの立場からすれば本来迷惑極まりないことなのであるが、本人にとっては事実の輪唱を聞いているようなものだ。
痛くはないがむず痒しといったところであった。
横で聞いていた肉まんあらため、キヨも「ふーん、あの人の……」などと訳知り顔である。どこまで有名なのかと、ベルは親の顔を思い浮かべながら輪唱を聞き流していた。
「まあまあ、言ってても仕方ないでしょう。早くはじめましょう」
不眠のベルはさっさと終わらせて帰ることに集中することにした。
決着機の使用には、特に仲介役などの中立な立場の人間を置く必要はない。
まず一つ、決着機自体が中立であり公平かつ公正な仲介役であるから。
もう一つは完全に中立な立場の人間とは存在し得ない、僅かでも当事者たちと関係のある者はその影響を受け、その場にいるだけで決着に干渉するおそれがあるという考えがあるからだ。
四者ともに黄色の光沢のあるその腕輪、決着機を各々のタイミングで身につけていく。ベルも遅れながら輪に左腕を通す。
途端に視界がホワイトアウトし、突然床が落ちたような寄る辺ない浮遊感を感じ意識は眠るように落ちていく。
ああ、ようやく眠ることができる、とベルは仕事に入るところであるのに疲労感からの解放からくる安心感を覚えた。