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未来はどこにある  作者: しぐ
モダンな世界で決着
18/43

2-4

 家族で夕飯を食べにきたベル。

 フレンチレストランとして近所で話題の店である。

 ディナーが有名なのだが、ベルは門限があるため家族に相談したところ一家で来ることになったのだ。


 シワもシミも無いテーブルクロス、皿の上にはナプキンがのっている。フォークやスプーン、ナイフなどの食器類は皿の横に整列されている。

 整理されたテーブルの上とは対照的に予約もマナーも厳格に必要ではない。価格帯も低く、お手軽かつほんの少し引き締まった食事処として成り立っているようだ。


 客は疎らで座席の三割ほどが埋まっている。

 客は夏ということもあってラフな格好がほとんどだった。

 タンクトップやジャージという者もいて、ベルはそれらとレストランとの間に場違いを感じる。

 かろうじて仕事帰りの会社勤め風の男がただひとりいたため、それを見たベルは若干の安心を覚えた。


 ベルの一家は入って右奥へ通される。

 歩きながら父親の正志は「お前たちマナーとかわかるのか?」と言う。

 ベルは「雰囲気でわからないかなあ」とつぶやいて、心中では「これだから無知は」と毒づく。

 ベルは食に関してはうるさいを通り越して攻撃的に出るのだった。

 もちろんコーヒーの師匠であることは忘れてしまっている。


 ベルは席についてメニューを一瞥するだけで注文は決まっていた。

 楽しみにしていたフレンチである。予習は既に済ませている。といってもいくつかのコースメニューから選ぶだけだった。

 光子も正志もベルが決めて10秒後には既に決まっていた。

 この一家では代金を払うのは俺だからと、正志がまとめて全員の注文を行うのが習慣となっている。

 わざわざ確認の過程を経て注文するとは時間の無駄遣いも甚だしいとベルは思うがあえて口にはしない。

 コースメニューを指定するだけなので注文は数秒で終わる。



 ベルの世界ほどではないものの、この世界でも紛争は絶えない。

 この店も例外ではなく、問題を抱えていた。いや、抱えていたのではない。問題視されていたのだ。

 つまり問題の客体であった。

 異常に繁盛していたわけではない。自然な流れでフレンチといえばその店という雰囲気が街にあふれていたのだ。


 ライバル店、この場合同じフレンチを扱う店はそれに嫉妬を持て余していた。

 しかし見た目、味ともに普通にやったのでは真似ができなかった。

 仕込み現場を観察したりバイトの者にいくらか握らせて聞き出したのだが特に変わったものは仕入れてなかった。

 むしろ同じような仕入れ内容だったのでライバル店たちは一様に驚いた。

 同じものを使って再現のできないその味に、ライバル店たちの舌にはもはやオカルトじみたものに感じる。


 事実としてベルの来た店は特別なことはしていなかった。

 しかし美味しさとその見た目の美麗さには種があった。


 店長でもある中林シェフである。

 中林はIT企業でSEとして勤めながら独学で料理を勉強し、調理師免許をとる。初めは趣味のつもりだった中林だったが、取れるならとっておこうという程度のものだった。

 しかし中林は10年勤めた会社を突然辞める。趣味の料理以外では使うことの無かった貯金を使って一念発起して今の店を立ち上げることにしたのだ。

 経営に関しても特に困ったり迷ったりすることはなかった。

 中林は自らがやると決めたことに関しては知識の収集は欠かさない男だった。


 当時のいくつかのライバル店としてもまったく聞かない名前に完全に油断していた。

 ぽっと出の素人がフランチャイズにも入らず飲食店経営をすることの無謀さを彼らは知っていたのだ。もちろんほそぼそとやっていくことは想定していた。


 その予想をはるかにこえて中林のレストランは客を集めていた。

 まさか自分のところに来ていた常連さえも巻き込んでしまうとは夢にも思わなかった。

