2-3
秋穂とコリンは二人並んで歩いている。
そこに後ろから追従するようにベルも歩いている。
会話には直接加わらないものの、余計なことを吹き込まないようにその内容は常にベルの監視下にある。
さすがにナンパ師と呼ばれるだけあって秋穂と打ち解けるのは早かった。
コリンは嘘だらけの、偽の妹であるベルとの思い出を秋穂に話す。何度もそんなこと無かったと口をはさみたくなった。
しかしそこに口をはさんでしまうと、兄妹であるという嘘の説得力が無くなってしまうので下手に口がだせないでいた。
「ここね、知り合いがやってるんだよね」
建物の前でコリンは得意気にいう。
いつの間に知り合いをつくっているのだろうか。これも情報収集の一環なのだろうか。
「それで、どうするんですか」
ベルは依然、不機嫌な顔で後ろからコリンについていく。
それを察した秋穂に「まあまあ」となだめられる。
手慣れたものでコリンは二言三言で部屋を借りてしまった。
それを見たベルは本当にこの男は情報収集をしていたのかと疑いたくなった。
部屋についた一行は防音室で隔絶されたその空間に落ち着きを感じる。
特にベルはそれをより強く感じていた。
いままで張り付いていたような視線から開放されたためである。一気にのびのびとした気分になる。
なるほどカラオケとはこういう感覚を楽しむものなのかと早合点しているベルを置いて、慣れている二人は先に選曲を済ませてしまう。
秋穂は有名な男性アイドルユニットの曲で、コリンはポップスのシンガーソングライターの曲である。どちらも一日中テレビをつけてれば耳にする程度の知名度である。
「ベル、はカラオケ初めてだっけ。どうしようかな」
秋穂はリモコンを手に右往左往する。
うっかり選曲を勧めようかと思った秋穂だったがベルの実態を思い出して迷う。
「ああ、ベルちゃんいつもそうだから大丈夫だよ」
同じ異界を出身であるコリンからの助け舟だった。
ベルは流れに乗れないため居心地を悪さを感じる。
一曲、また一曲と交互に流れる秋穂とコリンの声。趣味が合うらしく、というよりはコリンが合わせているのだろう。
息の合い方は、まるで恋人であった。
ベルはコリンの努力の方向性を何とか修正できないか考える。
そこまで手を尽くして努力しているならば決着もさっさとつけてほしいものである。
コリンも元から音楽の素養はあったのだろう。
元の世界では名前程度しか知らない相手であるからコリンの趣味が何であろうと知ったところではない。
いや、コリンの趣味に関しては秋穂の話も含めて考えるならば女漁りと考えるのが妥当かもしれない。
一方ベルは音楽の素養を持っていないため、良さもわからなければ音程の適合性も判断がつかなかった。
メロディー、リズム、歌詞とどれをとってもベルの興味を引く要素は無かった。
せめて自分の好きな飲食関係に取り付こうかと思ったベルだったが、すべてコリンに妨害される。
「あ、飲み物? ちょっと待ってこのあと僕が取りに行くから」
「なにか食べたそうだね。頼んどくから座ってて」
コリンは私になにもさせないつもりだろうか、とベルは思う。
だがベルもそこに食さえあればとりあえずは文句は言うまいと我慢する。
一方秋穂にとっては妹思いの兄という風に映っていた。
秋穂からの評価を上げていくコリンだが、ベルからは恨まれていくばかりである。
別に楽しみも無いので炭酸飲料をちびちびとやっている。
そこにコリンが時折ベルを覗きこんではウィンクしたりしてアピールする。
苛立ちを露わに、ベルはストローにその包み紙をかぶせ、フッと息をはいてコリンへ向けて飛ばす。
コリンは「やったなー」と笑っているがベルにとってはそこまで楽しい物ではない。
「どうでもいいことではしゃいでる」
「そのどうでもいいことを私達は今楽しんでいるんだよベル」
「そうですか」
そう言ってベルは隣の椅子に倒れこむ。
もう疲れてしまった。食べたばかりで胃がごろごろとしているが知ったことではない。
横になりながらテーブルの上のフライドポテトを一本つまんで口に放り込む。
「ベルーそれ体に悪いんだよ」
「知ってる」
もうどうでもよいのだ。放っといて。
そうして最初はふてくされた態度でいたベルだったが、横になっているのもあって睡魔に襲われる。
今にも眠ってしまいそうな状態だ。それでもコリンの自由を許すまいとベルは意地で目を見開いて耐えている。
秋穂が「ちょっと飲み過ぎちゃった」と言いながら部屋を出て行く。
ここぞとばかりにカラオケを止めて「コリンさん」と怒気を込めて言う。眠気は既に押し戻した。
「ベルちゃんどうしたのさ。また食べ物かい?」