 中林の店はそうして恨まれながら、徐々にだが知名度を上げつつある隠れた名店となっていた。


 人気が集まるのも当然で、中林の構築した調理理論に則って作られた料理は低価格かつ味と見た目が良い。

 中林にしてみれば特に変わったことではない。ただの視点の切り替えである。

 誰にでも気づく可能性のあるコロンブスの卵だと思っている。

 事実を知らない外野は妬むか羨むばかりである。



「こちら、前菜のサラダです」

 ベルに前菜のサラダが運ばれてくる。

 店員は背筋の真っ直ぐ通った細身の男である。黒いベストは細身のシルエットを引き立たせていた。

 いちいち細かいうんちくを垂れないのも好印象だ。


 光子はベルが観察しているのを察したらしく、隣のベルの小脇を肘で突付き耳元に口を寄せる。

「ああいう人が好みなの?」

 光子は姿勢を戻し、口元に手をあててうふふと上品に笑う。

 正志はそれを見てなんだなんだと耳打ちの内容が気になる様子。


 ベルはふう、とため息をひとつ。

 ベルは自分が今女としてここにいることは自覚している。

 しかしこうも目前に突きつけられると辛いものがある。

 確かにその男へ好意は抱いた。客観的にそれを異性への好意と取るのは自然だろう。だが事実としてベルはその男を優秀な給仕人として評価したのである。

 この女はコリンと比較しても厄介である。コリンは正面から向かってくるスタイルだが、この女光子は直接言わないで匂わせるように周囲の印象を操るのである。

 こういった搦め手には滅法弱いベルはどうしたものか思案する。

 コリンの時もこうして戸惑っている間に距離を詰められたのを思い出す。


 ここでベルが出した答え。

「違うよお母さん、そんなんじゃないんだから」

 思考停止の即返答である。

 後から軌道を修正すれば良い、そう考えたベルだった。

 だがしかし正志には真っ赤な顔で否定する我が娘を見て悟る。

「ベルもそういう年頃かーお父さんは悲しいぞ」

 それが言いたいだけなのではないかと大声で言いたくなるがベルは口をつぐむ。どうやらベルの返し手はとことん失敗に終わったようだ。

 これが母は強しということかと微妙に違う言葉の綾。

 顔の火照りも身じろぎできず耐えるだけ。惨めである。


 ベルはいたたまれなくなり、逃げ場を探して視線を泳がす。するとそれに気がついた。

「君たち、食事中にしゃべってはいけないのだよ。黙って食べたまえ」

 ここぞとばかりに自分がとれる最大級の尊大な言葉で敬うべき両親をなじる。

「欧米では食事中の適度な会話はむしろテーブルマナーとして数えられます。ですよねウェイターさん」


 ベルの様子を見て恥をかかせると思ったのか逡巡する男だが、ウェイターのプライドにかけて答えないわけにはいかなかった。

「さようでございます。どうぞごゆっくり会話をお楽しみください」


 なんということだろうか。神は私を見逃したのだろうか。ベルはついに卑屈な気持ちになる。

 さっきまで賞賛していたがもう知ったことではない。

 もはや誰も助けてはくれない。打つ手もないときてもう帰りたい気持ちでいっぱいになる。

 なぜ楽しい一家団欒のお夕飯でここまで陥れられなければならないのだろうか。

 涙目で食べるサラダはしょっぱいばかりである。


 その一方でつやつやと元気を増す鬼のような女、光子は笑顔で前菜を口に運ぶ。

 一連の動作は美しく、迷いのないフォーク捌きを見てベルは感心するしかなかった。

「うまいものの前では全部いっしょだろ。気にするなよ」

 遅れて入る正志のフォローだ。

 それでもベルには十分で、なんと気の利く父親だろうかと感謝の気持ちでいっぱいになる。

 先ほどまで心の中とは言え毒づいて悪かったと、これまた心中謝罪をする。



 ベルたちのいる店にジャージ姿の男がふらりと入る。

 ライバル店のひとつ、中林を恨む経営者のひとりである。


 彼、尾高もまた真面目な料理人のひとりだった。

 IT企業に勤めたこともある。ふと子供の頃の夢を思い出して店を出すことにしたのだ。

 大雑把にみればほとんど一緒だった。中林と直接話す機会さえあれば分かり合えたかもしれない。

 その似た境遇を歩む尾高が中林と決定的に別の道を歩むことになったのも偶然といっていいだろう。

 せいぜいが中林が後から出店したことと中林には自分で構築した理論があったことぐらいだ。


 尾高が学んだのは歴史ある老舗の味である。中林とはスタイルを別にするため尾高には中林の味は再現しようもなかった。

 当然中林にも尾高の味を再現することはできないのだが尾高には知りようがなかった。

 研究を重ね、新料理の開発にも手を付けたがうまくいかない。

 尾高の料理は洗練されたもので、どこまで行っても先人たちが切り捨てた進化の枝分かれ先にしかたどり着かない。


 そこで尾高は自分の料理に自信を持ってもっと別の経営戦略に出ることができればよかった。

 現代社会というものは虚しい物で、金に困ればその原因を恨まずにはいられないようにできているのだ。そうなるように仕組まれたシステムであると言っても過言ではない。

 中林のレストランに吸収されていく顧客と明らかな味の違いの前に尾高は盲目的にならざるを得なかった。


 味の追求に限界が来た尾高は最後の手段を取ることにした。

 考えてもわからないのならば本人に聞いてみるしか無い。尾高は中林を武力で脅してその料理の秘密を得ようとしたのだ。


 面が割れてはしかたないので、冬に防寒のつもりで買った目出し帽をトイレでかぶる。


 尾高はトイレから飛び出て、客が食事をする広場と厨房を抜けて事務室へ向かう。

 客と従業員の目の前を通るが、この時間だとそれほど多くない。素早く走り抜ければ尾高を発見することはできるだろうが、帽子の違和感以上のことはわからない。

 人間目立つ特徴がひとつあれば、それだけでその人を記号化してしまうものなのである。目出し帽の人間が厨房へ走っていった。ただそれだけの事実しか認識できない。


 尾高は捨て身の気持ちで乗り込みに行くのだからそこまでは考えていなかった。

 特に考えていない直感が尾高に味方していたのだ。

 従業員としても店長がまた変わったことをしていると思って特に気には止めなかった。


 薄い扉を開けてすぐに閉める。内鍵に気づいたのですぐにそちらもかける。

 冷えた部屋は焦りで冷や汗をかいていた尾高を緊張でもって迎える。


 中林は椅子に完全に体を預け、目はアイマスクをつけて休めている。

 その状態のまま動こうともしないで「何?」と入ってきた者へ短く言う。


 尾高はその様子を見て、足音に気をつけながら中林の背後に寄る。肩に手をかけて持ってきた手錠で中林の両手を素早く拘束する。

「え? なになに、遊んでないで仕事しろよ」

 従業員がふざけていると思ったのか中林は異変に対しても半笑いで対応する。


 中林の言葉をきっかけにできるだけ低い声で目的を告げる。

「この店で出している料理の秘密を教えろ」

 まずい状況になっていることを察した中林はすぐに対処行動に移る。

「強盗だ! 誰か来てくれ!」

 今なら厨房には従業員が何人か控えている。調理中で騒音があるとは言え、事務室の薄い扉程度ならば声が通らないこともない。


「強盗か、そうかもしれないな」

 尾高の中で自らの行為が犯罪だという自覚が湧いてくる。一線を越えた尾高は折りたたみ式のナイフを取り出し、中林の大腿部を斬りつける。

 使い慣れた刃物ではなく、折りたたみ式の電工ナイフを持ってきた。

 携帯性が優れているからだと尾高は理由づけている。しかしそれは自分が行おうとする行為が、料理人として反したことであると無意識に思っているからだ。


 扉が叩かれ人の声が聞こえる。

 従業員には気づかれたがしかたがあるまい。尾高は扉に向けて言う。

「まだお前らの店長は生きている。だから通報はするな。そのまま営業を続けろ」

 中林の悲鳴も担保して、従業員は動揺しながらも仕事に戻る。

 雇い主とは言え自分たちはバイトである。特別な事をするには責任が重すぎるので手がでなかったのである。

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