この男は自分をどれだけ食いしん坊にしたいのだろうか。事実であってもベルの怒りは勢いを増す。
「どうしたじゃないですよ。連絡も無しに勝手なこと言って巻き込まないでください。こっちはできるだけあなたから離れてサポートにまわるところだったんですから」
コリンは悪びれもせず「寝起きで機嫌が悪いのかな」などとつぶやいているのをベルは聞き逃さなかった。
「意思疎通ができていなかったようなので、今しましょう。コリンさん何かわかったことは?」
作戦会議である。情報を持っているならば、あるいは考えがあるならば共有しなければ足並みが揃わない。
共有も共感もわからないベルだが、この点では引けなかった。
趣味の範囲であればベルも食事にはこだわりたいので深くは追求しない。だが、決着に関することで適当なことはできなかった。
「ベルちゃんの名前使わせてもらってて悪いんだけどさ」
コリンは足を逆に組みなおす。
一瞬何か考えたような表情をしたが、すぐに取り直して言う。
「なんにもわかってないんだよね」
平然と言うコリンにベルは落胆した。
「相手の正体とかわからないですか?」
「まあそのうちわかるんじゃない」
「そんな無責任な」
目星がついているのか、それとも最初から諦めているのか。
なぜそうも余裕でいられるのかベルにはわからなかった。
「ま、僕の決着なんだから好きにさせてよ」
好きにさせてよとその一言に男との断絶を感じる。
協力してやっていく気は無い。勝手にすると言っているようなものである。
「そうですか。それではお任せいたします。あと、秋穂に余計なことを言わないように」
ベルは決別を決めた。これ以上言ってもこの男は聞かないだろう。言っていることにも理が無くもない。
しかし、秋穂に関しては案内人としてこじれたくないため余計なことをされたくない。それにこの無責任でいい加減な男に食い物にされるのは面白く無い。
かと言って、任せてしまった手前あまり偉そうなことも言えない。
そのため釘を刺すに留め、カラオケ店を後にした。
帰宅して再び睡魔に襲われる。
今度はカラオケのときよりも気合を入れて持ちこたえる。
夕飯があるからだ。
まだ食べるのかと思われるだろうがベルは理想体型と体重をキープしている。誰に文句を言われるだろうか。
この世界での母親、光子の隣に並んでベルは夕飯の手伝いをする。
調理も食通として教養の内である。
そう思ってベルは下処理を担当するが未だ光子の仕上げが必要な程度である。
たまに「もっと丁寧にしなさい」と叱られしょんぼりする。
今日はカレーなのでベルができる手伝いはここまでだった。
煮込まれる具材とスパイスの香りを堪能しながらソファに座る。
テーブルのリモコンを操作して、テレビをつければ夕方のニュースだった。
ただでさえベルの興味の射程は短い。
それは単純な悦楽に限られる。中で食が一番という具合だ。
短いゆえにテレビをつけても、ベルを惹きつける番組はほとんどない。
ドラマは長くて話の途中で設定を忘れてわからなくなってしまう。音楽もよくわからない、バラエティも独特のノリについていけない。
グルメ番組も味がわからなくては意味がないし面白くもない。短くてわかりやすいコマーシャルだけはなんとなく面白さがわかった。
だから普段ならニュースなど目にすることはなかった。
その時だけたまたま目と耳に入ったのだ。情報がテレビの液晶とスピーカーから流れ出る。
『今朝午前8時に見高駅で30代の男性が何者かに、ナイフのような鋭利な刃物で殺傷されているのが発見されました。警察は連続通り魔と見て捜査を進め、事件を追っています』
ニュースキャスターがすましたように言う。自分がどんな凄惨な情報を送っているのか理解しているのだろうかと疑問に思う。
『ということですが、中野さんどうお考えですか』
たかだか地域のニュースだというのに専門家がついているようだ。こういうのを贅沢だというのだ。
ベルはテレビ番組の制作に関して何も知らないがゆえにそう思ってしまう。
『そうですね、駅は人通りの絶えない場所なんですがね』
『はい、それも朝の8時ですから通勤通学の時間ですよね』
午前8時とわかった時点で行われることが暗黙の内に決定された予定調和の会話。
『8時となると人の通らないところに放置されていたのでしょうか、それとも通勤の混雑に乗じての犯行でしょうか』
『発見場所について詳しい発表はされてないようです』
『となると犯人が一刻も早く捕まってくれることを祈るばかりです』
情報が少ないと判断してそう締めくくる中村氏に、ベルでさえ哀れみを覚える。なぜこの情報量で意見を求めるのかと。場つなぎにしても雑が過ぎるのではないだろうか。